23 朝風呂の噂話
リュックいっぱいに様々なアイテムを詰め込んだ小野が並行世界に戻ってきたのは、春之助が例の書状を読んだ翌朝だった。
小野は、消えるくんで姿を消したまま、春之助の自室の隅で春之助が起きるのを待つ。
しばらく待っていると、春之助の自室の障子が開いて、父親が顔を覗かせた。
「春之助、朝風呂に行くぞ」
春之助が目を擦りながら起きた。しばらくぼーっとしていたが、父親からもう一度声をかけられると、ようやく布団から出て着替え始めた。
小野は部屋の隅でその様子を眺める。なんだろう、これって完全なプライバシー侵害なんじゃないだろうか。春之助くん、ゴメン。
春之助と父親は、二人で桶を持って近くの湯屋に向かった。小野も姿を消したままついていく。
「春之助、これからは朝風呂へ行くんだから、夜は家で風呂に入らなくてもいいんじゃないか? 薪代も馬鹿にならんし」
「父上、前にも申し上げたとおり、私は湯浴みが大好きなのです。他の贅沢はいたしませんので、どうかこれだけはお認めください」
「まあ、キレイ好きなのは良いことだがな」
などと、たわいもない話をしながら、二人は湯屋に到着した。父親が受付に声をかけ、何故か女湯に入って行く。
「父上、どうして与力は朝の女湯に入るのですか?」
刀掛けに刀を置き、脱衣所で服を脱ぎながら、春之助が父親に聞いた。
「この時間、女性は食事の準備等で忙しくて誰も来ない。一方、男湯は、仕事前の者や夜遊び帰りの者など、色々な素性の者が来る。そこで、我々は女湯に入れてもらって、男湯の会話をこっそり聞いて、世情を学んだり、何か事件が起こっていないか調べたりしているんだ」
「なるほど」
「ただ、これが事件の役に立ったことは一度もないがな」
そう言って笑うと、父親が脱衣所から洗い場へ移動して、身体を洗い始めた。春之助が首を傾げながら後をついていく。
脱衣所と洗い場の間には、特に間仕切りがないので、小野はとりあえず脱衣所で待機する。
先程の会話を踏まえると、真面目な春之助は男湯の話し声に注意するだろう。そんな中、男湯から清吉とお仙の噂話が聞こえてくれば、春之介は気にしてくれるのではないか……
そう考えた小野は、脱衣所の男湯と女湯の間仕切りに近づいて、他の客の声に紛れて声を落としながら、上を向いて喋った。
「そういえば、堀端屋のご主人の娘さん、最近見ないね」
次は低めの声で話す。
「ああ、お仙さんね。ほら、この前に堀端屋の庄吉が同僚の手代に殺された事件があったろ? あの後から塞ぎ込んでるらしいぞ」
「へえ、お仙さんは庄吉といい仲だったのかね」
「あのろくでなしがお仙さんといい仲になる訳ないだろ。捕まった手代が好きだったって噂だ」
「へえ、そりゃ可哀想に。何があったのかね」
一人二役をこなした小野は、ドキドキしながら静かに反応を待った。
流石に一人二役は無茶だったかな……
小野が半ば諦めかけたその時、春之助が小声で父親に尋ねる声が聞こえた。
「いま男湯から聞こえてきた堀端屋の殺しの件、父上はご存知ですか?」
「ああ、知ってるよ。清吉という手代でな。自首してきている。奉行の前でも素直に罪を認めていてな。近々取り調べる予定だ」
父親が身体を洗い終わり、奥の浴槽へ向かった。慌てて春之助もついていく。
浴槽のある部屋は、湯気が出るのを防ぐためか、入り口がかなり低くなっている。春之助と父親が身体をかがめて中に入って行った。小野は、とりあえずその入り口前に屈み、中の二人の会話に耳をそばだてた。
「……父上、その取り調べに私も出席させていただけないでしょうか?」
「うーん、そうだなあ……まあ、簡単な事件だし、ちょうどいい勉強になるかもしれん。いいぞ。今度の取り調べに同席しなさい」
「ありがとうございます!」
どうやら春之助は清吉の事件に関与できることになったようだ。
良かった、一歩前進だ!
小野は、湯屋で服を着たままリュックを背負って待ち続ける状況に少し悲しい気分になりながら、春之助達が風呂から上がってくるのを待った。
† † †
湯屋から家に帰ってきた春之助達は、食事をした後、出入りの髪結いに髪型を整えてもらい、出勤用の継裃に着替えた。
父親は慣れたものだが、春之助は少し嬉しそうな気恥ずかしそうな顔をしている。それを母親がニコニコ笑顔で見ていた。
春之助と父親は、昨日の帰り道と同様、お供一人を連れて奉行所へ出勤して行った。
出勤途中、父親の後ろを歩く初々しい春之助の継裃姿に、建物の陰で町娘がキャーキャー言っているのが聞こえた。ちょっと羨ましい。
出勤後、春之助は、父親や先輩与力から頼まれた雑務の処理に追われた。結構忙しそうだ。
先輩与力に頼まれた仕事が終わり、一息ついていると、春之助のところへ父親がやってきた。何やら書類の束を抱えている。
「今朝の湯屋で話に出た堀端屋の清吉の一件記録だ。明日取り調べをする予定だから、しっかり読んでおきなさい。それじゃあ私は別の取り調べがあるから」
「ありがとうございます!」
足早に部屋を出ていく父親の背中にお礼を言うと、春之助は書類の束を開いて読もうとしたが、先輩与力から先例の調査をお願いされ、部屋を出て行った。
結局、清吉の一件記録を読む時間はなく、春之助は許可をもらって書類の束を家に持って帰ることにしたようだった。




