24 一件記録
夜、小野が昨日と同じく姿を消したまま春之助の自室の隅でウトウトしていると、春之助が寝間着に厚手の羽織姿で戻ってきた。食事と風呂を済ませたようだ。
「うう、寒いなあ」
春之助は、そう独り言を言うと、行灯に火を点し、女中が持ってきてくれた炭を入れた火鉢を文机の右側に持ってきて座ると、時々手を火鉢にかざしながら、一件記録を読み始めた。
小野も翻訳ゴーグルをかけて、春之助の左肩越しに覗き込む。
一件記録によれば、清吉の供述は次のとおりだった。
……事件当日夜、清吉は夜遅くまで店の帳簿の整理をしていた。本当は、同僚の庄吉と一緒に整理するはずだが、庄吉は具合が悪いと言って先に部屋で休んでいた。
帳簿の整理を終えた清吉は、書類を土蔵に片付けるため、店の奥へ向かった。
縁側を歩いていると、縁側に座ってボーッとしている庄吉を見かけた。
仮病だったことを知って怒った清吉は、懐に持っていた母の形見である小刀で庄吉を刺したところ、庄吉は縁側から中庭に転がり落ちて、絶命した。
なお、小刀は庄吉の背中に深く刺さり、傷口は乱れていた。傷口や衣服の破れ等から、刃を横向きにして刺したものと思われる。
事件当日、店の主人と妻、番頭は、取引先に泊まりがけで挨拶回りに出ていて不在だった。主人の娘は一階の自室で寝ており、先輩の手代や小僧達も二階で寝ていて、事件に気づかなかった。
翌朝、起きてきた先輩の手代や小僧に清吉が事態を説明し、先輩の手代に連れられて近くの自身番に自首した……
「この店の主人の娘が、お仙さんか……」
春之助は、そう呟くと背伸びをした。伸ばした左手が、一件記録を読むのに気を取られていた小野の体に当たった。
「え? だ、誰⁉」
春之助が驚いた様子で左後ろを見た。慌てた小野は逃げようとしたが、重いリュックに引っ張られ、バランスを崩して尻餅をついてしまった。
「いたた」
「ひっ……」
尻餅の音と声に驚いた春之助が立ち上がって部屋の中を見回す。誰もいない。
「どうした?」
大きな音に気づいた父親が、障子を開けて部屋を覗いた。
「へ、部屋に誰かが……」
「誰もいないぞ? 書類を読んでて居眠りでもしたんじゃないか?」
父親が部屋の中を見回した後、笑って帰って行った。
春之助は、静かになった自室を見回すと、怯えた様子で呟く。
「も、もしかして、あの書状の祟りじゃ……」
まずい。このままだと、怖がってこの事件から手を引きかねない。そうなると、冤罪を防げずに臨終時幸福度が下がったままなんてことに……
小野は、姿を消したまま尻餅をついた場所に座り、優しく小さな声で話しかけた。
「た、祟りじゃないよ。春之助君を助けに来たんだよ」
「だ、誰なの?」
春之助が、おそるおそる声のする方に向かって尋ねた。
春之助に誰何された小野は慌てた。咄嗟のことで何も思い浮かばない。
「あ、あの、怪しい者じゃないよ」
絶対に怪しい者だよなあ、と思いながら、小野は話を続ける。
「え、えっと、僕は、その、閻魔様のお使いなんだ」
「閻魔様?」
春之助が怖がりながらも聞いてきた。小野は、臨終時幸福度の話は避けながら、嘘にならない範囲で答える。
「そ、そう、閻魔様。このままだと、清吉さんが無実の罪で首を切られてあの世に来ちゃうでしょ? そうなると困るんで、この世で正しい裁きが行われるよう、春之助君を助けに来たんだよ」
「ほ、ほんとにそうなら、姿を見せてよ」
春之助が不信感いっぱいという顔で言った。やむを得ない。姿を見せよう。小野は消えるくんのボタンを押した。
学生服にリュックを背負って座る小野の姿が現れた。春之助が驚いた様子で小野の姿を見つめる。
「ちょ、ちょっと待ってね」
そう言うと、小野はリュックを置いて立ち上がり、リュックの中から閻魔様の法廷に出るときに着る衣装と冠を出した。
本当は、枕元に立って神の御告げのように話す場面を想定していたのだが、まさかこんな状況になるとは。春之助の前で慌てて着替える。恥ずかしい……
「ほら、ね?」
閻魔様の法廷の衣装を着た小野が、笑顔で春之助に言った。急いで着たので、冠は傾き、衣装も乱れている。
春之助が怒ったような恥ずかしいような表情で聞く。
「ずっと姿を消して私を見ていたの? もしかして、お風呂や厠も覗いてたの?」
「の、覗いてなんかないよ。安心して!」
湯屋にはついて行ったが、家の風呂やトイレは覗いていない。嘘にはならないよな、と自分を無理矢理納得させながら、小野は答えた。
それを聞いた春之助は、少しホッとしたようだ。確かに年頃の子が知らない間に覗き見されてたら嫌に違いない。
「驚かせてゴメンね」
小野は謝った。それを聞いて少し落ち着いた春之助が小野の前に正座した。慌てて小野も正座する。
「閻魔様の使いに失礼なことを言って申し訳ありませんでした」
そう言って、春之助が頭を下げた。小野が慌てる。
「い、いやいや、こちらこそ怖がらせて申し訳ない!」
小野も頭を下げた。慌てて頭を下げたので、冠が落ちた。小野が慌てて冠を被り直したが、またすぐに落ちた。
「ぷ、くく……ははは」
それを見た春之助が我慢しきれず笑い始めた。小野もつられて笑った。良かった。少し安心してくれたようだ。
† † †
「……では、清吉さんは、お仙さんを庇って身代わりになっているんですね?」
「うん、そうなんだ。明日、取り調べがあるんだよね? 何とかして助けてあげたいんだ」
小野と春之助は、二人並んで文机の前に座り、一件記録を見ながら明日の作戦会議をすることにした。
こんなにサポート対象者と接して良いのか分からなかったが、ここまで晒け出したのだ。毒を食らわば皿までだ。
春之助が腕組みをしながら言った。
「ただ、清吉さんは自らの意志で身代わりになっているんですよね。それを覆すのは大変そうですね」
「そうなんだよね。何か証拠とかから上手く話を持っていけないかなあ」
小野と春之助が話していると、廊下を歩く音が聞こえた。慌てて小野が消えるくんのボタンを押す。
小野の姿が消える直前、障子が開いて、春之助の父親が顔を出した。春之助の父親が驚く。
「い、いま横に誰かいなかったか? 話し声が聞こえたので気になって見に来たのだが……」
春之助が慌てて取り繕う。
「だ、誰もいないですよ父上。私が勉強のため声を出して自問自答していたのです。こうした方が色々と考えを整理できるんです」
「春之助と違う声が聞こえたような……」
「こ、声色を変えて自問自答してるんです。こんな風に」
そう言うと、春之助が小野の声色を真似て話した。春之助君、ゴメン……
父親はまだ不思議そうな顔をしていたが、春之助は無理矢理話題を変えた。
「そういえば、父上、もし明日の取り調べで更に調べたいことが出てきたときは、私が自ら事件現場に行くことも可能なのでしょうか?」
「現場か。滅多に行かないが、どうしても行かないと分からない場合は、行ってもいいぞ。何か気になるところがあるのか?」
「いえ、初めての取り調べですので、もしそのような疑問が出たときのため、事前に聞いておこうと思いまして」
「そういうことか。まあ初めてのことだし、自分が納得できるまで調べていいぞ」
「ありがとうございます!」
「それじゃあお休み。あまり夜更かししないようにな」
「分かりました、お休みなさい」
父親が障子を閉めて歩いて行った。しばらくしてから、春之助がふうっと息を吐いて安堵した。小野が消えるくんのボタンを押して姿を現した。
「危ないところだったね、ありがとう」
小野が小声でお礼を言った。春之助が小声で答える。
「危機一髪でした。でもこれで今晩は大丈夫そうですね。あと父上から私が納得できるまで調べてよいとの言質も取れましたし」
「すごい機転だね、春之助君!」
「ありがとうございます!」
小野が素直に感心してそう言うと、春之助が笑顔で答えた。二人は夜遅くまで小声で話し合いながら作戦を練った。




