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『yamamoto2580』  作者: しもたんでんがな


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6/21

バグを5件登録 「ビールまだあったっけ?」




案の定、講師にもぐり受講がバレた颯太は、くどくどと注意を受けて出禁を食らっていた。

講義を終えた素直は、講義室前で不機嫌そうな肇と別れ、遅れてやって来た颯太と並んで歩き出した。


「あーっ! サミくん、みっけ!」


不意に、少し離れた場所から颯太を呼ぶ声が飛んできた。その瞬間、颯太の表情がぴたりと固まる。

あ、やばい。そう言っている顔に、素直は思わず顔を顰めた。

大学のエントランス前で待ち伏せていたのは、七瀬だった。

颯太に気づいた七瀬は、ぱっと顔を綻ばせ、そのまま軽やかな足取りで近づいてくる。

やわらかな質感のパステルブルーのモヘアカーディガンを纏った七瀬。

今の素直には見えない颯太の瞳の色を仄かに匂わせるその色は、素直の気分と重なるように、夕暮れの底へと沈んでいった。


「ちょっとぉ、今日の講義、またサボったでしょっ 先生怒ってたよ?」


高い声がエントランスの大理石に反響する。帰路に着く学生たちの視線なんてお構いなしに、七瀬は一直線に颯太のもとへとやって来る。そしてそのまま、素直と颯太の間へすっと入り込み、真っ白なトートバッグで素直の進路を阻んだ。迷いも遠慮もない、あまりに自然な割り込みだった。


「……ごめん、ね?」


応えるように口角を上げ、わずかに身を屈める颯太に、七瀬は瞳を輝かせた。

家合流でいいか。素直は気配を消しながら、そっと後ずさる。が、その動きはお見通しだと言うようにトレーナーの裾を颯太に掴まれた。

しゃがんでいるせいで、いつもより少し近い距離で颯太を見上げる。

視線が合わないまま、楽しげに話す七瀬と颯太の気配を追った。

笑い声の奥にうんざりした颯太の本音が透けて見えると、ささくれ立ちかけていた素直の心が、ほんの少しだけ静まった。

素直は逃げるのを諦め、大人しく待つことにした。

七瀬は、颯太と視線が合うたびに、花が綻ぶように笑う。

その後ろに張り付いたまま動けない素直は、通りすがりの学生と目が合い、気まずさに思わず頭を下げた。


「もー、ちゃんと聞いてる?……あ、これ、この間借りたコピックのお礼。マカロン!」


七瀬はトートバッグから、水色のリボンがかけられた小箱を取り出し、そのまま颯太の目の前へ差し出した。丁寧にマニキュアを塗った指先を艶めかせ、ぐいと距離を詰める。


「ありがとう、でも。大丈夫……甘い、の。……苦手、だ」


颯太は小箱に視線を落としたまま、ゆっくりと首を横に振る。

すると七瀬は、心底残念そうに声を漏らしながらも、小箱を引こうとはしなかった。

口を尖らせた七瀬は気にした様子もなく、小箱をさらに一歩分押し出す。

その文化は颯太には通じないぞ、と思いながら、素直はラジオでも聴くみたいに二人の会話を聞き流していた。


「えー? うそ、前は食べてくれたじゃん! ……あ、そっちは?」


そのとき、不意に七瀬の視線が、素直へと向けられた。


「……俺は、大丈夫です。ありがとう」


素直が曖昧に笑うと、七瀬はあっさり興味を失ったように肩をすくめ、すぐに颯太へ向き直った。

聞こえてくるのは、画材や技法の話ばかり。分かりそうで分からない単語が、ぽんぽん飛び交っていく。

素直がちらりと振り返ると、颯太の目は少し真剣だった。その顔に、素直はほんの少しだけ安心する。こんなふうに颯太の授業の話を聞くのは、初めてだった。


やがて、二人は軽く言葉を交わし、どちらともなく会話を切り上げた。満足したのか、それでも七瀬は名残惜しそうに手を振り、そのまま人混みの中へ消えていく。

残された颯太の手には、半ば押し付けられた小箱。何度も押し問答が繰り返されたのか、華やかなラッピングは少しだけ歪んでいた。


二人は一瞬だけ視線を交わし、そのまま何も言わず歩き出す。行き先は、颯太の自宅だ。

都心の喧騒の中に佇むデザイナーズマンション。コンクリート打ちっぱなしの壁と間接照明。ソファーベッドや大きな観葉植物が並ぶ、やけに洒落た空間だ。

その真ん中に、ひときわ不釣り合いなものが鎮座している。ふかふかのネイビーの掛け布団をまとった、生活感丸出しのこたつだ。


「……やっぱ、いつ来ても引力すごいよな」

「どう?」


こたつの上、鍵と一緒に無造作に放れた小箱を顎で示し、颯太はケトルに水を入れながら問いかけた。


「ん”ーー、食うなら頑張らなきゃかも」


最大限言葉を選んだ末、素直はその包みを開けた。箱の中に並んでいたのは、横一列のペールグリーンのマカロン。

芸術学部ってロマンチックなのね、と思いながら、徹底した七瀬のアプローチに、素直は思わず感心する。


「チョコミント?」


素直が頷くと、目の覚めるような香りに、颯太が小さく鼻を鳴らした。


「……ふっ、はははっ」

「何?」


眉を顰め、訝しげに問いかけた素直と向かい合い、颯太は吹き出しながら笑った。


「素直。だったら……チョコ。に歯磨き粉、かけて食べる…なって。合ってる?」

「………………なんかムカつく」


平然と小箱をなんの躊躇もなく捨てようとする颯太の手を止め、素直はマカロンにかぶり付いた。

鼻を抜ける爽快感に身慄いする。なんで食べちゃったんだろう。全然美味しくねぇ。


「…信じら、れない」

「だって……」

「日本。には、何にでも神様。付いてる、って話でしょ?」


捨てられた空の小箱を視線で追い、素直はそのまま瞼を閉じた。

次は我が身だ、と思いたくないのに思ってしまい、ここで過ごした時間がふと、よぎる。

このこたつを囲んで、鍋もしたしタコパもした。なんだかよく分からないまま、洒落たチーズフォンデュに興じたことだってある。

素直がこれまでの日々を染み染みと振り返ると、颯太は少しだけ決まり悪そうに視線を逸らした。講義が終われば颯太の家へ直行し、飯を食って、くだらない話をくっちゃべって、終電までだらだら過ごす。その場の流れで、やることやったり、やらなかったり。今思えば、それが大きな転機だった。


「ビールまだあったっけ?」

「明日。……一限から、だろ」


颯太の視線は雄弁だった。呑ませるわけないだろ、と。

素直は思わず苦虫を噛み潰した。


「お前…は。すぐ、可笑しく…なる。……から。だろ?」


素直は釈然としないまま、深く頷いた。

颯太が外国から来たことは、出会ったときにはすでに知っていた。きっかけは、浮かれて飲み過ぎた酒の席だ。名乗ったときに「俺も山元」と言われ、嘘じゃん、となった。話を聞けば、父が日本人で、母がフィンランド人らしい。戸籍は、まだ選んでいないという。


最初は、流石だなと思うくらいの違和感だった。いきなり抱きついてきて、指まで絡めてくる。外国人ってこんな距離近いのか、と呑気に思っていた。

それが、頬へのキスがじわじわと唇に近づいてきたあたりで、さすがに「およよよ」と動揺した。いくらスナフキンと同郷だとしても、スキンシップが過剰すぎやしないか、と。

そもそもスナフキンにそんなイメージはないし。

いや俺!?という思いもある。結局、自意識過剰で片付けようとしていたところで、酒を飲んでしまった。

酒は駄目だ。

本当に駄目だった。目が覚めたときには全裸で、身体は鬱血まみれ。立ち上がる前に、膝が折れた。


『ど、どどどどど同意した!?』


寝こける颯太を恐る恐る見れば、漏れなくしっかり鬱血痕まみれで、ただ途方に暮れるしかなかった。記憶はないし、頭は痛いしで、さすがに血の気が引いた。

というか、商品傷つけちゃってんじゃん。

悪いの俺じゃん。


『訴えられちゃう、じゃん』


いよいよ恐ろしくなった素直は、結局、土下座して謝り倒すことを選んだ。そのおかげか、訴えられることも脅されることもなかった。

けれど、それで何もなかったことになるわけでもなくて。

休み時間も放課後も、気づけば隣に颯太がいた。

拒むタイミングを探しているうち、距離感は日常に紛れた。そのまま、関係が始まった。あの夜のことを気にしているうちに、同じような夜が何度も繰り返される。

何もかもを聞き出す勇気が出なくて、結局、本人には何も聞けなかった。

日和った挙げ句、Siriに相談した始末だ。「それは恋人です」と、無機質な声にあっさり宣告される。

いや、いやいやいやいや。

しばらくしてようやく意を決し、断罪するような勢いで問い詰めると、颯太は平然と言い放った。


『俺たち…は。オレタチ、だけ……そう。だろ?』


いや、どういう意味だ。三周くらい考えて、結局諦めた。

今度は知恵袋で聞いてみる。「言葉で確認しない文化らしい」って回答がついた。納得できないままベストアンサーにした。

じゃあ今まで見てきた月9は何だったんだ、とも思ったが、どれも日本の作品だ。そりゃそうか。残念だ。

そのときはさすがに、なんだか無性に悔しくて、少しだけ泣きそうになった。泣かないけど。


「素直。寒い、寒い……うるさい。……からな」


胡乱げに眺めていると、颯太は手慣れた動作でこたつのスイッチを入れた。二人は無言のまま、こたつに足を滑り込ませた。だが、室内にはどこか薄氷を踏む危うい沈黙が漂っていた。素直は亀のように首まで布団に潜り込み、小さく身を縮める。


「それ。やったら。寒く、なる。…から。……やめろ。……な?」


やめないと分かっていながら、小言が会話の糸口を探るようにこぼれた。


「もう春なんだから、寒いわけないじゃん」


四捨五入したら夏だと言っていいくらいの気温だ。こたつを付けている方が異常だろう。

生ぬるい外気が入り込んだこたつの中で、不意に颯太の大きな足が素直の腿を小突く。

隙間から逃げていく熱と、肌に触れる颯太の体温。素直は文句を言いながらも、その足を払いのけることはしなかった。


「……あの、あのさ、颯太。さっきの、ごめん」

「ん? 別に。サムくなった、くらい……で。怒らない」


大概先に折れるのは素直だ。だって嫌な気持ちになるのは嫌だから。

はぐらかす短い返事に、素直はさらに肩をすくめる。その声はそっけないが、こたつの中の空気は颯太から漏れ出すじりじりした熱で膨れ上がっていた。


「………癖なんだよな、あれ多分…集中しすぎると、手が勝手に動いちゃって……毎回、壊すつもりはないんだけど」

「…………ベツに。…気にして、ない」


いつの間にか脱いだ靴下は、こたつの隅で丸くなっている。その中で、颯太はこたつ布団の下から足先をそっと動かし、器用に素直の足首をつねった。

素肌から伝わる体温は、湿り気を帯びて素直の肌にまとわりつく。反射的に布団を鼻先まで引き上げた素直は、逃げるように身を縮めた。理由もなく胸の奥がざわついて、落ち着かない。


「驚いた……だけ、だ。……もう、お前。知らない…こと。ない。と、思ってた…から。…………てゆうか。…見惚れて。……いた」

「なんだそりゃ」

「だって…いきなり。ヴァヴァヴァヴァヴァヴァヴァッ……て。コワし、始めた…から。ナニ、起きるのか……と思って。……顔、見たら。真剣。……そうだし。……だろ?」

「バが多い」


だからごめんって、素直がこれっぽっちも心のこもっていない声音で謝る。それを見て颯太は少しだけ拗ねたような、それでいて心の底から安堵したような低い声で言葉を続けた。


「お前が……あれを、隠し事。……だって、思う…なら。俺も。……隠してる、こと。ある…ぞ。…………これ。……チイサイ時から。……好きなんだ」


颯太が決意を秘めた眼差しで、一瞬だけ素直を見つめる。やがて意を決したように背後のサイドテーブルへ手を伸ばすと、引き出しの中から、カラカラと小気味よい音を立てた真っ黒な小箱を取り出した。





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