閑話:馴れ初め3
平民の悪魔として生まれて早数百年。本来なら、とっくの昔に恋の一つや二つしていても可笑しくない年齢のアスティーリアが未だに生娘なままで恋愛経験ゼロなのと異性に対する免疫が少ないのは、子に中々恵まれなかった両親がかなり遅くになって生んだ一人娘で大事にし過ぎたからだ。周囲から蝶よ花よと大切に育てられ、けれど誰に対しても気遣いの出来る優しい性格に育った。高位貴族の魔族、それも魔王の補佐官を務める程の有能な悪魔ルキウスに惚れられる要素を何一つ持ち合せていないのに彼が自分を好きにさせてみせると自信たっぷりな様子に疑問を抱かざるを得なかった。
抑々、出会ったのは昨日。何処に惚れる要素があるのか。
アスティーリアは手を握って街を歩くルキウスの背を見つめた。長身に服の上からでも見える適度に鍛えられた体つき、女性を虜にする甘い低音声と絶世の美貌。魔族は魔力が高い程容姿が美しくなる。平民でありながらも、アスティーリアが美少女の類に入るのは魔力の高さから。
「あの、る、ルキウス様」
「なあに」
「何処へ向かわれているのですか?」
「さあ?おれは基本城から出ないから、平民街を知らない。アスティのオススメの場所を教えて」
と言われても困った。アスティーリアが普段行くのは平民がよく使う雑貨屋にカフェ等。とても高位魔族が通う店はない。答えられないアスティーリアに構わず、どんどん進んで歩くルキウス。不意に立ち止まると振り返った。
「ないの?」
「す、すみません。貴族の方に案内出来る場所が思い付かなくて」
「貴族とか関係ないよ。おれは君がよく行く所に行きたいの」
案内した結果気に入らなくて殺されるのはアスティーリアとしては避けたい。ルキウスの本心は取り敢えず置き、このまま案内しないと機嫌を悪くされる恐れがある。アスティーリアは普段から通っているカフェにルキウスを案内した。
暗い色を基調とする魔界に於いて、赤煉瓦で建てられた建物は非常に珍しい。人間界のカフェを見て感慨を受けた店主が何年か修行を積んだ後開いたカフェ。ドアを引くとカランコロンと鐘が鳴った。珍しい物を見る目で眺めるルキウスがアスティーリアの髪に触れた。
「良い場所だね」
「は、はい。平民の間ではとても人気なお店なんです」
「見た所、下級貴族の夫人や令嬢も混じっている様だ」
「え」
「おれは城内をふらふらするのが好きだから、色んな人と会うんだ。向こうから声を掛けてくるのが殆どだけど」
魔王の補佐を務める絶世の美貌の悪魔。魔界の女性達が放っておく筈がない。ルキウスが言った通り、店内にいる着飾った夫人や令嬢達が熱い視線をルキウスへ向けている。更に、側にいるアスティーリアに激しい嫉妬に燃えた瞳をぶつけている者もいる。他人に悪意を向けられた経験がないアスティーリアの体は凍り付いた。裕福な部類に入るとは言え、自分の家は所詮庶民。例え下級貴族だろうと簡単に潰されてしまう。
小さく震えだしたアスティーリアの腰にゆっくりと腕を回したルキウスが囁いた。
「大丈夫。怖がらないで。側にいるから」
「っ……」
コクリと頷いたアスティーリアの頭の天辺に柔らかい感触が当たった。不思議に感じて顔を上げると眩しい美貌が優しげにアスティーリアを見つめている。
「どうしたの?」
「今、何かしました?」
「いいや。何も。ほら、こんな所に立ったままじゃお店の迷惑になるから、適当な席に座ろう」
「わっ」
そう言われ、腰に回った腕に押されて店内を進んで行く。ルキウスの美貌に宛てられて頬を赤く染める女性達。中には、感嘆の声を漏らす者もいた。ルキウスは一番奥の二人用の席を選んだ。店の色に合わせて作られた赤煉瓦色の椅子を引くとアスティーリアを座らせた。自身も向かいに座った。
店員の女性が水を運んで来た。店員もやはりと言うか、ルキウスの美貌にすっかりと宛てられて頬が赤い。ルキウスには甘い声でメニュー表を渡したのに対し、アスティーリアにへ大変素っ気ない態度でメニュー表を放った。
こんな扱いは初めてでどうしたら良いか分からない。完全な原因はルキウス。俯くアスティーリアの頬に手が伸びてきた。相手は言わずもがなルキウスである。
「俯いてないで可愛い顔をおれに見せてよ」
「ううっ……あ、あの」
「この店のオススメを教えて」
「は、はい」
どうして私を選んだのですかと聞きたかったのに、店のオススメメニューを聞かれつい返事をしてしまった。メニュー表を開き、最近のオススメをルキウスに教える。興味深そうに頷くと近くにいた店員を呼んだ。先程、水を運んできた店員だ。ルキウスに呼ばれる為にずっと待っていたのだ。嬉々とした様子で注文票を持って近付いた店員にルキウスは注文していく。人間界で修行を積んだ店主自慢のガトーショコラとカプチーノを二つ頼んだ。
「他にご注文は?」
「これだけでいいよ」
「承知しました!少々お待ちくださいませ!」
ルキウスにだけ笑顔を向け、振り返る際視界に入ったアスティーリアを冷たく睨み、店員は厨房へ行った。
居心地が悪そうにするアスティーリアは、どうにかしてこの場を抜け出したかった。ルキウスがいるせいで店員や周囲の女性客から冷たい悪意に満ちた視線を貰うなら、早くルキウスの側から離れたい。
アスティーリアから見てもルキウスは、今まで見てきた悪魔の中で最上級の美貌を持った男性だ。魔王の補佐官を務める高位魔族なのだから当然だった。
それに、である。昨日会ったばかりのアスティーリアに惚れた、というのも胡散臭い。
アスティーリアはこう考えている。
(貴族の中には、平民の女性を囲って好きに遊んだ後、襤褸雑巾みたいに捨てる人もいるって聞いた。もしかして、この人もそうなの?)
人の良さそうな顔をして、内心では何を考えているのか全く分からない。
もしも、予想通りルキウスが偶に噂で聞く貴族みたいに、身分のないアスティーリアで遊ぶ為に近付いたのなら――
「どうしたのアスティ?顔、真っ青だよ」
逃げないと。
急に顔を青くしたアスティーリアを心配したルキウスが顔を覗き込んでくる。
ビクッと震え、離れる様に勢いよく立ち上がった。
「アスティ?」
「……す、すみません。帰らせて、下さい。私、あの、その」
後々に本人が後悔する。あの時もっとマシな言い訳をしていれば良かった、と。
「私、親が決めた婚約者がいるんですっ、だから、ルキウス様と一緒にいる所を見られて勘違いされたら困るから帰ります!」
全部嘘だ。
親の決めた婚約者はいない。好きな人を見つけて、一緒にいたいと思えるなら結婚したらいいと常々言われている。ルキウスの反応を待たず、店を飛び出したアスティーリアは体力が限界になるまで走った。どれくらい走ったのだろう。人気のない場所まで走って、立ち止まって、呼吸を整える。
もしも、ルキウスが自分が聞く噂通りの貴族の人だったら、所詮庶民でしかない自分に惚れる筈がない。
「ねえ、鬼ごっこは終わり?」
「っ!」
ビクリと体が震えた。目の前には、優しげに微笑んでいるのに……無性に怖いと感じるルキウスがいた。
「アスティ。おれは嘘は嫌いだ。あんな嘘を言っておれの前から消えるなんて酷いね」
「う、うそ、じゃない、です」
「嘘だよ。魔王の補佐官なんかを長年務めてたら、相手が嘘を言っているかどうかなんてすぐに分かる。君は嘘が苦手みたいだね、顔に出てる」
「や……」
一歩、一歩と近付いて来るからアスティーリアも一歩、一歩と下がる。背中が壁に当たった。あ、と声を出したと同時にルキウスが一気に距離を詰めた。驚き、脅えるアスティーリアに顔を近付けそのまま……
「んん……!?」
「ん……」
唇を重ねた。
アスティーリアにとって生まれて初めての異性とのキス。微かに開いてた唇を抉じ開け、ぬるりと舌が入れられた。体を堅くするアスティーリアの後頭部に手を回し、指に髪を絡めて撫でた。もう片方の手は腰に回し、引き寄せた。
「ん……んう……っ、や、こわ……い」
「大丈夫だよ、アスティ……おれに全部、任せて……ちゃんと……から」
「んあ……」
好き勝手動き回ると思うと、今度はアスティーリアに気遣って優しく口内を舐める舌が段々と気持ち良くなり始めた。
キスをされて漏れる声はルキウスのキスに感じている証拠。
気付くとアスティーリアは自分からルキウスに抱き付いていた。
「んんっ、ん……あ……ルキウス、様……」
「いい子だアスティ、そのまま、おれを感じて」
アスティーリアを更に強く抱き締めたルキウスは、ふとある思考が浮かんだ。が、止めた。きっと実行したら嫌われる。それだけは嫌だ。折角見つけた『宝物』なのだ。絶対に逃したくない、嫌われたくない。だが、一々アスティーリアに会いに行く時間が惜しい。
優しいキスから、激しいキスに変わって、耐えきれなくなったアスティーリアはガクンと体の力が抜けた。
倒れたアスティーリアをちゃんと抱き止めたルキウスは、意識のない彼女にこう囁いた。
「一週間。毎日君に求愛するよ。安心してアスティ。キス以上の事はしないから」
読んで頂きありがとうございました!




