バグを2件登録 「じゃあ、はい。爆弾おにぎり」
「……いつまでそんな男と馴れ合っているんだっ素直!」
手付かずのアイスカフェラテの氷が形を失うよりも早く、穏やかな空気が、やけに通りの良い声に溶けた。
渋々、顔を上げる。案の定、背後に立っていたのは素直と同じ経済学部の伊集院肇だ。
見れば、毛先まで手入れの行き届いた金髪が、興奮に揺れている。おまけに几帳面さを嫌でも感じさせる左右対称の眉は不遜に歪んでいるときたものだ。め。めめめ。
素直のため息を遮った肇が、颯太へと人差し指を突きつける。中世の貴族が不届き者を糾弾するようなその佇まいは、あまりに様になりすぎていて、かえってどこか可笑しく見えた。
「カエレ」
素直が肇の人差し指をやんわりと中に折り曲げる。
「うるさいっお前に話しかけてないっ」
そう言い放つと、肇は颯太に負けず劣らずの端正な顔立ちを傲慢に歪めた。そして素直の隣にあるわずかな隙間へ強引に割り込み、乱暴にソファを占領する。
やがて、呆然とする素直の頭上で、思わず手を合わせたくなる美貌を持った二人による、犬も食わない不毛な言い合いが幕を開けた。
キャンキャン、ワンワン。時折、合いの手のシャッター音がどこからか聞こえてくる。
「肇お前、昼まだ?ここで食ってく?」
仕方ない。暫く静観していた素直が問うと、毒づいていた肇の顔がじわじわと赤く染まった。
タイミングよく腹の鳴る音がする。
「くっくう!」
肇は長い咳払いをひとつして、気高い騎士さながらに胸を張った。
「じゃあ、はい。爆弾おにぎり」
別名を「ズボラ飯」とも「完全栄養食」ともいう。言っているのは、この世で素直だけだ。
空腹を主張する腹を摩りながら、素直は大きく頷いた肇へドカッとそれを差し出した。アルミホイルに包まれた、子ども用のボウリング玉ほどもある無骨な球体。ミシュラン星付きシェフ監修のカフェには、到底似つかわしくない代物だ。それを受け取った肇の瞳は、隠しきれない期待に揺れていた。
「でた。ダイオウ……グソクムシ。……でも、これ。ヤッタラ……素直、食うの、ねぇじゃん」
余計な口を挟もうとする颯太の脇腹を素直が肘で軽く小突く。
颯太は、素直の頭に顎を乗せたまま、冷ややかな視線をそれへ向けた。アルミホイルの中で鈍く光る、妙なネーミングを冠した爆弾おにぎり。贔屓目に見ても到底、美味しそうには見えないが、唾液が止まらなくなっているから不思議なものだ。
「一旦落ち着け」
どこか遠慮がちにその巨大な塊を見つめている肇。
そろそろ中古でいいから五号炊きの炊飯器を本気で買おうか、低く唸り「いいから食え」と無言の目配せを送った。
素直は見渡す限りの田んぼを背にして、こちらに小さく手を振る祖母の姿を思い浮かべていた。
促された肇がアルミホイルを剥きはじめる。中から現れたのは、おにぎりという概念を疑いたくなるほど無骨で、巨大な塊。海苔の艶もまばらなそれは、およそ料理と呼ぶには荒々しすぎた。
一口かじった肇は、暴力的なまでの白米の量に、思わず両頬をリスのように膨らませる。何度もかじりついているのに、肇の表情からは具に当たった気配が一向に見えない。
「…………米すぎる」
「えっ今日の具は特別なんだけど」
出掛けの朝を思い出す。確かに今日の中身はとっておきにしたはずだ。
正直言って、米は食っても食っても減らない。実家から届く仕送りは、決まって米だ。理由は単純、米農家だから。半年もしないうちに、今度は新米の季節がやってくる。
三ヶ月おきに届く十キロの米俵。その段ボールの隙間には、いつもついでと言わんばかりに、包装材がわりのブラックサンダーがねじ込まれている。
どうせなら漬物詰めてくれよ、と思うが、口に出したことはない。
なんでこうなったんだっけな、毎朝握るおにぎりは、懺悔を続けるうちに段々と大きくなってしまった。
パンを片手にシティーガールとフレンドになりたいと、ルンルンで入学したはずなのに。気づけば軌道修正する間もなく、男とそんな感じの仲になっている。しかも、超がつくほどの美形と。
さっきまで思い出していた田舎の祖母が、脳内で盛大にひっくり返った。
苦い顔をしていると、いつの間にか肇が抱えるおにぎりから、醤油と砂糖の混じった甘辛い香りが漂ってきた。
腹が減っているから気が滅入るんだ、素直は容易くその香りに誘われた。
無意識に首を傾け、口を寄せようとした。その時、首筋に冷たい感触が走った。
嫌な予感に身を屈めたが、すでに遅かった。突然、回された腕に首を締め上げられる。視線を向けると、空になったグラスに挿さったストローを無惨に噛み潰している颯太と目が合った。
「おいっ、スルメみたいになってんぞ」
至近距離で捉えたその瞳は、つぶらな形に似合わず、冷たく澄んでいた。全身ごと絡め取るように、容赦なく素直を射抜く。
「やめろって」
「今更……だ。それに。さっきの方。もっと、近かった。だろ?」
耳元に湿った吐息が落ちると、素直は呼吸も整わないまま、颯太の髪を乱暴に引っ張った。
「さっきは俺が悪かったって、だから離れぇろぉ」
「イヤ」
いつの間にか誰も居なくなってしまったテラス席で、咀嚼音が続く。
喉にかかった腕の力は強くないのに、もがいても外せない。
素直の呼吸が一拍遅れる。その瞬間、無言の攻防を続けていた颯太の腕の力が緩んだ。
「角煮だぁぁああああ」
両手を米粒だらけにした肇が感極まったように声を上げる。
助かった。幸せそうに頬を動かすその横顔を見て、素直は安堵の息を吐いた。
肇がひと口、またひと口と食べ進めるごとに、強張っていた肩が下がっていく。
「いいか、素直。こいつのような、歩くだけで背景に花が飛ぶような男は毒だ。その点、僕を見てごらん。清楚で、控えめで、お前の隣にいても景観を損なわない。……そうだっ僕こそが素直の求める究極の男なんだよ!」
「お腹がいっぱいになったんだなぁ」
自身の容姿を棚に上げ、自信満々に言い放つ肇。颯太より、よほど何を言っているのか分からない。
喜んではいるようだが、米の量は全く減っておらず、食べ切るのにあと二日はかかりそうだ。
「素直、あーん」
腹の虫をなだめた肇は、口の周りに海苔をつけたまま当然とばかりに素直の肩へ腕を回し、その手に米に黄身が濡れそぼった煮卵をチラつかせる。
両頬を膨らませた不敵な笑み。そこに、想定していたリスのような可愛げはなかった。
対する颯太は、一切の温度も感じさせない声で、鋭く肇を牽制する。
「……負け犬が。キャンキャン………うるさい」
「だから僕はお前と話してないって言ってるだろっ、イカロス山元っ」
「は?」
「お前、その過剰な装飾で素直を困らせてきた自覚を持て! さあ、素直。僕をよく見て……ほら、どうだ? 僕の方が、こいつよりもずっと見ていて安心するだろう?」
見てくれと言わんばかりに、肇は素直へ向き直り、悠然と両手を広げた。ハイネックのセーターにストレートデニム。至極シンプルな出で立ちだ。
親しみやすさを演出しているつもりなのだろうが、皮肉にもその効果はまるでない。
「ねぇ酔ってる?豚煮る時みりん入れすぎたかな?」
「僕は素直に合わせて、格好だって変えられる男なんだよっ」
「ありがとうよぉ、ほらネギもちゃんとお食べ」
言われてみれば、そうだった。出会ったばかりの肇は、目が痛くなるような真っピンクの髪をなびかせ、全身コレクションラインのギャルソンに身を包んでいた。入学式で隣の席に座られた時には、「あ、俺の大学生活終わったわ」と本気で天を仰いだものだ。それが今や、餌付けをする仲になっている。都会って怖い。
「うおっ」
射殺さんばかりの視線を送る颯太が、ぐいっと素直の頭上に覆い被さり、強引に顔を覗き込んできた。
本来なら心臓が止まるような場面なのだろうが、今はやはり機嫌の悪いモブにしか見えない。
肇をじっくり観察していたのが、颯太の逆鱗に触れたらしい。
こめかみに青筋を立てて憤る颯太を煽ったかと思えば、肇は笑みを湛えたまま呑気に自撮りをし始めた。
顔がおにぎりよりも小さいのが、また笑える。




