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『yamamoto2580』  作者: しもたんでんがな


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2/21

バグを1件登録 「地方のまちづくりセンターに居そうな顔してる……」



街路樹に青葉が目立ち始め、どこからか、鼻をすする水音が聞こえてくる。

すっかり薄着になった通行人をかき分けた先、表参道のケヤキ並木を抜ける。新入生なら三回ほど迷った末、ようやく見つけられる奥まった場所。そこに誰もが知る名門、私立照合大学がある。

ガラス張りの校舎は、それ自体が芸術作品のようだった。降り注ぐ陽光を幾重にも反射し、行き交う学生たちの華やかな装いを照らしている。


「ヒヤケドメ……ちゃんと、塗ったか?」


聞き慣れていなければ、一度は引っかかる日本語。辿々しいのとはまた違う。雪国の訛りを思わせる、独特のイントネーション。軽く投げられたはずの声に、周囲の視線がわずかに揺れた。


「素直。ちゃんとあっち。で待ってて。…フラフラどっか、行っちゃ駄目だ」


場違いに騒がしいその呼びかけに、ようやくひとりの影が動く。

学食「カフェ・ド・プレ」は、洗練された空気に満ちたキャンパスの中でも別格だ。

平常時の混雑具合は、ミシュラン星付きシェフ監修も頷けるものだった。

そこだけが別世界のように、異国情緒あふれるゆったりとした空間。奥へ進むと、豆を煎る心地よい音とスチームの噴出音が、香ばしい匂いを周囲に運ぶ。だが、本来なら賑わうはずのテラス中央のバーカウンターも、この時ばかりは、ぽっかりと空白になっていた。誰もが遠巻きに避けるその中心。一本の杭のように背筋を伸ばした男が、無駄のない佇まいで立っている。


「素直ー。カスタム……アーモンドミルク、で。いいよ。な?」


メニューを追っていた男の手が止まり、不意に振り返った。

その瞬間、場の空気が密やかに熱を帯びる。照明を吸い込むような漆黒の髪。横顔に刻まれた峻厳な鼻筋は、どこか異国の血を感じさせた。伏せられた睫毛の奥で、深い青がかすかに揺れる。宝石だと言われれば誰もが信じてしまうほど、それは冷たく澄み渡った青だった。


「すなーおー」


息を呑む音を掻き消しながら、今年入ったばかりの山元颯太が焦れたように大声をあげる。だが答えるものは誰もいない。

やがて未練がましくメニューを見つめ直す颯太が、隠しきれない落胆を声に乗せたまま、残りの注文を淡々と店員へと告げた。


「そのブーム、先週終わったぁ」


周囲の焦りに押されながら、ようやく呑気で、どこか気だるげな声が響いた。

既に注文を終えてしまった颯太が勢いよく振り返った先、窓際のソファ席。木漏れ日の中で、寝癖のひどい栗色の髪がもぞもぞと蠢いている。

そうか、それを聞いた颯太は低い唸り声を喉奥から漏らすと、心底残念そうに青い瞳を翳らせた。


「チッチッチッ」


猫を呼ぶように舌を鳴らす。

キャップもマスクもカットソーもパンツもマーチンも、漏れなく全身黒で固めた颯太。その物騒な装いにはおよそ似つかわしくない、奇抜な色の飲み物と素朴な木製トレーを手にソファ席へと向かう。


「えっ何その、どぎつい色の飲み物っ」


まだ角の尖った経済学の参考書を繰る山本素直は、どこか上の空のまま、顔を上げずに問いかけた。

差し出されたアイスカフェラテを受け取った素直。首元のイヤホンがぐらりと揺れる。


「アサイースムージー」


返ってきた端的な言葉に小さく笑った。 そして、革張りのソファに深く腰を下ろした颯太へ、どこか企むような視線を向ける。瞬間、颯太の目の前にあったアサイースムージーを掻っ攫うと、豪快に音を立ててその大凡半分を胃袋へと流し込んだ。


「意外にいける……でもめっずらしぃな、颯太そんな訳分かんなそうなの絶対飲まないのに。なんかモデルみてぇ」

「……………モデル、だが。……ヤサグレたい。気分。だったんだ、さっきまで」


鼻梁を寄せていたはずの颯太が、熱っぽい視線で素直の手元を見つめる。そこには残り少なくなったアサイースムージー。赤く染まったストローの先を宝物のように見つめ、颯太はグラスをそっと両手で受け取った。


周囲の学生の視線をひしひしと感じる。向けられるのは、どれもどこか引っかかるものだ。

その中、素直は親の仇めいた視線と目があった。いつの間にか再開していたレジの列に、パステルブルーの塊が見える。服の質感も相まって、やけに目立つ。

颯太と同じ学部の生徒で、たしか七瀬。そう呼んでいるのを、聞いたことがある。


「………ラブブッ」


言い終わる前に両頬を片手で挟まれ、素直の邪念が木っ端微塵に吹き飛んだ。

頬肉に大半を遮られた視界。颯太は挑発するように素直の唇を親指の腹でなぞりながら拭うと、その赤をためらいなく自身の唇へと押し当てた。

嘘だろ、と思うことを平然とする颯太。それにドン引きしたり、感心したり、少し勃ちそうになりながら、素直はそのままぐにゃりと腰を折り、ガラステーブルに薄ら映った姿を見やる。


一人は、思わず目を引くほど整った顔立ちの男。もう一人は、呼ばれた名の通り、驚くほど「素直」そうで、どこまでも印象に残らない顔立ち。

眠たげな丸い目に、真顔でもどこか微笑んで見える口元。身支度を途中で諦めたみたいな、癖のある栗色の髪が動くたび、毛先がわずかに遅れて揺れる。総じて、角という角を削ぎ落としたような、輪郭の曖昧な顔。


「……いや、ぬい?」

「ん?」

「俺、自分ぬいにしたらそこそこ売れると思うんだよね。まあ、自分では絶対買わないけど」


颯太と並ぶと、童顔が際立ってくる。

卑屈を通り越して、なんだかもうDNAの神秘を感じた。


「サミくーん」


当の本人は、声を掛けられているのに、無言のまま横向きのピースを返している。


「……めっちゃ、ムカつくじゃん」


一人が声を掛けると、そこに二乗したくらいの声がかかるものだから、素直は腰掛けていたソファーに擬態しながら小声で言った。

すぐに、連写の音が鳴り出す。


「え?じゃあ、素直。には裏側、ピースあげる」


そう言って、颯太は周囲との会話を断ち切った。


「ギャル匂わせんじゃん」

「俺の国。で、絶対、やっちゃ駄目。な、やつ」


モデル、モデルか。

時折フラッシュを浴びながら思う。

そんなことを言われた、気がする。ような。ぼんやりしていた記憶が、少しずつ輪郭を持ち始めた。

初めて聞いたときに、思ったのだ。それ、自分で言っちゃうんだ。すげえな、と。


『俺、ファンサービス、スポンサーにしか……できないんだ』


食券機の使い方を教えたあと、颯太に念押しのようにそう言われた。サービスしたのはお前じゃないだろ、と思いながら、ランチセットBの食券を手渡した。あれが、大体二ヶ月前。

この直後からだ。とって付けたような表情の颯太を見かけなくなったのは。

好きになってしまった。男を。


「素直?」


ぼんやりしているうちに、ついさっきまでの喧騒が、嘘みたいに途切れていることに気がついた。

視界の端で、数人の生徒が、示し合わせたようにそっと席を離れる。

予鈴かと思ってスマートフォンを見るが、まだ二十分以上ある。

隣では、颯太がいつもと変わらない表情で、ナプキン越しに指先を拭っていた。


「ん?」

「なんか、機嫌悪い?」


細かな皺が刻まれたナプキンが、グシャリと丸められた。


「機嫌悪いのはお前だろ」


言い切ると、颯太の指先がぴたりと止まる。

爆発をぎりぎりで踏みとどまるような颯太の仕草に、妙に目が離せなくなる。

恋愛ってのは、男女でするものだと思っていた。反抗期でも、思春期でも、視線の先にいるのは、いつだって女だ。なのに、颯太を好きになってしまった。

先がつんと上を向く指先が特に綺麗で、細目で見れば、女に見えなくもない。それが余計に厄介で、どうにも割り切れない気持ちを引きずらせる。


「ちゃんと。教えて、くれないと。……駄目だ」


胸に十字を切りながら言った颯太に、素直はもう一度アサイースムージーを奪い取り、今度は全部を飲み干した。

叶うなら、お布施でも何でもするし、全国のパワースポットだって巡ってやる。

流されてここまで来た己の他力本願ぶりには、いい加減うんざりしていた。

なのに、その労力を全部颯太に使いたいと思ってしまうのだから、困ったものだ。


「素直の好きなもの……全部。知っておきたい、んだけど…駄目か?」

「なんじゃそりゃ」


氷を噛み砕きながら勢いよく身を乗り出した素直。

覗き込まれた颯太は、口をわずかに動かしたまま、耳の先を熱く染めていた。


お前だよ。

たぶん向こうもそうだと思う。だが、まとまらない思考の着地はいつも「だからどうした」で終わってしまう。

聞きたいことが山ほどあった。

男同士の恋って何すんのとか、そもそもこの関係は何のか。意味はあんのかとか。ここまで考えて大概嫌になって、脳はいつもパンクする。結局なにも聞けずに、今日になった。

好きになったのが悪い。それが、すべてだ。


「……んなっ、チカいっ! お前……まだ戻してない……のかよっ!」


互いの顔が不意に近づいた瞬間、颯太が身を引いた。背後でモギュッと革の軋む音が低く響く。


「うん。なんつうの。今の颯太は地方のまちづくりセンターに居そうな顔してる………立場逆転だな。俺、いつもこんな挙動不審だったんだぁ、本当よく一緒にいてくれたよ」


視線を緩く空へと向けた颯太がわずかに眉を寄せた。その仕草ひとつでさえ、本来なら映画のワンシーンのような美しさを湛えているはずだ。 だが、今の素直の目に映る颯太の顔は、端的に言えばモブ。どこにでもいそうな顔をしている。


「オマエ、その例え…昨日より、具体的。なってないか? ………カンタンに、想像できたわ」


颯太は、これまた本来なら素直の視線を釘付けにするはずの唇で、あぶれたアイスカフェラテを啜った。

一方の素直は、呑気な声を上げて伸びをすると、隣の颯太の背に顔を寄せた。吐息と一緒に吸い込んだ空気に、わずかな違和感を覚えながら、それでもわざとらしく寝息を立てる。

柔らかな鼻息が服越しに肌を撫でるたび、颯太は全身を強張らせ、低い唸り声を上げた。


「シンナー臭え」


背に顔を埋めたまま、素直がくぐもった声を漏らす。

颯太はそれに応えるように、わずかばかり背後へと重心を預けた。

良い匂いだ。そう感じるのに大して時間は掛からなかった。

今は何を描いているだろうか、空想するだけでもわりかし楽しい。


「お前、その…ガイコクジン……ノリ…すげぇ、かよ」


ずるずると頭を沈めて隠れる素直の脇腹を颯太の指先が緩く擽った。

不器用な気遣いに感謝しつつ、素直は調子を合わせた。


「それ、颯太が言っちゃう??」


日本語が流暢すぎて、ときどき忘れかけるが、颯太は日本に来てまだ半年も経っていない。スナフキンと同郷だということは覚えている。けれど、じゃあスナフキンはどこの国の人なのか、と度々思考が迷子になった。

ほんの数ヶ月前まで、井の中の蛙だった素直が最初に出会った、特大のシーラカンスが、颯太だ。

それが今では大抵のことは許してしまっている。なし崩しもいいところだ。


「言っちゃう」


何気ない触れ合いに、言葉にならない体温が交差する。

すると、不器用でどこか甘ったるい空気が満ちるテラスの静寂を踏み荒らす、高飛車な足音が近づいてきた。




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