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カタリーナが採取地に着くなり魔狼が走り寄ってきた。
すっかり大きくなった魔狼はカタリーナの周囲をぐるぐると駆けまわった。
「お腹空いてるの? 今日は多めにパン持ってきたわよ」
カタリーナの声にピタリと魔狼は動きを止めた。
「ごめんね、来られなくて」
袋からパンを取り出すと、下に置く間ももどかしいとばかりにカタリーナの手から奪い取る。
(どうしよう……もう野生の魔狼には戻れないのかな)
大きな尻尾を振りながら無心にパンを食べる魔狼を見つめてカタリーナはため息をついた。
薬草採取に来たのは久しぶりだ。
最近、休日はハインツと過ごしていたのだ。
遠乗りに行った次の休日は観劇へ行った。
ランベルトに『一緒に恋愛ものの芝居を観ればいい雰囲気になりますよ』と今回はまともな提案をされたのだ。
お忍びなので、二人とも魔法で外見を変えた。
———王立劇場なのだしお忍びではなくてもいいのではとカタリーナは思ったのだが、ランベルト曰く『お忍びの方が気持ちも盛り上がる』らしい。
劇は幾つもの試練を乗り越えて身分違いの二人が結ばれるという、定番だけれど人気の演目で、カタリーナは最後の場面では思わず涙が出てしまうくらい感動したのだけれど。
ハインツはというと……途中、眠っていたのだ。
……お忍びで良かったとカタリーナはつくづく思った。
王子が退屈したなどと知られたら、劇の評判にも関わってしまう。
そのハインツに劇の感想を尋ねると『何故王子ともあろう者が国と恋、どちらを選ぶか悩むのか解せない』と答えた。
そういう有り得ないような恋物語だから女性の心を高鳴らせるのだとカタリーナが言うと眉根を寄せて首を傾げていた。
———ハインツは見た目も中身も欠点のない、心優しい王子様という風に思っていたけれど。
どうやら鈍い所があるらしい、ということが分かってきた。
別の休日は王立植物園へ出かけた。
遠乗りの時にカタリーナが植物が好きだと言ったのを受けて、行こうと誘われたのだ。
カタリーナもこの植物園へは何度か来ていたが、今回はハインツが事前に伝えてあったため特別に非公開の研究室の方にも入る事が出来たのだが、そこでカタリーナはやらかしてしまった。
目の前に並ぶ貴重な薬草の数々にすっかり夢中になり、ハインツの存在も忘れて研究員に質問しまくってしまったのだ。
ひとしきり知識欲を満たして———ようやく今日はデートだった事を思い出し、硬直してしまったカタリーナを、ハインツは優しい眼差しで見つめていた。
「本当に君は植物が好きなんだな」
笑顔でそう言って、ハインツはふとその表情を改めた。
「それにしても、随分と薬草に詳しいようだが」
カタリーナはぎくりとした。
「……ええと……実は……」
ギルドに登録していることは伏せて、カタリーナは薬を作るのが好きだということと、その薬を領地のギルドで使っていることを明かした。
貴族令嬢らしからぬ趣味にハインツは最初驚いていたが、『領地や領民の役に立つのは良いことだな』と言ってくれた。
ハインツが自分の薬作りを受け入れてくれた事にカタリーナは安堵した。
『令嬢のくせに』などと否定されてしまったら、ショックで立ち直れなかったかもしれない。
だがハインツは『君は好きなものの前ではとても表情が豊かになるのだな』と、最近よく見せるようになった柔らかな笑顔でそう言った。
あの時の笑顔を思い出して、何故か顔が熱くなってくるのを感じていたカタリーナのワンピースの裾を魔狼が加えて引っ張った。
「……ああ、もっと欲しいの?」
もう一つパンを渡すとすかさず食らいつく。
「———ごめんね、もうあまりここに来られないの」
パンに夢中の魔狼はカタリーナの言葉にバッと頭を上げた。
カタリーナを見上げる赤い瞳が大きく見開かれる。
最近のハインツとの交流は家族も喜んでいて、ギルドよりも優先するよう言われている。
薬は王都の屋敷で作ればフリードリヒに届けてもらえるけれど、カタリーナ自身がここへ来る機会は減るだろう。
今日はハインツは公務があるため来られたのだ。
魔狼はカタリーナを見つめていたが、やがて足元に頭をすり寄せてきた。
しばらくそうして――ふいにその身を翻すとカタリーナに背中を向けた。
頭を下げ、威嚇するように唸り声を上げる。
(魔獣……?!)
カタリーナも警戒して周囲に気を配る。
魔狼の視線の先、木々の間から人影が現れた。
「……フリッツ?」
現れたのは、今日は用事があるから領地には来ないと言っていたはずの弟だった。
フリードリヒが近づくと魔狼はますます唸り声をあげた。
「大丈夫、あれは弟よ」
そう言って頭を撫でるとようやく威嚇を止めカタリーナを見上げた。
「……何で魔狼が懐いてるの?」
すぐ側まで来ると、フリードリヒは眉をひそめた。
「えーと……餌付けしちゃったみたいで」
「餌付け?」
「前にパンをあげたの……」
「パン? 魔狼に?」
フリードリヒはカタリーナと魔狼を交互に見た。
「どうしたの? 今日は来ないって言ってたのに」
「——料理長がね」
料理長?
唐突な言葉にカタリーナは首を傾げた。
「ねーちゃんがいつも二人分の昼飯持っていくって言って。父さんが心配してたんだよね、もしかしてギルドに好きな相手がいて逢引してるんじゃないかって」
「逢引?!」
思わずカタリーナの声が裏返る。
「だから後をつけてきたんだ」
「好きな相手って……そんなのいる訳ないじゃない!」
「でも現に二人分の昼飯を持っていってるだろう。——まさか逢引相手が魔狼だなんて思わなかったよ……?」
魔狼を見つめるフリードリヒの視線がふいに鋭くなった。
「……違う。こいつ、魔狼じゃない」
「え?」
「気配が魔獣じゃない」
フリードリヒは腰に下げた剣に手を当てた。
「何者だ」
「フリッツ!」
殺気を顕にしたフリードリヒに、カタリーナは思わず腰を落とすと魔狼の首に抱きついた。
「そいつから離れろ!」
(離れたら殺されちゃうじゃない!)
カタリーナは心の中で叫んだ。
何者であっても、カタリーナに懐いてくれているのだ。
「だめ…っ」
突然カタリーナは手に痛みを感じた。
見ると……魔狼がカタリーナの指に噛み付いていた。
「姉上!」
鋭い牙が指に喰い込むのを感じた瞬間。
カタリーナの視界が真っ白になった。




