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『yamamoto2580』  作者: しもたんでんがな


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18/21

バグを17件登録 「お前は良い猿だ」



「あー……好きなもの、忘れないでいてくれるところ。怒らないし、否定もしない。いつも冷静、受け止めてくれます。笑顔も。ちょっとしたこと。で喜ぶ、あの顔。とてもいい。あとは……どこでも寝れるところ。小さな変化、気づいてくれる。さりげなく……声。かける、優しい……そういう。ところ」


颯太の言葉に耳を傾けながら、素直は自販機のボタンを眺めていた。青いランプが一つだけ点滅している。押しもしないのに、なぜかそれが気になった。


「何も言わなくても、俺の気持ちをちゃんと考えてくれるところ」


首元で絡まったイヤホンをほどき、また適当に丸めた。

照れ臭さとも違う、妙な感傷が胸いっぱいに広がる。颯太の好きなところなんて、分からない。颯太が好きなのだから。

今でも「好きなところは?」と聞かれたら、ひとしきり言葉に詰まった末に、きっと「顔」と答えてしまう。


「……………ありがとう」


沈み込む素直をよそに、颯太が一歩、距離を詰めた。

はなからない逃げ場。角へ追い詰められた瞬間、視界がすっと暗く沈む。

背後の自販機が低く震え、その振動が触れ合った肩越しに伝わってきた。


「俺、お前のそういう。トコ、全然ワカラナイ……。何がどう、アリガトウ。なの?ナンデ、パスワード変えない?」


蒸し返された問いを前に、無数にある後悔が浮かんでは消えた。


「……困ってないから。俺は今のままの方が助かる。ありがとうは、俺の知らない俺を教えてくれてありがとうって」

「困って。ない?」


力なく頷くと、颯太の表情がかすかに強張った。


「颯太」


ガコン、と缶が落ちる音がした。それが買われていったものなのか、捨てられたものなのか、区別がつかない。

タバコの匂いが薄れていく。ふと周りを見ると、残っている生徒は数えるほどしかいなかった。


「…………………別れよう」


ついさっきまで心地よかったシンナーめいた香りが、今は喉の奥を刺すだけの、不快な匂いに変わっていた。


「はぁあ?」


言葉にするのは、少し怖かった。颯太の気持ちは本物だと思っていても、「付き合ってねぇよ」と突き放される気もしていたから。

けれど、颯太が腹の底から張り上げた声を聞いて、そんな不安は、あっさりと吹き飛んだ。


「信じられ。ね、え……ナンデッ、そうなって、しまうっ!」

「別れたい」

「なあんでっ、俺たち、仲良しっ。どうしてっ、別れに、なり、ますかッ」


心底わからない、と言いたげな表情を見据え、いよいよ言葉を見失った。

喋れずにいると、当然のように沈黙が訪れる。


「颯太、別れよう」


颯太は前髪をぐしゃりと掻き上げ、落ちてくる髪を乱暴に払った。二度、三度と同じ動作を繰り返したあと、苛立ったように息を吐く。


「お願い」


伝えたいことがいっぱいある。

「服濡らしてごめん」「腹減ってないか」「ゾンビみたいな顔で明日の仕事大丈夫か」

そのどれもが未練じみた言葉で、素直は自身の舌の根元を痛めつけるように噛み締めた。


「まだ、伝わらないっ……? 俺はっ、ちゃんと俺。を、見てほしい……それだけ、だッ!」

「怖いんだ」


被せながら吐いた本音が、ストンと胸の奥に落ちた。

手放せなくなるのが目に見えている自身も、世間の目も、颯太がいない未来も、怖くて仕方がない。

ここまで女々しさを振り切ってもいいものかと、我ながら思う。


「貸せ」

「あ、待っ……」


しゃがみ込んだ颯太が、素直のトレーナーの前ポケットの中へ乱暴に手を突っ込んだ。

それは有無を言わせぬ力だった。止める間もなく奪われたのは、スマートフォン。

颯太は慣れた手つきで画面を叩き、素直が「あ」「え」と言っている間に設定を書き換えていく。

身を乗り出す素直を意にも介さず、颯太は迷いのない手つきで操作を続けた。

数秒。変化はすぐに現れた。一瞬、視界がふっと揺れる。


「得体、わからない……だから。だからっ。怖い、でしょ。な?……じゃあ、ちゃんと、お、れ。俺を見てっ」


次の瞬間、颯太の顔の輪郭が鮮明になる。ぼやけていた線が形を取り戻し、鋭い眉と整った鼻筋が夜の光に縁取られた。

素直はゆっくりと瞬きをする。そこにあったのは、目を離せなくなるほど、綺麗な青。

鼻先が触れそうな距離。よく見れば、その瞳はわずかに充血し、怒りを孕んでいる。

何度も瞬きを繰り返すが、青は青のまま、素直に迫った。

逃げ場などないと分かっているのに、無意識に背後へ手が伸び、案の定、壁にぶつかった。

すかさず大きな手で、後頭部を掴まれ、視線がもつれる。


「……俺、かっこいい。だろ?」


軽い口調だった。けれど、笑っているのは口元だけ。

おいそれと言える言葉ではないはずなのに、不思議と傲慢さは感じられない。ただ、ひどく悲しかった。


「大事。に、してよっ」


スマートフォンを突き返す颯太の手は、雨の中捨てられた子犬のように震えていた。

それを曖昧に受け取ると、胸の奥が、はち切れんばかりに締めつけられる。呼吸が詰まり、身体の奥で何かがわずかにずれた。

微かに口を動かす

その沈黙に、颯太が大きな舌打ちをこぼした。


「……頭。冷やして、くる」


颯太は一瞬立ち止まり、すぐに踵を返した。闇に溶ける背中が、遠ざかっていく。

見失えないまま、その背中を目に焼き付けた素直は、やがて視線を落とし、ひび割れたアスファルトに転がったスマートフォンを拾い上げた。

画面を開こうと、颯太の誕生日や銀行の暗証番号、思いつく限りを試す。だが、パスワードは解けない。

制限が掛かる前に、せめて何かを残そうと、素直は咄嗟にシャッターを切った。

電源が落ちたように真っ暗な画面に、時間を切り取る音だけが虚しく響く。

確かめられないままの空虚さが手に重くのしかかり、指先から力が抜ける。

真新しい傷のついたスマートフォンが、そのまま滑り落ち、少し遅れて鈍い音を立てた。


取り残された素直は、その場に立ち尽くしたまま動けなかった。

やがて、ぼんやりと顔を上げる。星の見えない空が視界に広がった。

ビルの縁が見えづらくなったせいか、その空は昼間よりも広く感じられた。

解放された。そう思ってしまった。


遠くのざわめきを耳で拾いながら、ゆっくりと立ち上がったとき、ぽたり、と赤い雫が落ちた。

ベンチの木目の上に、小さな染みが広がる。

少し遅れて身体が軋んだ。胸の奥が、妙に軽い。重い空気から抜け出たようだった。

素直はふらつく足取りで、夜間学生や居残っていた生徒たちの密やかな話し声を聞きながら、照明がまだらに灯るキャンパスを歩き出す。


去り際の颯太の表情が、脳裏に焼き付いて離れない。あまりに綺麗で、恐ろしくさえあった。

別の世界に放り出されたような感覚。

大切なものを自ら捨てて、盾を失った。

視線だけで必死に周囲を巡らせると、ようやく、怖いのだと気づいた。

朧げな記憶を頼りに見知った顔を探すが、なかなか見つからない。


「お、小さい方の山本ー! おつー、こんな時間まで何してんの?」


すると、シャッターが閉まりかけた購買の前で、同じ学科の田辺が屈託のない笑顔を浮かべ、こちらへ向かってきた。両手にスパイシーチキンを持ち、かじりながら声をかけてくる。

喋るたびに口元のチキンがこぼれそうになり、思わず両手で受け皿を作った素直は、裏表のない表情で何度も「お疲れ」と繰り返す田辺をまじまじと見つめた。

その気軽さは、疲れ切った身体にはひどく心地がよかった。


「……なんだよ、お前。金なら貸せねぇぞ?」


そんな素直に、田辺は目を瞬かせながら怪訝そうに眉をひそめた。


「お前ってさ」


味わいながら田辺を見ていた素直は、迷いない言葉を続けた。


「猿みたいな顔してんのな」


片目を閉じながら手をかざすと、遠近法のせいで田辺が手のひらの上に、ちんまりと収まった。

ピグミーマーモセットだ。もうそれにしか見えない。


「はぁぁ!? は?お前、急に超絶失礼だなっ!?」


田辺が一瞬固まり、すぐに抗議の声を上げた。

それを聞きながら、素直は自身でも少し驚いていた。

今、思ったことをそのまま口にしていた。そのくせ、拍子抜けするくらい何も起こらない。

胸の奥に永遠と重くのしかかっていた何かが、ふわりとほどけていく。

思わず肩の力を抜きゆるりと息をつくと、田辺の怒った顔は、やっぱりピグミーマーモセットにしか見えなくなっていた。


「お前は良い猿だ」

「マジで意味わかんねえよっ!」


強引にした握手を振り払い、肩を膨らませながら去っていく田辺の背中を見送る。

素直は静かに息を吐く。鼻先についた乾いた血を指で拭い、暗いキャンパスをもう一度歩き出した。




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