予選決着
「――?」
眼前。追い詰めた敵二人の気配が変わったことに、『三本足』のセネバネは静けさを保ったままの瞳を細く据えた。
ざわ、とさざめく観衆の声が闘技場の壁を囲むように広がる。
「……」
敵の片割れ、カタナ=イサギナが構えを解いて下がっていき。
「――来い」
残った一人、コーザ=トートスが、両手に構えた剣をセネバネに差し向けていた。
「ふむ」
黒衣の剣闘士は、新人たちのとった行動を判じかねるように足を止める。
一対一を挑む――。目の前の光景を見ればその意味は明らかだ。
しかし、あまりにも意図が分からない。
今まさに二対一の戦いで追い詰められ敗北しようとしていたのが彼らである。そこから一人が自ら離脱して何になるのか。
考えられる答えは一つ。
(罠がある)
むしろ、無いわけがない。
あえて不利となる形をとり、セネバネを罠の中に誘導する。それしか彼らに勝機はあるまい。
ただ、それでもこの布陣はあまりにも、あからさま過ぎる。
そして何より――。
(罠など、どこにある?)
たった今考えた言葉と全く矛盾する想念がセネバネの胸中に浮かぶ。
壁に囲まれた闘技場にあるのは、ここまでの戦いで倒れ、気を失った剣闘士たちとその武器のみ。落とし穴もなければ伏兵もいない。暗器使いとして名を売っている彼らの同期ならいざ知らず、罠など仕込める余地はないはずだ。
(――)
セネバネという男は、あくまでも剣闘士である。軍師でもなければ隠密でもない。そうした刃を持たない戦いのなんたるかまで熟知しているわけではない。
だからこそ、カタナたちの奇策に一瞬面食らい、迷った。
そして、剣士だからこそ、答えの出ない問題に悩むことはすぐにやめた。
「面白い」
再び、黒翼の兇刃がしゅるりと空を裂く。
「この期に及んで、何かできるのならやってみろ」
たたん、たん、とん。相対する者の心胆を凍らせる『三本足』の歩みが迫る。
「無論、こちらはそれを噛み破るがな」
決着、近し。
●
「おおおぉ!」
迫るセネバネの刃に向かい、コーザは咆哮と共に足を踏み出す。
――こいつにカタナは追わせない。
その双眸には決死の色さえ宿っている。
最後の『勝負』に繋げるためには、その瞬間までコーザがセネバネを引きつけていることが絶対条件。
多少距離が離れたからといってカタナから意識を外すほど迂闊でもないだろうが、先程までと違い、振るわれる刃は全てがコーザを狙っている。その密度、苛烈さは倍では済まない。
大剣と細剣が噛み合い、直後二の太刀がコーザを切り裂く。
「今、お前を片付ければ、どんな策だろうがご破算だ」
「舐、め――るな!」
顔面に迫る三の太刀。コーザは身を捻りつつも片手で剣を薙ぐ。
セネバネの身体ではなくより近い細剣を持つ腕を狙った一撃は、半歩遅らせた歩法によって射程をずらされ、受け止められる。
一瞬の均衡。
そしてすぐにセネバネの『三本足』による幻惑が――。
「おおっ!」
「なに――」
寸前、突進したコーザが自分の刃ごとの体当たりでセネバネにぶち当たる。
二つ名持ちの剣闘士であるセネバネが、虚を突かれたようにたたらを踏んで飛びのく。
両者の刃が組み合った地点に委細構わず身体を突っ込ませたコーザは、二つの刃に肩を削がれつつも、その捨て身で『三本足』を退かせたのだ。
「ぐ、おお!」
上がる叫びは、痛みによるものではなく、闘志の雄叫び。
一対一――、先刻よりも不利な戦況を自ら選び、さらに目的が敵の誘引にあってなお、彼が選ぶのは守勢ではない。
「若いな――だが悪くない」
その意気を認め、改めて構えたセネバネが間隙を埋めるように視線を動かす。目の前の勇戦に気を取られ過ぎて、もう一人の伏兵を見逃すわけにはいかない。
が――。
「……?」
彼の眼に映ったのは、背中を向けて戦場から駆けるように離れていく――もう一人の敵の姿だった。
●
敵前逃亡――。
セネバネは、脳裏に浮かんだその言葉を、にわかに受け入れられなかった。
闘技場での闘いの結果、降参されたことは何度もあるが、背を向けて逃げ出されたことなど今までに一度も無い。
そこまでの恥知らずなど、剣闘士として失格以前の問題だ。
まさか、逃げるなどあるわけがない。何かの狙いが――いや、しかし。
あれ程に離れてしまっては、もはや自分がコーザを倒すまでに、カタナは何もできることなどないだろう。今から踵を返しても、それまでに決着に至る。
戦闘の最中にあるまじきことながら、『三本足』のセネバネは確かに束の間、呆然としていた。
直後に湧いて来たのは、苛立ちと情けなさだ。先程まで相手を見込んでいたからこそ、この有様が許しがたい。
「――」
コーザと、目が合う。無言、そして変わらず戦意を燃やすその立ち姿。これも、組んだ相手を見限ったが故のものなのか。
首を一つ振る。あれが逃走にせよ見当外れの愚策にせよ、もはやこの戦いは終わった。
「興が削がれたな」
とはいえ、目の前のこの若者の為にも、せめてこの剣戟は全うせねばなるまい。
「――終わらせるぞ」
愉しみも恐怖もない。慈悲の介錯のような剣だが、そこで手を抜くほど、自分の武は軽くない。
たたん、たん、とん。
そうして『三本足』のセネバネは、己で最後と決めた疾走を開始した。
●
(――来る)
セネバネの意識が完全に己に集中したのを察知したコーザは、手にした剣を正眼に構える。我流で鍛え、野良試合で名を上げ闘技場に至った彼には珍しい、正統派の構え。
コーザが倒れるという決着までには間に合わないところまで離れたカタナ。
その「間に合わない」ものを「間に合わせる」ためには、コーザがセネバネの計算を完全に狂わせるだけの何かが必要だ。
戦意や根性などというものだけでは越えられない、段違いの戦力差をこの土壇場で埋めることなど傍目には不可能事だろう。
だが、仕込みは済んでいる。
殺気混じりの剣気を正面から迎え撃ち、コーザには成算が微かに見えていた。
一つは、セネバネの気配が明らかに変わったこと。努めて冷静になろうとしているが、先程までの余裕と高揚は拭い去られている。
己が内の精神に変化が生じ、体捌きにほんの僅かな遅滞がある。
なまじ完璧な技を叩き込まれて来ただけに、その差はコーザの目には明らかだった。
彼らの狙った結果ではないが、この際は、乱れとも言えぬほどのその齟齬がコーザの防戦をかろうじて成立させる。
そして、甚だ頼りないながらにもう一つ。
利き手とは逆に潜り込むセネバネに対し、コーザは静かなすり足で間合いを調整。
「ふっ!」
打ち下ろす斬撃を、幻惑の歩法で躱しざまにセネバネの細剣が迫る。
くん――、とその切っ先を傾けた剣の鍔元で受ける。同時に手元を捻り、巻き落とす――。
「――?」
当然、そう簡単に行くはずもなく、セネバネは噛み合った剣を引き、コーザから一歩距離を取る。その顔には薄い、しかし確かな当惑がある。
再び迫るセネバネ。地に沿うような低い体勢からの足を刈る横薙ぎ。
「……っ!」
反射的に跳び出そうとする身体の手綱を引き、勢いはそのままに片膝を付き、地面を掠めるような切り上げに移行。
細剣を弾きつつ胸元に剣を溜め、突き。
「ちいっ」
歩法を繰る間もないセネバネが跳ねるように後退する。今やその顔にははっきりとした疑念が表れている。
「なんだ、それは」
問いを、コーザは黙殺。というよりも、問答などしていてはこのギリギリの集中が途切れる。
「それは、剣闘士の剣技じゃない……。それは――」
言葉と同時。『三本足』の刃が三度駆ける。
コーザは揺るがず。受け、捌き、弾いて反撃。幼い日に見た姿を現在の己に上書きする。
ああ、亡き父の死に様が、声が、己の胸にうつろに響く。
――負けてはならない、屈してはならない、敗北とは、名誉の失墜。
「騎士の剣か!」
――それが、『騎士道』というものだ。
●
逆巻く旋風のように襲い来るセネバネの細剣。未だに見切ることのできないその斬撃を、コーザは剣と防具で受け止め、逸らし、斬り返す。
「ふぅ――!」
先刻までとは打って変わった戦いぶりに、セネバネの呼吸が乱れている。
相手の戦いの拍子を読み、幻惑の歩法で乱し主導権を握るのがこの二つ名持ちの必勝戦術。しかし今、コーザの転調によってその拍子が狂い、逆にセネバネの歩法を乱していた。
「つあっ!」
深く腰を落とし、体幹を安定させてからの二連撃。力強さはそのままに、激しさの代わりに揺るがぬ重さが込められた大剣に、細剣が抗しきれずに弾かれる。
「っ!」
ならばと速さを活かし回り込むが、コーザはあくまでも冷静に、最小限の足捌きで死角を穿つことを許さない。
――やりにくい。
率直に、セネバネはそう認めた。意表を突かれたこともそうだが、この騎士の剣術は単純に彼と相性が悪い。
それでも。これが苦し紛れの戦法変更であれば、経験豊かな剣闘士にとってはむしろ容易い獲物となっていたはずだ。しかし、このコーザの剣には拙いながらも確かな『芯』がある。
明らかな我流の喧嘩剣術と正統な騎士の剣。相反する二つの剣法を繰り出して見せた年下の剣闘士に、セネバネの眼の色が変わる。
(一度距離を取って『三本足』を組み直すか。いや!)
「ぐ!」
「ここで、決める」
大きく踏み込んだセネバネの身体が跳ね上がり、コーザの胴に回転蹴りを叩き込む。ここに来て初の打撃技をまともに喰らい、若き剣闘士の身体が大きく後退する。
そのまま、直進して間を詰めたセネバネは、一気呵成にコーザを押し込む。
自らの代名詞である『三本足』の歩法を敢えて止め、力と速さ、純粋な戦闘術の利で圧倒しにかかった。
先程自身で言った通り、得意技であっても使わないことを的確に判断できる――。一流の戦士特有の感覚が、ここで強引にでもコーザを沈めることを決めていた。
「これ以上、隠し玉を出されるのも御免でな」
裏を返せば、それだけコーザの見せた戦いはセネバネの警戒心を刺激したとも言える。
烈しくも荒々しい最初の剣術と、堅く揺るがない今の剣術。二つの剣を練り上げて、一つの――『コーザ・トートスだけの剣』と為したなら――。
(そういえば、剣闘士が二つ名持ちに目覚める場面に相対するのは、まだ経験が無かったな)
思い、妙なおかしみと同時に踏み台にされるのは御免被るという反発心が湧き上がり、セネバネは追いすがるコーザを突き離すべく細剣を閃かせる。
「ぐぁ……!」
そして、幻惑を捨てた二つ名持ちの猛攻にさらされたコーザはその勢いに抗しきれず後退を始める。未だ完全とは言えない戦法では、この純粋な実力差を覆すには至らない。
打ち下ろされる刃を防いでも、間髪入れずの蹴り、そして二の太刀。格闘を絡めた攻勢に、今度はコーザの拍子が崩される。
一度均衡が崩れれば、その流れを逃すセネバネではない。コーザが一歩退けば二歩押し込み、三歩下がれば五歩詰める。
そして――。
「……」
「良く戦ったが――終わりだ」
壁際に追い詰められたコーザは、片膝を着いて無言。しかしその眼は微かに伏せられ、セネバネを見返すことはしていない。
コーザはセネバネの想像以上に粘ったが、結局のところ、『三本足』の身体にはほとんど傷もない。最終的には二つ名持ちの盤石な強さを見せつけた形である。
剣先を突きつけ、決着を着けるべくセネバネが軽く息を整えたその瞬間――。
「そうだな、終わりだ」
コーザが軽い笑いを含んだ声で同意し。
「――な!」
その上空から、カタナ=イサギナが降って来た。
●
(ここが、最後の勝機!)
剣戟を交わしていたコーザとセネバネ。
その両者の上――闘技場を囲む壁の最上部から飛び出したカタナは、跳躍と落下の勢いを乗せて、姫斬丸を振り上げる。
『三本足』のセネバネの矢面をコーザに任せたカタナは、まず、両者に背を向けて、真っ直ぐに最も離れた壁を目指した。
セネバネの警戒から外れ、意識を完全に向けられない存在になるには、それだけの距離が必要だった。
それでもセネバネが意識を外さなかった場合、またコーザがセネバネを反対の壁際まで誘導できずに敗れてしまった場合――カタナの行動は完全に自滅行為になっていただろう。
しかし、カタナには勝算が――否、信用があった。
(本気のコーザを仕留めるのに、他所見なんかできるものか)
だって自分が引き付け役だったら、絶対そんな舐めた真似はさせない。
そして、セネバネの眼中から消えたカタナは、ざわめく観衆をよそに壁を一息によじ登り――そのまま最上部のへりを駆け抜けた。
観客の目線の高さ――闘技場を見渡せるその壁は人の身長よりも遥かに高い。
観客席に入ることはその場で失格となる剣闘の規則だが、壁に触れることは違反ではない。ならば、その上を走ることもまた然り。駆け抜ける音と気配を観衆に紛れさせ、カタナはセネバネの間合いに接近していった。
これは、普段の剣闘では意味を持たない行為だ。一対一の戦いでは、こんなことをしても相手には丸見えで、飛び降りたところを狙い撃ちされて終わりだ。
しかし、敵の眼を引き付けてくれる味方がいる状況ならば話は別だ。敵の頭上に、気づかれないまま接近することで――戦闘中の奇襲が可能となる。
この役目はコーザにはできない。カタナの身軽さあってこそ決着前に間に合わせる目が生まれる。
しかもコーザは土壇場で、壁際で膝を着くことまでして視線を下へと誘導してくれた。
故に。
「そうだな、終わりだ」
コーザの合図の言葉と同時。セネバネの意識の外から急襲したカタナは、宙へとその身を躍らせた。
●
驚愕。そして僅かな安堵。
(なんだ、やっぱり逃げていなかったのか)
完全に出遅れた意識の中で、そんな風に思う。
剣戟を交わした感覚通り――、こいつらは骨の髄まで闘争心が満ちている。背中を向けられたくらいで評価を変えたのが間違いだった。
納得する意識とは裏腹。彼らと同じ闘争の権化たるセネバネの肉体は、反射的に細剣を突き出し、中空のカタナを突き刺しにかかる。
迎えるカタナの眼に揺らぎはない。セネバネの一刺とすれ違うように、手にした剣を振り抜く。
そしてそのままの体勢で、コーザのすぐ横に着地。
「――待たせた」
「別に待ってなどいない」
両者、なんとも素っ気ない言葉を交わす。その、互いの命を預け合った関係とも思えないやり取りにセネバネは思わず笑ってしまった。
「まったく……最近の新人ときたら」
言って、手を見る。正確には、根元から斬り飛ばされた己の細剣を。
落下の勢いを乗せた最高速の斬鉄剣。二つ名持ちの剣闘士である自分をして、まったく抗うこともできなかった一撃。
「お前たち、覚えていろよ」
突きつけられた二本の剣にセネバネは両手を上げつつ、カタナとコーザに告げた。
「この負けの借りはいずれ、闘技場でたっぷり返してやる」
この瞬間。
カタナ=イサギナとコーザ=トートスの『双剣祭』予選突破が決定した。




