バグを16件登録 「お前とは好きの種類が違う」
また、流されてしまった。
乱れた息に呼応するように、重たい雲の流れが速まっていく。
今更ながら、痣の残った手首がジグジグと痛む。
何ひとつ整わないまま、素直は力なく颯太に体重を預けた。
間延びした静けさの中、喫煙所の奥で、誰かがライターを鳴らす。火花の弾ける小さな音が、唐突に大きく聞こえた。
なあ、颯太の低い声が、すとんと落ちてくる。
実際そうなのだろうが、脅されている気分になった。
「………もう一回、言った方が……良い、な?」
「なに?」
「……俺、言ってくれないと……分かんね、えよ。……なんで、平気。か……目の、前で。他人が……俺を、欲しがってた。……素直、怖くない…の?」
ただ見送るだけで済むのだろうか、と考えていたことを思い出す。ほんの数十時間前のことが、遠い昔の出来事に感じられた。あの時は、結局答えを出せなかった。それが今なのかもしれないと、漠然と思う。
「……駄目。だ」
先手を取られたと思った。
わずかに身を引いた素直に颯太が続ける。痛い。
「…それとも。本当に、平気…?」
「平気じゃないよ』
「本当?」
「でも、ああいう時どうしたらいいのか……」
痛い。何処が痛いのかわからない。
肇の気持ちは知っていた。最初っから知っていた。颯太のもだ。でも、だから何だっていうんだ。
素直は言葉を飲み込み、下唇を噛み締めた。薄く鉄の味がする。
「あれは、颯太と肇の問題だろ」
「……本気で。…言ってる?…嘘……じゃない」
一瞬、呆気に取られた颯太が、目を丸めながら拙い言葉を漏らす。
半端に開いたままの口元を見つめ、素直は力なく膝を抱えた。
「俺の、気持ち。……それはっ、どうなるんだっ」
叩きつけられた鋭い声音に、思わず同じ言葉を返しかけて、咄嗟に飲み込んだ。
大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。少しでも気を緩めれば、吐息が揺れてしまいそうだった。
「颯太の気持ちは分かったよ。ごめん、傷つけて。でもね。肇は?肇も大切な俺の友達だ。こっちに来て、初めてできた友達なんだよ。恋とか愛とか関係ない。お前とは好きの種類が違うんだから」
「チガウ」
「どうして欲しかった?勝手にお前に肇の気持ち教えとけって?そんなこと出来るわけがないっ」
「チガウッ」
悔しさと、もどかしさが胸の奥で渦を巻く。油断すれば、そのまま涙に変わってしまいそうだ。情けない。
身体の奥で無数に渦巻く感情の底から、砂粒のような諦めが沈んでいるのに気づいてしまった。
落としていた視線をゆっくりと上げ、颯太へと向ける。
並びの良い歯を剥き出しにして、噛みつく寸前の猛犬みたいに息を荒くしている颯太。
なのに、それなのに一瞬、泣いているのかと思った。
無駄に張り詰めていた全身の力が、ゆるゆるとほどけていく。ほんの数秒前まで、自身も同じ顔をしていたのだと気づいて、思わず頬が緩んだ。素直は短く息を吐く。まだ、パスワードが効いている。大丈夫だ、と思えた。
「俺は器用じゃないんだよ。俺はね、肇の健気さが羨ましいと思ってたよ。きっと颯太が俺に求めてる好きだから。颯太はさ、何がいいんだ?」
心のどこかで、颯太が肇を選んでしまえばいいのに、と思ってしまう。嫉妬に狂うのなんて、目に見えているのに。
「沢山ある」
「試しに、言ってみてくんない?」
今だ、と。大丈夫だ、とまた思えた。
荒唐無稽な展開に、一瞬、意表を突かれた颯太は言葉を失った。ふっと、その表情から素が覗く。
「落ち込んでる時、に。黙ってそばにいて、くれる。ところ」
続けて、素直は数度うなずき、視線で先を促した。
「周りの人。に、優しい、自然に気配り、できる。ところ。……不器用なんだけど、一生懸命。な、ところ」
「……そうなんだ」
奇妙な相槌を重ねるうちに、颯太の表情から張り付いていた余裕が、少しずつ剥がれていく。
掠れた声を脳裏で反芻した途端、指先がすっと冷えた。不思議と頭も冴えていき、ばらばらだった感情が、次第に輪郭を持ちはじめる。
好きの種類が、違うのだ。
同じ時間を過ごすことが心地よくて。ときどき、わざと歯ブラシを取り違えたり、色で揃えた食器の区別が曖昧になっていくのが嬉しかった。
たった数ヶ月、隣にいただけなのに。気づけば、いつの間にか未来を考えてしまった。
傷は、もう充分に深い。これ以上抉られたら、いよいよ生まれ変わらなければ、他に道がなくなる。




