表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『yamamoto2580』  作者: しもたんでんがな


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/20

バグを4件登録 「……壊しちゃった]



照合大学、B館第4講義室。二百人を収容する広い講義室の中央、前から三列目。そこだけが、奇妙に混み合っていた。学生たちは壁際へ逃げるように散り、その中心を遠巻きに囲んでいる。原因は明白だ。素直の両隣には、賑やかしには充分な二人が座っている。

素直は、遠巻きに様子をうかがう周囲の学生たちに気づき、その妄想を壊さないよう、そっと身を屈めた。


「素直、もっと。寄れよ。……そっち、居ると。焼ける……から、な」


颯太が低い声で椅子を引くと、手近な教科書を無造作に机へと広げた。

教室の隅々まで差し込む西陽が、容赦なく眠気を焼き飛ばしていく。照明が意味をなさない室内で、初老の教授は西陽に頭皮を照らされながら、淡々とプロジェクターを操作していた。

スクリーンには無機質なグラフが淡く浮かぶ。辺りの場違いな緊張感をよそに、機械的な明滅を淡々と繰り返す。


「うるさいっ。素直こっちおいで」


曖昧な笑みを浮かべた肇が、素直の肩を引き寄せる。

授業前、板挟みになった素直は盛大に眉を下げたまま、結局二人の真ん中に収まることになった。

鼻の穴を僅かに膨らませ、左右から突き刺さる無言の圧に気づかないふりをする。

鞄の中を漁ると、なぜか胸の奥がざらついて、落ち着かなくなった。


「……なあ。ここ、一応経済統計学の講義なんだけど。お前、確か芸術系の学部だったろ?別部の奴がここに居ていいのか?」


ノートを広げながら、素直は左隣の颯太にそっと言葉をかけた。颯太は素直の手元にある統計学の教科書を、節の目立つ骨ばった指先で無造作にめくっていく。しばらくの沈黙の後、紙を弾く音と共に颯太は低い声で答えた。


「いいんだ。アート……も。商売、できないと。食っていけない……からな」

「言わんとしてることは分かるけど………それはここでは学べないぞ」


颯太は時々、馬鹿になる。素直はこめかみを揉みながら、颯太へと教科書を少し差し出した。


「そうだ、お前の居場所はない」


窘める言葉に釣られて右を向けば、定規を当てたような姿勢で座る肇と目が合った。肇は涼しげな表情でタブレットを操作しながらも、その視線は鋭く颯太を牽制している。


「……なれ。なれ、しい。……んだよ。オマエ」

「あったりまえだろ、仲良しなんだからっ」


悪態をつきながらも肇の手は、キーボードを器用に叩き続ける。


「近い。……素直。オマエと、違って。……シャイ、だからな」

「シャイ?そんなこと感じたことないけど、ねぇ僕のこと嫌い?んなわけないね?」

「うん、でも静かだったらもっと良いと思う」


口角を引き攣らせた肇を横目に、颯太が嬉しそうに目を細めた。

「うん」「いいや」と答えるのが、最近のちょっとしたお気に入りだ。

颯太と出会ってから、時折、会話が噛み合わないことがあった。最初はただの言い回しの違いだと思っていたけれど、二人で確かめていくうちに、「はい」と「いいえ」の使い方そのものが違うのだと分かった。

日本語は、相手に合わせて返事をすることが多い。問いに同調する形で、「はい」か「いいえ」を選んでしまう。けれどスナフキンの国では違う。問いかけに対して、自身の答えが肯定か否定か、それを基準に「はい」と「いいえ」を使うらしい。世界的に見れば、むしろそちらが普通だという。

颯太が「どういうことだ?」と首を傾げていたのも無理はない。指摘されなければ、気づかなかったと思う。

だから、今みたいなことが起こる。素直は「好きだ」と言ったつもりなのに、肇には「嫌いだ」と伝わる。そして颯太は、そのすれ違いを面白がっている。


素直は気圧されるように、年季の入った布製の筆箱を机に置いた。鉛の粉で汚れた底、四角が丸くなった消しゴム。対照的に、並んだ鉛筆はどれも鋭く削り整えられ、柔らかい木と鉄の香りを放っている。

タブレットやPCが並び、手書きをする者すら稀な講義室で、この古風な道具はひどく浮いて見えた。素直は欠伸を奥歯で噛み殺しながら、その中から一番短い一本を手に取る。

ふと隣を見ると、颯太が食い入るように素直の手元を見つめていた。欠伸が移ったのか、その目にはうっすら涙が滲んでいる。それでも拭おうともせず、瞬きも忘れたように、素直が握る短い鉛筆をじっと追い続けていた。その視線に気づいた瞬間、理由もなく素直の背筋がまたざわつく。


「な、なに?……食べ物じゃないよ、これ」

「んなこと、知ってる。……これ。使え、よ。それ……芯、丸まってる。だろ」


颯太は自身の筆箱から銀色のシャープペンシルを取り出し、素直へ差し出した。

どう見ても尖ってると思うけど、素直は胡乱な目を向け、心の中でそう毒づいた。


「あ……りがと」


颯太はやたらと自身の物を使わせたがる。そのくせ、素直の私物も当然のような顔をして奪っていく。

境界が曖昧になる感覚はいまだに慣れないが、なんだかいいなとも思ってしまう。我ながら、脳の回路が随分と散らかっている自覚はあった。


「なんか…リトルスクール、に。戻った……みたい。……だ」


遠くを懐かしむように目を細めた颯太が、使い古した鉛筆を嬉しそうに握る。それは、贔屓目に見てもやはりどこか可愛らしく映った。


「よかったねぇ」


ずっしりと重いシャープペンシル。素直は少し照れくさく感じながらも、それを受け取った。

その時、逆隣に座る肇がわずかに眉を顰めた気がした。無言のまま握られたシャープペンシルを、羨望の混じった複雑な眼差しで見つめている。


講義が終盤に差し掛かった頃だ。プロジェクターの統計グラフをぼんやり眺めながら一度カチリと芯を出した後、素直の意識はその精密な構造へと吸い寄せられた。

指先が無意識にノック部を回し、消しゴムを引き抜く。口金を緩め、内部の金属を露わにする。そのうち、手の中で響いていた規則的なカチカチという音は、いつの間にかギリッという不吉な摩擦音に変わった。ハッと我に返ったときには、もう遅かった。

鉛で黒く光った手元へ視線を下げると、颯太から借りた高価そうなシャープペンシルが、部品の集合体に成り果てている。口金、スプリング、芯を掴む金属のチャック、そして内部の細い筒。それらがノートの余白に、等間隔で実に規則正しく並べられていた。素直はたじろいだ。目玉だけを左右に動かし、まるでカンニングをしているような、粘っこい罪悪感が胸を覆う。


まっずいぞ、戻らん戻らん。焦るほど手元は狂い、素直は酷く揺れる指先で、それら全てを集め組み立てた。

弁償、いくら。手元にゼロが増えていく招き猫が薄ら見える。

必死に記憶を辿りながらパーツを繋ぎ合わせると外見はなんとか元に戻った。だが、ノックボタンを何度押してもあの小気味よい音は戻らない。それどころか芯が内部で噛み合っているのか、どれほど強く押しても沈黙を保ったまま、一向に出てくる気配がなかった。うん。とりあえず謝ろう。


「……あの、颯太ごめん……壊しちゃった、みたい。直そうとしたんだけど芯、出てこない」


開き直り、晴れやかに顔を上げた素直だったが、ぱちぱちと瞬く颯太と視線がぶつかった瞬間、言葉が喉に引っかかった。

おっかなびっくり差し出したシャープペンシルを、颯太は怪訝そうに受け取る。だが怒るでもなく、すぐにそれは返され、颯太は手の中のそれを確かめるように見つめた。


「……壊した、か? コワれてる。……のか。これ」


まるで什器にでもなった気分だ。手をくるくる回したり、上下に動かしたりと、とにかくご機嫌取りに徹していると、横から細い指が音もなく伸びてきた。

肇が素直の手からひったくるようにシャープペンシルを奪い取り、何も言わないまま部品を分解していく。机上に並べられた細かなパーツを、今度は迷いのない動きで次々と拾い上げた。

慣れた手つきで口金を回し、内部のわずかな歪みを瞬時に見抜く。スプリングの反発を調整するその手は、驚くほど精密で、無駄がなかった。

カチカチと金属の触れ合う音が規則正しく響く。ものの十数秒。肇は完璧に組み直されたシャープペンシルを持ち主である颯太の方へと突き出した。

その視線は一度も颯太を捉えることはなく、ただ前方のスクリーンを見つめたままだ。だが、突き出されたペン先からは隠しようのない絶対的な優越感が放たれていた。


「なっ僕の方が良いだろ?」


肇は薄く口角を上げると、視線だけを隣の素直へと滑らせた。その耳たぶが、ほんの少しだけ熱を持ったように赤くなっている。それを見つけた素直は、先ほどまでの緊張を解くと、ふわりと小さく微笑んだ。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ