バグを6件登録 「……まっっず!」
「………え、何それ?」
普通に別れ話かと思ったじゃんか。身構えていた素直が素っ頓狂な声をあげた。
「俺が。…好きな。……の。……わかる、だろ?」
「全然、分からない」
なんとも断りにくいことを言う。どうやら説明をする気はないようだ。
素直は真剣に考え込む表情を作ったまま、颯太の言葉を待つことにしたが、思わず思考が漏れた。
「……う、ん」
「チガウ」
秒で否定した颯太。こちらに釣られたのか、やけに深刻そうな表情を浮かべた。差し出してきたのは、ひし形の不気味なほど真っ黒な物体だった。
「何?おもちゃ?」
「…………クチに。…入れて。くれる?」
「はぁ?」
「アム、アム」
躊躇している間にも、大口を開けた颯太がジリジリと迫ってくる。
指先でひとつ潰してみる。固い。プラスチックみたいだ。
得体の知れないものを他人に勧める、その斬新さに感心しながらも、素直はこたつの中から颯太の泳ぐ視線を追いかけた。
「イヤ。?」
卑怯だ。卑怯がすぎる。
態度と言葉がアベコベな颯太を前に、思わず胸元を鷲頭かむ素直。
視線が合うたび、逃げられ、また追う、それが何度か続いた。
不自然に言葉を区切る、その横顔。自信なさげに揺れる艶やかなまつげ。
やはり、こんな季節にこたつを付けるもんじゃない。熱に当てられ、素直は思わず息を止めた。そして、こみ上げる動揺を誤魔化すように、箱の中の粒を鷲掴む。
よく分からないまま、乾ききった口の中へ、それを一気に放り込んだ。
「アッ。そんな…。……っ、ヤメ」
なんか卑猥に聞こえる颯太の制止は間に合わず、目を見開いた素直はしばらく顔をしかめたまま案の定、口を閉じることも忘れて情けなく叫んだ。
「……っ!? ……まっ、まああああ!」
舌に乗せた瞬間、貼り付く硬さに思わず眉を寄せた。
つい、唾液を纏わせてしまった。途端、鼻を突き抜ける異臭。鼻腔の奥を小突かれたように、涙が滲む。
途方もない苦味と、刺すような塩気が口いっぱいに広がる。
素直は悶絶しこたつ布団を掴んでのたうち回った。
「……まっっず!颯太、これ天変地異かってくらいまずいよ」
「………ふっ…」
素直が限界まで目を見開いて訴えると、颯太が他人事のように小さく吹き出した。瞬間、颯太から滲んでいたピリピリとした緊張が、音を立てて崩れるのを感じる。
「…俺。の……場所。……の。……こと、だ」
「故郷な」
貶し辛いことを言う。恨めしい表情を向けると、察したのか、颯太が笑うように息を漏らした。
必死に視線を泳がせティッシュを探すも、寝室にしかないことを思いだした。口で息をした瞬間、それが舌の上で暴れる。八方塞がりだ。
「世界……で、一番。…まずい。……。…言われてる、の。……知ってる…だろ?」
「知らないって……なんで、こんなの……っ、はは、でも……なんか、颯太っぽいかも」
「………。…なんだ。…それ。……。…素直」
上擦った声で鼻を鳴らすと、二人は顔を見合わせ、同時に吹き出した。
食うんじゃなかったとは思わなかった。また食おうとは思わないけれど。
涙目のまま、笑い混じりに舌の裏へ異物を押し込んだ素直は、頬を微かに窄めて、黒く染まった舌を颯太へと見せつけた。 颯太はその様子を慈しむように見つめた後、静かに瞼を閉じ、わずかに口角を上げる。そのまま、こたつの中で素直の足をぐいっと自身の方へと引き寄せた。
ラグに頭をぶつけながら転がった素直は、気まずさが消えた解放感も手伝って、いつもより大胆に動いた。颯太の肩に頭を預け、さらに追い打ちをかけるように胸元へ顔を埋める。
不意に密着された颯太は、普段は見せない素直の甘えた態度に、目に見えて狼狽した。漆黒の髪の間から覗く耳の先が、みるみるうちに熱を帯び、真っ赤に染まっていく。
「…っ、オマエ。…急に、寄る。な……。……シンゾウ、に。……悪い。な?」
「なんさ、引っ張ったの颯太じゃん」
颯太は照れを誤魔化すように、ズボンの後ろポケットからスマートフォンを取り出し、コンクリートの壁にアプリで映画を映し出した。間接照明の柔らかい光に照らされ、しばらくすると、ぼんやりと海外のサスペンスドラマが流れはじめる。
けれど、颯太の意識は完全に素直へと向けられていた。
服の裾を無意識に弄る素直の指先が、ファスナーを上げるか下ろすか迷うように、かすかに揺れる。このまま潜り込むかとでも言うように、襟元に触れて、わずかに弾いた。
ふと、こたつの中から、急かすような熱がじわりと滲む。颯太の吐息が、素直の肌をじりじりと焦がして、思考を緩ませていく。
「……素直」
「んー?」
「……俺。……言いふらし、たい。……素直、のこと。……全部。……だ」
颯太が耐えかねたように、そっと素直の手首を掴む。
「ん?」
「素直、お前…は。……俺、の。だって、自慢…。……させて。よ」
ぴくりと反応した身体は、隣に横たわる颯太の胸元へといつもより強引に引き寄せられた。素直の頬が少し熱を帯びるのを感じながら、颯太はゆっくりと視線を落とす。
「それで羨む奴いないと思うけど」
「オレ」
なんだそりゃ。また颯太の訳の分からないところに引っかかる。
最近ずっと考えてる。言うか、言わないか。でも、考えれば考えるほど分からなくなる。
友達なのか、セフレなのか、恋人なのか。この関係は、一体なんだ。分かりきっているが、分かりたくなかった。いっそ、そこから一緒に考えようって言えたら楽なのに。
「じゃあ、颯太が分かってれば良いだけじゃん。お前のとこと違って、俺はまだまだこの国、閉鎖的だと思うぞ。それにお前は事務所入ってるんだから、違約金なんてことになったら目も当てられねぇぞ」
なんとかそれらしい大義名分を掲げて場を凌ごうとすると、触れ合っている颯太の呼吸が、ふいに深くなった。
微かな上下を繰り返す視界の中、脳裏にはよくない未来ばかりが次々と浮かんでは消えていく。
「それ。……何回も、聞いた。…オレの。……そっち、の。……ジムショ、じゃない。…から。……ダイジョウブ、だ。な」
「あっちでもどっちでも、俺がビビりだから嫌なの。はい、この話終わり」
強制終了が、ここ最近のお約束だ。
とにかく嫌だと思う。セフレと言われたら普通に傷つくし、恋人だと言われたら、多分絶対立ち直れない。そして、きっと颯太が言ってくれるのは後者だ。
だから、曖昧なままでいい。言って欲しいと、言わないで欲しいを脳内で繰り返す。この気持ちの正体を紐解こうとすると、どうしても薄情な己と向き合うことになる。
「ぬぅあぁあっ」
思わずこぼれた泥のような感情を、冗談めかしてごまかす。
足場がぐらつく。都会での毎日は、ずっと綱渡りだ。
絶対言わないけど、肇でさえ、まだどこか現実味がない。それが都会では珍しくない光景なのだと理解はできるが、それはあくまで知識として「理解」だ。
そして恐らく、今胸元を貸りている颯太は、さらに先を行っている。
住む世界が違う。そんな得体の知れない存在が、文字通り心臓の音が聞こえる距離にいる。その事実は、たまらなく心地よく感じると同時に、喉の奥がヒリつくような焦燥を連れてくる。
「当分このままだ、な」
「もう。……限界。が…くる……。…んだ、だ。…ろ?」
「へいへい」
ごめん、と思う。きっとこのまま、颯太の望みを叶えられないまま、大学を卒業する気がしていた。
言わないままなのも、このまま。パスワードも、このまま。
産毛に触れそうな距離で、視線が絡む。けれどそこにあるのは、記憶の奥に焼き付いた青い瞳ではない。
今、映っているのは、やはりなんの特徴もない男の顔だ。そのくせ、こたつに収まりきらないほど長い手足と、やけに心地いい声。
ちぐはぐにしてしまった男が、好きだと全身で伝えてくる。
秘密を明かして、甲斐甲斐しく世話を焼いて、それでいて今も必死に己を抑えている。笑ってしまうよ。本当に。
欲しい、と思ってしまった。分かってるのに。だが、受け取ったが最後、振ってしまう自信があった。
「お前……。……あんまり。……じっと。……見ない。で…。……こまる、んだ。…。……な?」
最後に残るのは、どうしようもなく純度の高い「好き」だった。
それが己のものなのか、颯太のものなのかも分からない。判別のつかない二つの鼓動が、脳内を激しく揺さぶる。
視界が開けていたときは、颯太の平凡な顔のおかげで、向けられる感情ともまっすぐ向き合えていた。どこか他人事でいられたのかもしれない。
けれど今は、触れ合った箇所から侵食してくる熱に、正気を失いそうだった。
「…颯太……俺、心臓壊れる」
さっきまで大事に抱えていたはずの不安が、途端に霧散する。
暗闇に漏れた声は、自身でも驚くほど熱く、微かに震えていた。
素直はごめんと思いながら、視界を塞ぐ颯太の大きな手に指を絡め、縋るように力を込める。そのまま、自由な方の指先で、颯太の胸元にあるファスナーの冷たい感触をそっとなぞった。
「……っ、ふ……」
空気が足りない。 押し寄せてくる圧倒的な熱に息が詰まり、素直は縋るように颯太の腕へ指を食い込ませた。
普段なら、厄介な手癖のせいでファスナーの一個や二個、とっくにバラバラに分解しているだろう。けれど今は、身体の大事な部品を引っ抜かれてしまったようだ。最早、指先を動かす余裕すら残っていなかった。
「……お前、すごい。…顔、して……。…いる。ぞ…。…そんな、に…。……見な、い……で。駄目」
「駄目?」
「……。ダ、メ」
颯太が心底嬉しそうに、拒絶する。
お前にだけは言われたくない。反発とは裏腹に、颯太の声は容赦なく素直の臓を揺さぶる。
狭まった暗闇の中、颯太の乱れた髪がふと肌を擽った。そのわずかな感触さえ逃したくなくて、素直は閉じた瞼をさらに強く閉じる。
部屋には映画の悲鳴だけが響く。誰も見ていない画面の向こうで、今ちょうど誰かが殺された。どうにか、ハッピーエンドになったら良い、思うが、そうならないのが世の常だ。
気づけば、颯太のズボンのウエストにそっと指をかけていた。




