流雲は...…デンヴァ―の暮らしを始めるが.......
第2部 アメリカ編 [11]Denverに暮らす
翌朝。降り注ぐ太陽の眩しさで目覚めた。窓の外に強烈な「ヒカリ」が降り注いでいる。慌てて時計を確認する。未だ、6時を回ったばかりだ。
眩い朝の光が、窓から部屋に差し込んでいる。陽射しの暴力的な強烈さに驚かされる。抜けるようなインクブルーに輝く空は眩しすぎて、まともに見ることさえできない。
朝の目覚めは決して爽快ではなかった。頭が痛く、気分の悪さに風邪かと不安にかられる。頭痛解消にシャワーを浴びる。僅かに気分は晴れたが、頭痛が治まった気がしない。
頭痛の不安感を抱えながら、朝食に階下のレストランに下りて行く。
朝食はビュッフェ・スタイルでサーブされていた。レストラン中央に大きなテーブルが置かれコーヒー、ジュースやミルクの飲み物からヨーグルトやフルーツ、クロワッサンやデニッシュが籠に盛られ並べられている。
シェフが目の前で卵料理を調理している。宿泊客が列をなして並んでいる。
既に多くの宿泊客が朝食を摂っている。流雲も朝食を取り分け、プレートにオムレツを乗せてもらう。キョロキョロと空席を探しテーブル席に向かう......。
(料金は宿泊料金に含まれてるのだろうが、無料は助かるな……)
隣席の旅行者に自己紹介と挨拶を済ませると、流雲の顔色を窺いながら......。
「You seem to be suffering from a severe headache.......貴方も、頭痛が酷そうですね...... Are you all right now?.....大丈夫ですか?」
「I don't feel well. I have a severe headache.......えぇ。頭痛が酷くて.......How about you?......貴方もですか?」
(本当に、頭が痛い。隣の人も、具合悪そう)
「Yes. this is only my second day, so I'm not used to the altitude. It will take me a few more days to get used to this altitude.......高度に、未だ慣れていないので......未だ、数日掛かりそう」
「What do you mean you are not used to the altitude?........高度に慣れていないとは??」
「Did you know that Denver is a mile higher in elevation?......デンヴァ―がマイル・ハイなのは知ってますよね?」
「Mile high" means……1,600 meters?」
「Yes, Denver is a high-altitude city. Until you get used to the high altitude climate, you will probably suffer from headaches.」
(標高1,600メートルの街だから、軽い高山病になると言うことなのか?)
流雲はデンヴァ―が寒冷地なのは知っていたが、しかし高山病になるほどの高地とは知らなかった。高山気候に順応できるのか、不安にさせる初日の始まりになった。
(日本に標高1,600メートルの町はあるだろうか? 確か、群馬県の草津温泉町は1,200メートルだった記憶があるが。頭痛に悩まされた記憶は無い。400メートルの違いでこれほどの差が出るのだろうか??)
デンヴァー初日。 流雲は朝食後にデンヴァー大学に向う。デンヴァ―大学は、市内から車で20分程の所にある。流石にレンタカーするには不安がある。流雲は Colfax Avenue バス停から約1時間掛けて、デンヴァ―大学の小高い丘に到着した。
デンヴァ―大学のキャンパスは、全米有数の美しい庭園キャンパスのひとつに数えられている。デンヴァ―の中心街より、約7マイル南下したロッキー山脈の麓のなだらかな丘陵地にあった。
デンヴァ―大学は1865年に設立された。大学としては比較的新しい大学になる。アメリカ名門大学の多くは1600年代に設立されていた。1870年代エバンスチャペルやロマネスク様式の大学ホールなど歴史的な建築物が建設された。
デンヴァー大学英語スクールへの入学は直ぐに許可された。学級クラスを選別する英語テストが初日にあると説明を受ける。
入学手続き後、英語学校(ELS)のオリエンテーションが実施された。流雲が驚いたのは、40人程の新入生の大半がアラビア人だった。これ程多くのアラビア人と接するのは初めての経験になる。アラビア語が飛び交う異様な雰囲気に飲まれ圧倒された。会場の片隅に、4、5人の日本人留学生が不安そうな顔で固まっていた。
オリエンテーションでは、アメリカ生活に必要な銀行口座の開設方法、社会保障番号や運転免許の取得方法などのガイダンスが行われた。
1968年5月。初夏の清々しさを通り越して、真夏の照りつける太陽が眩しい。
デンヴァ―大学の入学が許可され、学生IDが発行され手続きが完了した。
流雲はオリエンテーション終了後に大学ドミトリーへの入居を希望したがドミトリーは既に空き部屋が無く、大学近くの家具付きのアパートを紹介された。
アパートはキャンパスの直ぐ外の歩行圏内に見つかった。
学舎の周りは、翠色の鮮やかな絨毯を敷き詰めたような、青々とした芝生の広場が広がっている。
広場の小径には花壇が連なり、色とりどりのバラやラベンダーの花が鮮やかに咲き誇っている。芝生の上にショートパンツに水着ブラ姿の女子大生が、思い思いの姿で寝転び日光浴している。
(眩しすぎる。ピチピチで弾けそう。肌むき出しの刺激的な恰好で.......)
キャンパスを抜けて「University Street」に向かって歩いて行く。5分程歩くと3階建ての煉瓦造りの建物が見える。アパートのようだ。
アパートの半地下に部屋が空いていた。家賃が安く大学に近く、明日から住める所が見つかった。
契約には銀行口座の開設が条件となり、キャンパス前の「American First Bank」に出掛ける。銀行口座は、現金を預けると簡単に開設が完了した。
銀行口座開設時に個人小切手が印刷されるまでの仮小切手帳が手渡される。
(堅苦しい日本の銀行とは違う。明るくてカジュアルだ。銀行強盗に警戒する西部劇のイメージとも違うな)
無事に銀行口座を開設し、アパートの契約を完了する。慌ただしい日が終わった。この日はホテルから大学近くのモーテルに移動した。
翌朝。アパートに出掛ける。アパートは、青々とした前庭の芝生と緑生い茂る街路樹に挟まれた「South Josephine Street 」の中程にある。ハウス番号「2249-104」が、流雲の新住所になる。
アメリカの住所は「 Street 」の右側が偶数番号、左側が奇数番号に規定されている。ハウス番号は 2249。104 が部屋番号になる。
アパートは半地下に6部屋、2階と3階に各4部屋、合計14部屋の赤レンガ造りの瀟洒な建物。個人住宅よりひと回り大きいが、周辺環境に溶け込んでいる。
アパートに入ると小さな玄関ホールがある。玄関ホールの階段室を半分降りると半地下の部屋が並んでいる。
半地下の廊下に6部屋並び、廊下の突き当りに共同の洗濯室がある。
流雲の部屋は玄関ドア左手にトイレとシャワーがあり、右手にクロゼットとキッチンがある。キッチン奥にリビングとベッドルームの18畳程のワンルームがある。
正面壁の上部に高窓があり、明かりが差し込んでいる。 部屋は天井が高く明るく、半地下の閉塞感は感じない。
小さな木製テーブルと椅子2脚がキッチン前に置かれている。
反対側に、セミダブルのスティール製ベッドがある。
(ベッドがひとまわり大きい。マットレスは綺麗に消毒されている。でも、結構、生活用品を買い揃えないと生活できないな)
アパート暮らしに最低限度の生活用品を購入しなければならない。デンヴァ―大学周辺には商店が無く、郊外まで買い出しに出掛ける必要が出てきた。
日本人留学生会長のタケシ君が、隣街の「Cinderella City Mall」に案内してくれた。大学前の University 大通りを南下し、US-285のハイウエィに乗り、20分程走った Englewood の町に「シンデレラシティ・モール」はあった。
10年前の1968年春に開業した中西部地域最大のショッピング・モール。
ショッピング・モールの巨大さに流雲は度肝を抜かれた。巨大な商業施設の建物の中に、 銀座の街がスッポリと納まっている感じだ。全米4大デパートがモールの各コーナーに建ち250店舗以上の小売店や飲食店がデパートの間に軒を連ねている。
流雲は初めて目にしたショッピング・モールに驚嘆した。7,000台収容する駐車場は、モール建物の数十倍の広さがある。アメリカの車社会の凄さを見せ付けられた。
結局、調理器具や食器類、タオルやシーツ類などの最低限度の生活必需品を購入した。大きな買い物袋で後部座席が一杯になった。
タケシ君の話では「このモールが、この辺りで一番大きい。これに匹敵する大型ホームセンターや大型スーパーマーケットが数軒ある」のだそうだ。アメリカ生活に自動車は必需品になる。早く運転免許証を取り、自動車の購入を考えた方が良いとアドバイスを受ける。
1978年6月9日。月曜日。ELSの学校生活がスタートした。
流雲は久し振りに学生生活に戻り、ホワイトボード前に座る自分に馴染めずにいた。
教室内を見渡すと70%はアラビア人。20%が日本人そして残りが南米からの留学生達だった。年齢層は10代20代前半の若者が大半だった。
ひとりだけ歳の行った流雲が若者に混じり、机を並べる落ち着かない学生生活の始まりとなった。
流雲は ELS 中級クラスの授業を始めた。流雲は自分の英語力の低さを実感した。英会話のスピードには全く付いていけなかった。
白金学院でアメリカ人教師による英会話授業もあり、英語に恵まれた環境の中に居た筈だが全く通用しなかった。
アラビア人達の英語能力の高さに驚かされた。彼らの巻き舌英語を聞き取るのは至難の業だが。彼らは巻き舌も気にせずに話し、授業に食らいついている。
中東諸国からのアラビック留学生は国費留学生が多く、中には国王の縁戚者もおり、彼らはとても裕福な暮らしをしている。BMWやベンツの新車を乗り回し一軒家を購入し生活している。
デンヴァ―滞在が1週間経過した。
流雲は未だに頭痛に悩まされ、気分が優れない日が続いている。鼻の中が乾燥し少し強く鼻をかむと出血した。留学生仲間の話では個人差があり、軽い高山病から乾燥気候による脱水症などに順応するのに時間が掛かるそうだ。
ELSの学生生活も授業にも慣れ、勉強のコツも分かり生活が落ち着いてきた。 留学生仲間ともアラビックの級友とも適当に交流し、ひとり暮らしを楽しむ余裕も生まれた。
ひとり暮らしの不便さは食事だった。大学のカフェテリアは朝食とランチしか開いていない。学校の周りにはレストランが少ない。薬局の中にあるデリカテッセンのサンドイッチか。マクドナルド、ピザなどのファーストフードしか無かった。
流雲は仕方なく、朝食や夕食を作るようになった。アパート暮らしを後悔していた。食料の買い出しが大仕事だった。 スーパーマーケット「Safeway」まで歩くと20分以上かかる。バスの本数も少なく買い物に出掛けると1時間以上かかる。
アパートに引っ越して、直ぐに隣人のジェフと親しくなった。
ジェフは「Safeway」に行く時は必ず声を掛けてくれ、彼の車で一緒に買出しに連れて行ってくれる。
セーフウェイには、これまで気付かなかった不思議が詰まっていた。
店舗の広さは日本のスーパーマーケットの3倍から5倍、食材は日本の数十倍は陳列されている。
米を販売する棚には、日本風のカリフォルニア米を始めに日本産米、韓国米、中国米やロング・グレインのジャワ米、タイ米、インディカ米からメキシコ米やコロンビア米など数十種類の米が販売されている。お米の豊富さは日本の比ではない。
勿論、主食のパンの種類も豊富にあり、食品棚の並ぶ通路ひとつがパン売り場になっていた。
野菜売り場は、鮮度を保つためか時々霧吹きのシャワーがかけられている。
肉類は全て量り売りされている。
流雲が驚いたのは、全ての食材のボリュームだ。米は25バンドの米袋、卵は1ダース、2ダース。ミルクは1ガロン(3.75L)単位で販売されている。
食材の豊富さは驚異的であらゆる国から食材が輸入されている。醤油、味噌を始めにヨーロッパ産のワイン、チーズ、南米産のワイン、豆類、東南アジア産の麺類など、見たこともないあらゆる食材が販売されている。
食材の量は日本の5割増し物価は半分位が目安になる。鶏肉丸ごと一羽2ドルステーキが3ドルで販売されている。食料品に税金が掛からないのも嬉しい。
セーフウェイのレジにはベルトコンベアがあり、商品を載せると店員が袋詰めしショッピングカートに積んでくれる。そのままカートで車まで運べる。
(凄く合理的だな。待ってる間に商品を載せるから時間が省略できるし、会計後に袋詰めする手間もいらない)
先週末に、ジェフに誘われてガレージセールに行った。
大学裏の一軒家の前庭で行われていた。古着や食器や様々な生活用品が売られている。日本ならば捨てられ破棄されるガラクタのような品物が、10セントから10ドル前後で売られている。
ジェフの説明では、ガレージセールに定価は無い。自分の買いたい金額を提示し相手が納得すれば売買が成立するゲームのようなものと教えられる。
売る方は不用品を処理して僅かの対価を得る。買う方は掘り出し物を安く手に入れる。アメリカの合理的なシステムだそうだ。
初夏のデンヴァーの空に、ギラギラと強烈な陽光が降り注いでいる。木陰に並べれられたガレージセールの品物を見て歩く。家具、スキー、工具、古着、絵画、食器、レコード、書籍などあらゆる品物がある。
流雲が物珍しそうに眺めながら歩いていた時、アンティークなコーヒーグラインダーが目に留まった。
衝動的に購入したら、アルミ製のエスプレッソ用コーヒーポットを付けてくれた。このポットは直接火に掛けて抽出するタイプだそうだ。
シンプルで中々美しい形をしていると感心し眺めていると、
「This pot is made in Italy, and it makes a richer espresso coffee than drip coffee.……イタリア製のポットで、ドリップコーヒーよりコクのあるエスプレッソ・コーヒーが作れる」と説明された。
翌朝。アンティークなコーヒーグラインダーでコーヒー豆を挽き、イタリア製ポットでコーヒーを淹れる。
(美味い。コーヒーを淹れるとこんなに香りが違うのか…….)
ペーパーフィルター不要の便利なコーヒーポットは流雲のお気に入りとなり、毎朝コーヒーを嗜むのが日常化した。
東京の都会とは異なり、夜になれば窓の外は真っ暗な闇に包まれる。
テレビも無い半地下のアパート暮らしに寂しさも虚しさも感じなかった。闇の静けさを楽しむゆとりも生まれてきた。 流雲はアメリカ生活への順応性の高さに自分自身驚いていた。
東京暮らしの中で、自分でコーヒーを淹れ嗜むなど想像も出来なかった。
大山の自然と共に暮らした生活とは異なるが、デンヴァーのひとり暮らしにはゆったりとした時が流れる自然なリズム感がある。
土曜日の朝。ジェフに勧められ運転免許取得に「Department of Motor Vehicles」まで出掛ける。受験者は試験用の車を持参する必要があり、ジェフが車を提供し試験場まで連れて行ってくれることになった。流雲は練習を兼ねて、大学から20分程西方の街外れの試験会場まで、ジェフの車を運転して行った。
正面の申請窓口で申請書類「Driver License Application」が手渡され受験料12ドルを支払うと、視力検査と免許証用の写真撮影が行われた。
特別に試験会場がある訳ではなく、待合室奥に試験用のテーブルがあり、申請者は立ったまま筆記試験を受けている。試験場は少し緊張した雰囲気が漂っている。筆記試験に時間制限はなく、試験監視官がいる訳でもない。
筆記試験は道路交通法の文章問題がイラスト入りで出題されている。70%以上の正解率で合格となる。留学生仲間も、一発で合格せずに試験に落ちていた。筆記試験は1時間ほどで終わり、合格結果が発表される。無事合格した。
数時間後にドライビング・テストが行われた。運転席に流雲、助手席に試験官、後部座席にジェフが乗り、ドライビング・テストが行われる。試験場を出発すると、指示された一般道路を走る。
信号で止まった。信号が変わった時、「You should go green light.」
(えぇ。青信号で無く、グリーンライトなの??)
一般道をグルグル走り、高速道路に乗り郊外に向かってドライブする。
流雲が運転中、試験官はジェフと雑談をしている。 約30分程、ドライブし試験会場に戻ってきた。
車の中で採点される。減点が20ポイントと告げられたが、ギリギリで合格になる。
合格票を窓口に提示すると、その場でテンポラリーの運転免許証が発行された。今日から運転が可能になった。
(これで合格なのか。随分呆気ない。この免許証で車の購入も可能になる。正式の免許を待たなくても良いのだそうだ)
早速、ジェフに中古車デイラーの紹介を依頼する。
「OK. I will look into used car dealers as soon as possible......中古車デイラーの信頼できる所を探して......Let's go together tomorrow. I don't have any plans on Sunday……明日でも、一緒に行こう」
翌日の朝。アパートのドアがノックされた。返事をしながらドアを開けると、ジェフと顎髭の男性が立っている。
「Please come in.」
「Harumo. I come with my Dad, George」
「Hi, Haru, How’s it going?」
ジェフの説明では、中古車購入は父親が立ち会うのがベターだそうだ。アメリカ人の3大ストレスのひとつが、車購入だそうだ。
ジェフのお父さんジョージさんは、小型補聴器を研究する工学博士でありデンヴァ―大学の教授。ジェフは、実家が大学の近くにあるのに何故かひとり暮らしをしている。
ジョージさんは「When buying a used car, the requirements are: 1. don't choose a car with a strange color, 2. don't buy a used car that is more than five years old, and 3. buy from a reliable used car dealer.......信頼できるディラーから購入するのが重要ポイント」と中古車購入のアドバイスを与えてくれた。そして「Used car prices by model by age can be found in the Kelley Blue Book.」に公表されている。ブルーブック価格をディラーに必ず確認するように」と、ジョージさんから市場価格を確認する重要さを教えられる。
結局、ジョージさんは手続き書類や契約書類の確認作業の煩雑さから解放してくれた。流雲は指示されるままに、20数枚の書類にサインした。これで購入が完了した。ジョージさんのサポートは大きかった。
(契約社会なのを実感する。1枚1枚確認するのは大変な作業だ)
その後、留学生仲間が事故車や欠陥車を掴まされた話を聞いた時、ジョージさんの有難さを実感した。
流雲は3年落ちの77年の「Jeep CJ-7 Golden Eagle」を購入した。ダーク・グリーンのボンネットに ”Golden Eagle” のイラストが描かれている。
流雲は、コロラド州内の山岳地帯を走り回るのにオフロード車ジープが最適だろうと考えた。自然に心の中で ”Golden Eagle” を『鷹』と呼んでいた。
『鷹』の購入手続きが完了すると、紙製のナンバープレートがリアウインドウに貼られた。
『鷹』の運転を始めて、道路コンディションの悪さに気付かされた。
特にデンヴァー大学前を走る「Colfax Avenue」は酷かった。
数年前まで、この大通りに市電が運行していたが、市電レールを撤去せずに道路を舗装した。このため道路中央部が膨れ上がり、お椀状に歩道側に車線が傾いている。それに冬の凍結ダメージの補修が追いつかずにデコボコ道が放置されていた。
流雲は、運転と道路コンディションの両方に慣れなければならなかった。
また、デンヴァーのドライバーはあまり洗車しないらしく、薄汚れた自動車が多かった。自動車は走れば良いのだろう。
緑地に雪を被ったロッキー山脈がデザインされた『鷹』のナンバープレートが届いた。(中々、素敵なデザインだ。コロラドの市民権を得た気分だなぁ)
流雲の見たデンヴァーの車社会は、日本と大きく異なっていた。街中は自動車、自転車、歩行者と明確に区分けされている。日本のように人も車も犬も一緒くたに移動する道路とは大きく異なり、安全が優先されている。(国土が広いからなぁ)
ジェフの説明によると「American cities have strict "zoning" regulations、 with a clear distinction between residential and commercial areas.......アメリカの都市は『Zoning』計画が厳しく、住宅区域や商業区域が明確に規定され....... Therefore、 a "door-to-door" car society has been developed to access commercial areas from residential areas. 」
(その為、Door to Door の車社会化が構築されてきたのか。確かに日本のようにゴチャに混在していては効率が悪い。しかしなぁ……)
流雲はコロラド州の高速道路網を地図で眺めている。コロラド州間高速道路は南北に I-25、東西に I-70、I-76 とターンパイクの I-225、I-270が走っている。
アメリカ主要道路網は、州間高速道路/ Interstate Highway、 国道/ U.S. Highwayは州道路の/ State Highway の3タイプに分類されていた。道路番号の奇数は南北に、偶数は東西に走っている。
(これは便利だ。何番の高速道路か分かれば進行方向が判断できる。合理的だ)
流雲の暮らしに『鷹』が溶け込み何処にでも一緒に出掛けるようになった。『鷹』の20分圏内が流雲の日常生活圏になった。
これまで遠い存在だった日本の食文化が身近な存在になった。『鷹』を運転し日常的に日本食品の買い出しに「Sakura Square」に出掛けるようになった。
サクラ・スクエアはデンヴァ―中心街から外れた 19th Street とLarimer Street の一角にある。中心街に比べ少し寂れた街角にあるがアクセスは悪く無かった。
DUの周りには東京のような繁華街は無い。ダウンタウンはビジネスの中心地であり、夜の賑わいはない。刺激的なバーなども見当たらない。そうした店は街外れにポツンとある。
繁華街のように人が集まる所も少なく、 縁日やお祭りもあまり開催されない。だから、学生達は数少ないイベントに敏感に反応する。
デンヴァーの桜開花は6月半ば過ぎになると、留学生仲間から伝わってきた。
6月29日の日曜日にサクラ・スクエアで「第8回桜祭り」が行われる。
最初は流雲は季節外れの花見に違和感を覚えたが、桜をめでる機会を逃したくない気分になった。
ジェフに声を掛ける。「桜祭り」は知ってはいたが、行く機会がなかったと言う。流雲が行くなら、友達を連れて一緒に行こうと乗り気になった。
日曜日。雲一つない青空が広がっている。デンヴァ―に暮らし始めてからずっと晴天日が続いている。
流雲の頭の中にサンシャインを祝福する John Denver の歌声が響いている。
Sunshine on my shoulders makes me happy
Sunshine in my eyes can make me cry
Sunshine on the water looks so lovely
Sunshine almost always makes me high
(それにしても、眩しい。本当に、泣けてくるほどに眩しい.....)
『鷹』と一緒に駐車場で、ジェフを待っている。ジェフがブロンドが似合う2人の女の子を連れてやってきた。
長髪のスラっとしたモデルのような美人と小柄で青い瞳がキュートな女性。2人ともデンヴァ―には珍しい程、人目を惹く魅力的な美人だ。
「Harumo, this is Ann, and her name is Holly.......流雲、アンとホリー。僕のクラスメート......They are my classmates. Anne plays violin and Holly plays viola and percussion.」
「Hi, this is Harumo. I am an ELS student from DU who came from Japan. nice to meet you.」
「What's your name? Haru means I think "spring" ?」
「Holly? Do you understand Japanese?」
「Yes. I'm Holly. I grew up with a Japanese family friend, so I know a little bit of Japanese.」
(驚いたな。日本語を知っている子がいるなんて)
「My name is Harumo, and I'm H.A.R.U.M.O. Do you get it? My name has the meaning of the Drifting Cloud. It's a way of life that drifts naturally like a cloud.」
「HARU means RYU which is Drifting or Flowing. MO means Cloud.....流れる雲だから......」
「I see. Drifting Clouds, I understand that your name has a meaning, but would you like to be called "RYU" or "HARU"? Which would you prefer as a nickname?」
「 "Haru" means "spring". It's better to call him "Ryu".....Haruは春と同じになるから、流の方がいい」
「Let me think....."If you prefer to call me RYU, ..... It's OK. ......? 」
(まぁ、いいか。”流雲/りゅうん”とも読めるから、”はる”よりは良いよな)
『鷹』に乗りこんで、4人でサクラ・スクエアに向かった。サクラ・スクエアに到着する。
建物に囲まれた小さな広場に人だかりが出来ている。日本の縁日のような金魚すくいや焼きそばの屋台が並んでいる。広場の奥に、松と庭石と石灯籠が調和した日本庭園があり、満開の桜が風に揺れている。
アンとホリーが一斉に感嘆の声を上げる。
「Woo-hoo! It's so beautiful!」
アンが「Me, it's my first time seeing a Japanese garden!」
緑豊かな芝生に、咲く桜を見つけると「It's gorgeous flowers. The cherry blossoms here are more colorful than the East Coast Cherry.」
(東海岸から来たのか。ワシントンの桜は日本の桜だから同じだと思うけど……)
満開の桜の下を歩く。ハラハラと舞う花びらを手のひらに受け止める2人の美女をファインダーで追いながらシャッターを切る。野鳥を追い撃ちするように素早く、アンとホリーを入れながらスナップショットで撮影する。
流雲はこれまでポートレート撮影をする機会はあまりなかった。
自然に2人の姿をファインダーで追っているうちに、ポートレート撮影の意欲に掻き立てられた。若さが弾ける美女2人にポートレートのモデルを頼んだ。
桜の花びらが舞う木の前に、ひとりづつ立ってもらう。被写界深度を浅くし、手前に人物を際立たせて強調するように、背景をボカす撮影モードで撮る。
満開の桜を背景にしたポートレート撮影に、2人の立ち姿が良く似合う。淡いブロンドの髪色と桜色が、夏空に美しく輝く。目鼻立ちのくっきりした顔立ちとプロポーションの美しさに、流雲は魅せられた。
(2人ともモデル顔だなぁ。ホリーは少し背が低いが、脚がスラーっとしてハイヒール姿が良く似合う)
桜並木を抜けた広場に、テントが張られステージが設けられている。ステージ横にプログラムが掲げられていた。和太鼓に始まり、日本舞踊や和楽器の演奏などが予定されている。ステージ前の椅子席に4人は腰を下ろすと、直ぐに和太鼓の演奏が始まった。
青空に桜舞う華やかな舞台で聴く、太鼓演奏の音は力強く木魂し流雲の心に響いた。
演奏を聴く3人を見ると、和太鼓のリズムに合わせて身体でリズムを取っている。和太鼓のパフォーマンスに感動しているようだ。演奏する楽器は異なっても、同じミュージシャンとして、純粋に演奏を楽しんでいるのが分かる。
ホリーが「If I could, I would love to play those drums. It's an instrument that produces a very heartfelt and powerful sound.」
「Year, It's Amezing!!」と、3人とも上機嫌に、手拍子を打っている。
日本舞踊にはそれ程の興味を示さなかったが、和楽器の演奏が始まると、流雲にひっきりなしに和楽器の名前を聞いてくる。
「That bamboo flute is called SHAKUHACHI, the stringed instrument is the Japanese harp KOTO, the hand drum is the TSUTSUMI, and the Japanese flute instrument is the SHOU. I don't know the name of the other Japanese musical instruments. I'm going to ask the performers when they're done.」
(流石に、古い和楽器の名前は流雲には分からない。日本語でも分からないのに英語じゃわからない。でも、3人共真剣に演奏を聞いている)
演奏が終わると3人はひと際大きな拍手をしている。
ジェフは少し目を潤ませ「Thank you for Ryu inviting us to the SAKURA Festival. I enjoy traditional Japanese music……日本の楽器演奏は素晴らしい……The beautiful and clear sound echoed in my mind……僕の心に響いた……」
「It was a very wonderful performance. The clear and cool sound was like the sound of leaves touching each other in the forest.」
(でもこれだけ喜ばれると俺もうれしくなる。確かに。可憐な演奏だった。森に佇み聴く静けさの音に似ている。なんて詩的な表現なんだ。クラシックを学んでる人達の感性は、何かがあるのだろう)
演奏の後、屋台の焼き鳥を食べ歩きながら樽酒を飲み。日本の美術品や陶器の展示品を見て周った。「桜祭り」のイベントは、日本の伝統と文化に触れながら、夏の一日を祝うデンヴァ―らしい夏祭りだった。
1978年7月4日。アメリカ合衆国最大の祭日「Independence Day」。約200年前の1776年にイギリスから独立した記念日になる。
数週間前からスーパー・マーケットに独立記念日のコーナーが設けられている。星条旗と一緒にBBQグリル、ステーキやホットドッグなどの具材が並べられていた。
ジェフに「Park Hill 4th of July Parade」に誘われた。「桜祭り」が楽しかったから、流雲にアメリカのお祭りの楽しさを紹介したいと言う。
当日は雲ひとつない青空が広がっていた。この時期、早朝5時半には陽が昇り、日中は30度を超える日差しが照り付けるが、湿気は0%のカラッとした陽気が続く。
今日で晴天日が連続50日を超えている。春先に「シャワー」、夏に雷を伴った「スコール」が、乾燥した大地に湿り気をもたらしてくれる恵みの雨がある。
デンヴァ―の晴天日は10月末まで続く。ジェフの話では「Denver is blessed with sunny days more than 300 days a year.」
(えぇ。そうなの)
パレードは、デンヴァー市内の外れの街「Park Hill」で開催される。
パーク・ヒルは、碁盤の目に区画された並木道にコロニアル様式の住宅が建ち並ぶ歴史地区。
「Park Hill 4th of July Parade」は、午後1時30分に23rd Avenue をスタートする。流雲達が23番街に到着した時、独立記念日パレードの楽団が続々と集結し、思い思いに楽器の演奏練習を始めていた。
パーク・ヒルの街は祝賀の星条旗や垂れ幕が美しく掲げられ、祝賀ムードを盛り上げている。23番街は交通が遮断されている。歩道脇の住宅にも星条旗が掲げられている。
歩道には黒山の人だかりができていた。
(何処から、こんなに人が集まったのだろう?こんなに人気があるのか)
パレードが女子高生のチアガールを先頭にスタートした。
独立記念日を祝賀するマーチング・バンドの行進曲に乗り「横断幕」が道路一杯に広がり行進する。その後に20人程の小学生のマーチング・バンド。女子中学生、高校生のチアガールが続く。次から次に、マーチング・バンドが演奏しながら行進して行く。
オープン・カーが現れ、市長らしき人が手を振りながら行進。大歓声が上がる。沿道に佇む市民は小旗を振り、
「Happy July 4th !!」
「Happy July 4th !!」
と、口々に叫んでいる。
パレードの先頭に警察のバイク集団や警察車両が行進。その後から消防車、幌馬車、カウボーイの馬による行進が続く。クラウンとピエロが現れ、歩道の子供達にキャンディを配りながら行進。
何故か。クラシック・カーの行進が続く。パレード最後に大人のマーチング・バンドの後から、オープンカーに乗った 「Miss. Denver」が笑顔を振りまきながら行進して来る。
(独立記念日のパレードは、何かひと昔前にタイムスリップしたような素朴だ)
パレードは、パーク・ヒルの町を横断して2時間程で終わった。
パレードの人混みの中、歩き始めるとジェフが尋ねてくる。
「Ryu, my family is having a barbecue at City Park, would you like to join us?」
「Thanks. May I join your family's barbecue party?」
「It's not a big deal. Every year, we gather relatives and have a BBQ. In America, most families have a BBQ party on Independence Day.」
「Is that so?」
(独立記念日のBBQか、楽しみだな。親戚が集まるのか......)
「Also, we are going to the ballpark tonight. Are you ready?……野球場に行くの?? 良くわからないな」
シティパークの芝生広場に入って行くと、ビールやワイン片手に談笑している集団が見える。
(公共の場でアルコールは飲めないはずなのだが......July 4thは特別な日なのだろう)
公園を見渡す。BBQグリルを取り囲んだ幾つものグループが見える。芝生を子供達が、元気に転げまわっている。これが独立記念日のBBQ風景なのだろう。
ジェフがひとつのBBQグループに向かう。20人位の子供から老人までの集団に合流する。流雲が後に続いて歩く。
一斉に「Happy July 4th !!」の声がかけられる。デカイ炭火のBBQグリルからモクモクと煙が立ち昇っている。大人たちがグリルを囲み円陣を組んでいる。ジョージさんご夫妻も輪の中にいて、ビールが手渡される。
「Happy July 4th !!」
「Happy July 4th. Nice to meet you. My name is Harumo Hongo.」
ジェフに親戚に紹介される。ジェフに倣って軽く、ビールを掲げる。
「Cheers. Happy July 4th !!」
「Happy July 4th !!」
「Happy July 4th !!」と声を掛けられる。
日本人が珍しいのか、流雲は子供たちに取り囲まれピクニックテーブルに座る。ひと時、子供たちのおしゃべりに付き合わされる。おしゃべりが一段落すると、お茶目な女の子が紙プレートを眼の前にセットしてくれる。流雲は大人の会話に入れず、子供たちを相手に遊んでいる。
スペアリブのBBQ、ホットドッグ、ハンバーガーを豪快に盛り付けた大皿がドーンとテーブルの真中に置かれる。ポテトサラダやコールドスローなどのサラダ・ボウルが並べられ、思い思いに紙プレートにのせる。
流雲の前に、トウモロコシの丸焼きのプレートが回ってくる。
ワイワイ騒ぎながら、焼き上がったばかりのトウモロコシにかぶりつく。ビールが手渡される。
「Happy July 4th !!」
「Happy July 4th !!」と、また乾杯する。
(本当に、嬉しいんだな。日本には独立記念日はないから、分からないけど。老人も大人も子供も、一緒に喜んでいるのは中々良いイな)
流雲はをスペア・リブかじり、ホットドッグを食べながら、紹介されたジェフの親戚が誰が誰か分からないままに、July 4th パーティの渦に参加する。
July 4thの陽が西に傾き始めた頃。
「It's almost sunset time, so I think I'll go to Mile High Stadium to watch a baseball game.」
「Okay, But wouldn't it be rude to leave the party?」
「No problem. That's okay. No one cares. My friends are waiting for me at the stadium. Denver doesn't have a major league team,……デンヴァーにはメジャーのチームがないけど……but it does have a minor league team, the Denver Bears. We have a special game tonight.」
(やっぱり、野球見に行くのか。これがはじめての本場アメリカの野球観戦になるな)
流雲達がマイル・ハイ・スタジアムに到着した時、既に試合は始まっていた。
「Denver Bears vs Kansas City Cowboys」の試合は、5回まで進み5対3でベアーズが勝っていた。ジェフの数人の友達に紹介される。ホリーとアンも来ている。簡単に挨拶を済まして、3塁側の内野席フェンス近くのシートが確保されていた。
座ると、直ぐにビールが回ってくる。
「Happy July 4th !!」
「Happy July 4th !!」と声がかかる。
マイナーリーグの試合は、もの凄い人気で100%を超える観客で溢れ返っている。外野の芝生席も満席だ。それほど大きなスタジアムではないが、カクテル・ライトに照らされた天然芝のグランドが美しい。
バックスクリーンのスコアボード脇に、NFL「Denver Broncos」のマスコット「ブロンコス」が嘶く姿が見える。
(驚いたな。マイナーの試合でこんなに観客が入るのか......)
試合が7回のブレイクを迎えた時、スタジアムのナイター照明が突然消えた。すると、スピーカーからアメリカ国家が流れ、ホームベースにスポットライトが当てられる。
歌手がスポットライトに浮かぶと、朗々と国歌を歌い始める。
国歌斉唱が終わると、外野のバックスクリーンから、突然、花火が打ち上げられる。
一斉に、「Happy July 4th !!」の大合唱がスタジアムに木霊する。
15分程花火の打ち上げが続くと、試合再開のアナウンスがある。試合終了後に、再度花火の打ち上げを行うアナウンスが流れる。
(そうか。この花火を目当てに野球観戦に来てたのか。マイナーリーグの試合で観客が溢れる訳だな)
野球を観戦する観客の興味は試合から花火に移行している。スタジアム全体がざわついたまま試合が終了。7対5でベアーズが勝利した。
15分程待っていると、ナイター照明が消え、花火打ち上げのアナウンスが流れる。
花火の打ち上げが始まった。
試合後の花火はひとまわり大きく、スタジアム全体を覆うほどの花火が次々と打ち上げられる。花火は日本の花火と変わらない繊細で美しい。大歓声がスタジアムに溢れる。
花火に合わせてオルガンが演奏される。花火は曲に合わせて夜空に舞う。
Alabama の“ Born Country”が流れると、スタジアム中が大合唱に包まれた。
(結構、迫力ある。花火をまじかに、真下で見られるからだ。これはこれで迫力ある)
ジェフが思い出したように
「Ryu, These fireworks are launched by a Japanese fireworks artist.」
「Are they inviting a Japanese fireworks artist?」
「That's right. these fireworks came to Denver's Independence Day Tradition.」
(そうなんだ。花火師が日本から来ているのか、独立記念日の年中行事になっているのか)
流雲は東京隅田川の花火を思い出していた。アメリカの花火にしては日本の花火に似ていると思ったら、日本の花火だった。
こんなロッキーの麓の街で、日本の花火が見れるとは想像もしていなかった。日本の花火の優秀さが世界に広がっているということなのだろう。
思い出深い July 4th になった「Happy July 4th !!」。
流雲はデンヴァー暮らしに慣れた頃「森」を探した。
東京麻布山の有栖川宮記念公園の森、伊勢原本郷村大山の森、学生時代の白金の丘には自然植物園の森があった。
流雲の暮らしに森は密接な関係にあった。こどもの頃から、森に佇み森と時間を共有し、心の潤いを満たしてきた。
そして「Washington Park」に辿り着いた。
ワシントン・ パークは、流雲のアパートから僅か20分程の所にあった。こんな近くに森があるのに驚かされた。ワシントン・パークは広大な森林に囲まれていた。
ワシントン・パークは、1899年から1908年にドイツの造園家 Reinhard Schuetze 氏の設計によるものです。165 エーカー (0.67 km2)の広大な敷地に2つの人造湖「 Smith and Grasmere lakes」とひとつの池「Lily Pond」がある。
ワシントン・パークは、白金台の森を思い起こさせた。自然植物園の森のように、常緑樹の森と広葉樹の森がある。住宅地の中をゆっくりと時が流れる自然林なのも良く似ていた。
森の中には、人造湖の周りを一周するトレイルがある。散歩中に足下に野生のリスが走り抜けたり、野鳥の囀りが木霊する。
流雲は、森に漂う凛とした清涼感の心地よさに心が洗われた。週に数時間、森に佇む時間が習慣化した。




