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『yamamoto2580』  作者: しもたんでんがな


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12/21

バグを11件登録 「…花丸に、噛まれた]




「なんかあったんじゃない?」

「ないよ」


焦れたように問いかけてくる肇は、見かけどおり連絡がまめだ。

連絡というより、ほとんど意味のないギフスタンプばかり送ってくる。容量を食うから、正直やめてほしい。

こちらは「り」だの「あざ」だのを返すので精一杯だ。

電話は苦手だ。既読がつくメッセージも苦手で、まともに返せたことは数えるほどしかない。

颯太はそれを知っているのに、平気で電話をかけてくるし、メッセージも送ってくる。


「何で分かんの?」

「勘。どうせ母ちゃんみたいなこと言われるだけだから」


渋々、機内モードにしてアプリを開くと、「変な人にはついていくな」だの「交番がある道から帰れ」だの、読み進めるほど誤字が増えていき、最終的にはスナフキンの国の言葉になる。コピペして翻訳アプリを噛ませるのが一連の流れだが、そのためには機内モードを解除しなければならない。どうせ既読になってしまう。

見透かされている。そんなことが、こんなにも心地いいと感じるのは、颯太のせいだ。


「おいしいご飯を食べて、二十三時までには寝てください」


機械的な音声を聞きながら、ほらな、と視線で訴えると、肇の眉がぴくりと動いた。

その間にも着信は止まらない。鳴り続けるバイブ音が、やけに耳についた。


「お前、それ。あまり戻しすぎるなよっ」


肇が軽く顎をしゃくり、イーゼルを指す。


「分かってる。気をつけるから、ちゃんと見てて……ん?なんか肇、雰囲気変わった?」


頷いて振り返ると、肇の顔がやけに眩しく見えて、少しだけ目を逸らした。


「…確かにヘアオイルは変えたけど………なんかキッモ」

「おい、本気のやつ言うなよ」


肩をすくめた素直は、落書きだらけの机にスマートフォンを放り出し、イーゼルの脚のネジを緩めた。

やがて、机の上で震えていたバイブ音が、ふっと途切れる。颯太からの着信は、すべて留守電に回ったらしい。

静まり返った室内。これまで気にも留めていなかった時計の秒針の音が、やけに大きく響く。肇は何も言わず、ただこちらを見ているようだった。視線を外したまま、素直はネジを回し続ける。


「ちなみに、イーゼルは畳めば良いだけだからな」

「………お前、あいつに似てきたんじゃない?何で大事なこと後出しにすんの」


攻める言葉にも、肇は口角を上げた。

椅子に深く腰掛けていた肇は、電気が消えるのを合図に、勢いよく立ち上がる。

肇が並ぶのを待ち、二人は美術室の重苦しい空気を引きずったまま、旧校舎を後にした。

西日はすでに勢いを失い、アスファルトには二人の影が長く伸びている。

何気なく鼻筋に触れた素直に、肇が鋭く目を細めた。自身の頬を指し示す仕草に、素直は息をのみ、思わず手を止める。


「……その赤いの。どうしたの?」


ギョッとして、反射的に頬を窄める。咄嗟に出たのは、あまりに苦しい嘘だった。


「…花丸に、噛まれた。実家の犬なんだけど。コーギー。すっげぇ可愛いの。予防接種打ったばっかだから、あいつ最近噛み癖凄くて」

「……へえ」


その確信に満ちた声を聞いた瞬間、辛うじて保っていた均衡が、音を立てて崩れていく気がした。素直の焦りなど意に介さず、肇はアスファルトの隙間に咲いたたんぽぽを踏み潰す。

実家って、新幹線に乗らないと帰れないじゃん。昨日の今日で、何言ってるんだ。

慌ててインカメで確認すると、暗がりでもはっきり分かった。どこからどう見ても、人の歯形だ。朝、顔を洗うときに鏡をちゃんと見ればよかった、とか。言ってくれればいいのに、とか。どれくらいの人に見られていたんだろう、とか。

無数に湧いた後悔は、肇を見た瞬間、淀んだものに変わる。肇の目が、すっと冷たく据わった。なにかが切れたような危うい気配が肌をかすめ、心臓が大きく跳ねる。

謝るのも違う気がして、手をこまねいていると、肇はすっと距離を取り、切り捨てるように言った。


「じゃあ、明日」


電車に乗り込んだ肇と向き合い、素直は思わず目を見開いた。これまで曖昧に見えていた肇の印象が、まったく違う。

丁寧に形作られた眉のアーチ。ぱっちりとした二重の奥に澄んだ茶色の瞳。整った鼻筋。手入れの行き届いた白い肌。

今まで浮いて見えていた派手な金髪やブランド物の服も、すべてが自然に馴染んでいる。肇はとても綺麗だった。

嫌だ。嫌いになるわけがないのに。

ドアが閉まるまでの時間が、妙に長く感じる。周囲が音を消した。トレーナーを鷲頭かむと、聞こえるのは心拍だけになる。

去っていく車両を見送った瞬間、素直は口元を押さえ、己を抱きしめるようにその場にうずくまる。

制御を失った身体がガタガタと震え、急速に体温が奪われていく。


「……大丈夫ですか?」


通りすがりの誰かが、心配そうに声をかける。その手が素直の肩に触れかけた瞬間、吐き気を伴う圧迫感に襲われた。

穏やかな声に、気味の悪い視線が混じる。それが突き刺さるように、臓を刺激した。

神経が逆撫でされる。やがて視界が激しく明滅し、ホームのアナウンスが不快な金属音へと歪んでいく。

喉の奥がひきつき、呼吸の仕方さえ分からなくなる。生ぬるい感触が鼻先を伝い、床に赤い点を落とした。

すべてが他人事のようだった。視界の端に、さっき別れたばかりの肇の表情がこびりつき、離れない。

何もかもがおかしい。耳を塞いでも、無駄だった。


「……っ、……」


足元から力が抜け、素直はコンクリートに崩れ落ちた。冷や汗で濡れた手で顔を覆う。小さく首を振りながら、肩に添えられた手から逃げた。それでも引き留めようとする手を、最後の力で振り払う。

急に、世界のすべてが敵に思えた。騒がしい周囲の声は耳障りな雑音となり、頭を埋め尽くす。視界が白くぼやけ、意識が泥のように溶けていく。最後に残ったのは、頬に触れるコンクリートの冷たい感触だけ。誰の体温も、誰の視線も混じっていない、この場所で唯一の静かな感触。

また変われないのか。素直はそこへ吸い込まれるように、深い、深い無音の底へ落ちていった。




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