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『yamamoto2580』  作者: しもたんでんがな


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9/20

バグを8件登録 「正解」



それは、颯太が前から何度も「観たい」と言っていた映画だった。客のまばらな場内はすでに薄暗く、足元の小さな照明だけが頼りなく灯っている。

場違いなほど大きなポップコーンとコーラを抱えた颯太の隣で、素直は肩に食い込んでいた鞄を足元へ下ろした。置いた拍子に、詰め込みすぎた参考書がひょっこりと顔を出す。

素直は軽く肩を回し、濃い赤のビロード張りの座席に身体を沈めた。すると、ポップコーンの香ばしい匂いがふわりと漂ってくる。


「ソルト、キャラメル。……な」

「正解」


頷いた素直を見て、颯太は満足げに口角を上げた。


「俺。…あんま、り。……好き、ジャナイ……」

「食ったら好きになっちゃうよ?」


わざと含みを持たせて言うと、颯太はしばらく硬直したまま黙り込んだ。

やがてポップコーンを一粒つまみ、そのまま素直の口へ押し入れる。


「おいっ」

「……。…誰、も。見ない…。……なら…何、しても。いい…。……でしょ…。……な?」


避難めいた視線を向けると、とんでもない言葉が返ってきた。

ろくに人がいないと分かっているのに、つい焦って辺りを見渡す。

視界の端で、颯太が自身の指をぺろりと舐めるのが、嫌に鮮明に映った。


「スキ?」

「はい。好き好き」


口いっぱいに広がる甘みを舌先で潰しながら、素直は上着を脱いで膝の上に置いた。やがて足元の照明がすっと落ち、重厚なカーテンが左右に開く。スクリーンに映し出されたのは、モノクロで描かれる一人の画家の生涯だった。荒々しい筆致と、病的までの色彩への執着がナレーションと共に淡々と語られていく。本来なら、その引力に引き込まれる場面のはずだった。だが案の定、難解な台詞回しが続くにつれ、素直の意識はゆっくりと微睡みの底へ沈み始める。


駄目だ。駄目だと思っている時点で、もう駄目だ。

土産屋でマグカップ買って帰るから許してくれ、そんなことを考えながら、素直の瞼は何度か持ち上がろうとして、やがて重さに負けた。

しかし意識が揺らぎ、カクンと頭が傾いたその瞬間、突如スクリーンの閃光が場内を白く染め上げる。微睡みの縁で、視界の端に捉えた颯太に、思わず息を飲んだ。

何で。何で格好良く見えている。

そこには、いつものありふれた顔を剥いだ颯太がいた。モノクロの光を反射し、銀色に縁取られた鋭利な美しさ。彫刻のように通った鼻筋から、薄い唇へと続く指で辿りたくなる線。

そして暗闇の奥で、獣のような鋭い光を宿した青い瞳。その奥には、動揺を隠せない素直の姿が、はっきりと映り込んでいた。

ここ暫く遠ざけていたはずの顔が、急に現れた。意表を突かれた素直は、ただ颯太を眺めることしかできなかった。

けれどすぐに、見慣れた輪郭が戻ってくる。


「…颯太」


素直は無意識に、数秒前まで青かった瞳に吸い寄せられた。


「俺の、顔…。……何…つい、てる?……変?」

「変じゃない」

「素直…すごい、顔…。……やめて。な?」


至近距離から落とされた囁きが、鼓膜を震わせる。

抗いがたい色気を帯びた声が、背筋を鋭く駆け上がる。

何度か視線が絡んだ瞬間、ポップコーンを頬張ろうとしていた颯太の手が、ぴたりと止まった。


「っ、いや、ごめんっ……なんでも、ない」


まるで合図だった。息を乱した素直は、反射的に顔を伏せた。目を何度も瞬かせる。肘掛けを掴む手に、無意識に指先が白くなるほどの力がこもった。

深い闇に包まれた座席へ身を沈めると、素直は固く瞼を閉じた。これ以上踏み込ませまいと、胸の奥で暴れる動悸だけに意識を集中させた。


眠ったふりをして、規則正しい呼吸を無理やり刻む。すると、かえって意識が闇の中で冴え渡り、隣の気配をついつい追いかけてしまう。

ややあって、肘置きに預けた素直の手に、颯太の指がそっと触れた。瞬間、素直の指先が小さく跳ねる。

そのわずかな震えを、颯太に気づかれた気がした。

優しい仕草のまま、けれど逃がす気などないとばかりに、颯太は有無を言わせずその指を絡め取る。そのまま、二人の手は静かに重なり、離れなかった。


見たいと言った張本人のはずなのに、颯太はスクリーンに目もくれない。見なくても分かる。執拗で、飢えた視線。そのすべてが、今、こちらへと向いている。

暗闇の中、横顔をなぞる気配が、チリチリと肌を弾く。

呼吸の間合いさえ測られている気がして、背筋にどうしようもない悪寒が走った。

映画のクライマックスを告げる派手な閃光が、閉じたまぶたの裏でちらつく。館内には激しいオーケストラが鳴り響いているはずなのに、耳が拾うのは、隣で少しずつ速まっていく颯太の呼吸音だけだった。

ギシリ、と重苦しくシートが軋む。身を乗り出してきた気配が、至近距離まで迫る。

喉元が大きく上下する音が、すぐそばで鼓膜を震わせた。その次の瞬間、逃げ場のない右頬に、鈍い痛みが走った。


「っ……!」


思わず零れそうになった悲鳴を、済んでのところで喉の奥へと押し込んだ。

皮膚が引き絞られ、頬に鈍い痛みが走る。

歯はどこまでも食い込み、己の所有物だと刻みつけるように、さらに深く沈んでいく。息を呑む間もなく、その圧は増していった。

暗闇に紛れ、頬の柔らかさを確かめる颯太。

噛みついたまま吐き出される熱い息が、頬の産毛を撫でた。

いってえわっ。今すぐ目を開けて、驚く颯太の顔をぶん殴ってやりたい衝動が喉元まで込み上げた。けれど、こんな暗がりでしか本性を出せない臆病な颯太を、もう少しだけ垣間見ていたいとも思ってしまう。結局、素直は重い瞼を閉じたまま、抗うことなくその痛みを静かに受け入れ続けた。


「素直、エイガ…。……難し、かった?な?」


不意に颯太が覗き込んできて、視線がまともにぶつかった。慌てて前を向いた拍子に、歩幅が乱れる。右と左、どちらの足から踏み出したのかさえ、分からなくなるような奇妙な感覚。上映後の劇場を出た素直の足取りは、ひどくおぼつかない。

お前は何で何事もなかったかのように振る舞えるんだ。素直は、ニコニコと善人のように振る舞う颯太を、またぶん殴ってやりたくなった。


数歩後ろをついて来るスキップ気味の颯太。いつもより少しだけ着崩されたシャツの襟元と、夜に溶ける髪。どれも今の素直には飛び切り相性が悪かった。具合が悪くなりそうだ。

夜風が火照った肌を冷たく撫でても、耳の奥には数分前に聞いた颯太の低い呼吸音が、まだこびりついたままだ。

伏せ目がちに捉えた颯太の横顔は、いつの間にかまた見慣れた平凡な顔に戻っていた。けれど素直は知ってしまった。颯太の奥で、静かに息を潜めるものを。


「うん……正直、よく分かんなかった」


ショーウィンドウのガラス越しに、他人行儀な距離を保った素直たちの影が映る。全く違う歩幅のせいで、何度撒いてもすぐに距離を詰められてしまう。不意に触れ合う肩や腕。そこから伝わる熱があまりに強烈で、素直は弾かれたように身を竦めた。

突き放したいのか、抱きしめたいのか。自身でも分からないほど曖昧な距離のまま、素直は夜の街の片隅で、ただ足元を見つめ続けていた。


「…っ、チョット…。……止まって…って」


唐突に颯太の指先が素直の腕を捕らえた。軽く掴まれただけのはずなのに、そこから広がる痺れるような感覚が素直の自由を簡単に奪う。


「っ、なに?」


声を上げた素直に、通行人たちの視線が集まる。慌てて掴まれた手を振り解こうとするが、びくともしない。


「何…じゃ、ない…お前…靴、の……紐…解けて。……いる…。……からな。…危ない、だろ」


そう言うと、颯太は何の躊躇もなくアスファルトの上にひざまずき、にっこりと口角を上げた。街灯の逆光を背負い、巨大な影となるその背中。それを見下ろしながら、破裂しそうなほど速まる鼓動を必死に押し殺す。

颯太の、テンプレートな王子様のような仕草。それを受け入れきれない己と、顔見知りに見られるかもしれないという焦り。いくつもの感情が重なり、動悸となって押し寄せる。

唇を強く噛み締めたまま、ただ立ち尽くす。挙動不審に揺れる視線が、颯太の項へと落ちた。

そして、はたと気づく。見上げてばかりで意識していなかったが、つむじが三つもある。ちょっと、おもろいな。


「もしかして………………気づいてた?」

「…気づいて、ない…。……コトニ…させ、て。……もらって、る」


それ、日本語おかしいって。




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