『三本足』のセネバネ
しゅるぅり――。
生命を穿ち啄ばむ兇鳥が、カタナとコーザに襲いかかる。
「ぐあっ」
「カタナ!」
咄嗟に二手に分かれたカタナとコーザ。一切の遅滞を見せない一陣の剣風は、一気呵成にカタナの方に狙いを定め、瞬く間に少年の身体にいくつもの血の花弁を斬り咲かせた。
「雄ぉっ!」
更なる追撃をかける黒き影に、割って入ったコーザの上段斬りが降り注ぐ――。
「ふぅっ――」
が、不規則に舞い上がる羽毛の如く、その影はコーザの斬撃を掻い潜り、あまつさえカタナへと更なる斬撃の手を伸ばす。
「まだ――」
「――だっ!」
カタナは咄嗟に盾にした姫斬丸で兇鳥の放つ細剣を一手防ぎ、その一拍を狙い澄ませたコーザの長剣が上段斬りから斬り上げへと連絡、両者の刃で敵手を挟み撃ちに追い込んだ。
決まる――。
カタナもコーザも、甘い期待でも憶測でもなく、戦士としての眼でそう確信した連携の逆撃。
それが。
――たたん、たん、とん。
あっさりと、軽やかな足音だけを残してすり抜けた。
「な!」
「に――」
残されたのは、空を斬って隙を晒した二人の身体と、それぞれに刻まれた裂傷の置き土産のみ。
既に傷を負っていたカタナの頬がさらに一際深く裂け、コーザの脇腹から鮮血が飛沫く。
「今ので終わるかとも思ったが、どちらも大した避け勘だ。相方が残っていればまだ楽だったか」
身を強張らせるカタナたちの前方に、ふわり、と地に沈み込むように身を屈めた体勢で動きを止めた兇鳥。『彼』は、言葉ほどの驚きもなく、しかし揶揄する響きもなく、ただ淡々とそう言った。
「――く」
「おのれ……」
しかし、その悠揚迫らぬ静謐こそが、この戦域では何よりの屈辱だと、カタナとコーザは奥歯を噛み締める。
その言葉を信じるなら、この二つ名持ちと組んでいた剣闘士は既に倒れていることになる。
ならばカタナたちの数的有利は確実。だというのに二人の背には冷や汗が滲み、相手は平然と口を開く。
「そう怒るな。これは俺の癖でな、どうしても、剣を振るっていると無表情になってしまう」
そしてその言葉通りに、乱れの無い顔と声音。冗談とも本気ともつかない台詞を舌に乗せる。
「さあ、続けようか」
そしてあっさり簡潔に言葉を切ると――再び、昏き風が闘技場を吹き抜ける。
『彼』の二つ名は『三本足』。
剣闘都市シュームザオンが誇る剣闘士の中でも精鋭たる二つ名持ち、その中でも屈指の実力を持つ最精鋭は未だその剣の深奥を見通させない。
『カタナ=イサギナ、コーザ=トートス。前途明るい若き闘士に、剣闘士セネバネ=アクノイドが、一手斬り結んで仕る』
そんな口上が二人の耳に届いたのは、あるいは幻聴だったのかもしれない。
ただ。
「っ、散るぞ!」
直後彼らに殺到して来た剣気の鋭さだけは、紛れもない現実だった。
●
「迅い――だけじゃない。何、あの動き」
戦域を駆ける『三本足』の黒影を遠目に見据えて、ククは困惑した声を上げた。
「ねえシジウス、あいつの動き、何かおかしい!」
そう言う間にも、セネバネの姿がククの視線を潜るように『ブレる』。
一歩。
一瞬の間で、本来あるべきとククが見ていた位置から一歩踏み込んだ地点にセネバネの姿がある。
「!」
傍目に見えるのはたったの一歩の差。しかし目の前で「それ」をやられたカタナたちにとっては、ほとんど姿を消されたのに等しいズレだ。
攻撃は空を斬り、防御は意味を為さない隙となる。
まるで何かの詐術にかけられたように、一方的な戦闘が推移していく。
「? 足の動きが、おかしい……」
眼にも止まらぬ速さで剣闘場を駆けるセネバネの姿が、ククの眼には僅かに歪んで映る。
『三本足』――。その不可解な二つ名そのままに、正体を観衆にも対戦相手にも悟らせない幻惑の歩法。
「……」
傍ら、同居人たる少年の疑問に対して、元・地下闘技場の剣王シジウスは無言のまま。
その眼光は、近頃見られる茫洋としたそれではなく、かつての愛剣『獣爪剣』を思わせる鋭いものに変じている。
(幻惑……には違いないが、小細工ではない)
カタナとコーザを追い詰める片手間に、まだ生き残っていた剣闘士たちがセネバネの細剣にかかって倒れていく。
カタナたちがまだ倒れていないのは、本人たちの必死の抗戦だけが理由ではない。意識の幾分かでも、セネバネが周囲に気を散らしていたからだ。
上位の剣闘士である自分に対して数で掛かって来られるのを恐れた、というよりも念には念を押したつもりなのだろう。
思いの外歯ごたえのある新人二人を相手にするに当たって、不確定要素をきっちり片付けた上で確実に潰しにかかる――油断も慢心もない、二つ名持ちの剣闘士の「容赦のない」真剣さだ。
「残るは……三人」
そして、本腰を入れて残党を刈り尽くした『三本足』は、自身と向かい合う最後の二人一組に眼を据える。
「――見えた」
「え?」
セネバネが勝負を「詰め」にかかるのと、シジウスがそう呟くのは、ほぼ同時。
「走れ、コーザ!」
ククが驚きの声を上げた直後、カタナが叫びざまにセネバネから全速力で距離を取った。
●
「そういう事か、『三本足』って!」
手足にいくつもの裂傷を受けつつも、カタナは獰猛に笑みを浮かべた。勝機を見出した少年にとって、この程度の傷など興奮を煽り盛らせる薪でしかないかのようだ。
しかし、その好戦的な表情とは裏腹に、カタナは相手と斬り結ぶことなく大きく後退しているだけだ。
「……!」
『三本足』のセネバネの刃は、自身が踏み込んだ分だけ下がったカタナには届かない。
僅かに、セネバネの顔が不快気に歪む。否。
「前に出たあんたと、後ろに下がったおれの速さが同じ――おかしな話だ」
その表情を不快ではなく、二つ名の意味を見抜かれた動揺と見たカタナは、さらに言葉を紡ぐ。
前に走るのと後ろに下がるのでは、当然ながら前進の方が速いだろう、それがほぼ同速度になるということは――。
「おれの方が根本的に動いが速いから? いや、いくらなんでもそれはないだろ?」
ここまで散々切り切り舞いさせられたのだ。セネバネの速さは、カタナのそれと同等以上なのは間違いない。ならば。
「追う側が、速度を落とさざるを得なかった――いや、狙って落としていた、か」
セネバネの背後を取ったコーザが、後を受けて続いた。
「『三本足』の歩法。幻惑されて実際の速度さえも気付けなくされていたのか」
たとえば走っているとき、右足で全力で踏み込み、直後の左足の踏み込みを一拍溜める。通常の全力疾走から半歩未満の遅れが生まれた動きは、見るものの予測とは僅かにズレる。
しかしそれ故に、単純な速度では僅かな遅れが生まれたのだ。
「しかも、踏み込みの歩幅、踏み出す方向。一歩一歩に変化がある」
言葉にしてしまえば簡単だが、実戦戦闘の中、手で剣を振るいつつ舞踊とは段違いに複雑な足運びを常時行うなど、並の剣士が何年研鑽しても到達できる領域ではない。
「……まあ、合格点だな」
『三本足』の剣闘士は、前後を挟まれた状態で静かに語る。
「正確には右脚と左脚、それぞれに『半分ずつ』速度と方向の微調整をさせているんだが」
右の一本半と左の一本半、それぞれ合わせて『三本足』。
と、韜晦のように、しかし変わらずの無表情でそう呟く。
「?」
その静かすぎる態度にカタナとコーザが僅かに怪訝の表情を見せた、次の瞬間。
「――で?」
『三本足』のセネバネの気配が、豹変し、牙を剥いた。
「人の『歩き方』を見破った、それだけで――勝ったつもりか、青二才ども」
直後、羽ばたくような音さえも置き去りに。
「ご、ぁ!」
コーザの肩を細剣が貫通し。
「な!」
翻った剣先がカタナの右腕を縦に撫で上げ、鮮血を撒き散らした。
●
何が起こった?
そう疑問を持つ前に、コーザの身体は前に出る。
いかに卓越した幻惑の技を持とうとも、斬りかかって来たこの一瞬は、確実に敵は「ここ」に居る。
「おおっ!」
剣閃を辿った最高速度の一撃は、しかし『三本足』の影さえ掴めない。
視線の先には、すでにカタナを斬り付けたセネバネが身を翻す姿がある。
「つあぁ!」
コーザの陰から飛び出たカタナも追撃の剣を振るうが、それもやはり届かない。
「何が……」
そこで初めて疑問が追いつく。
実態を掴めない、だけでなく単純な速度そのものが上がっている。
「まさか!」
半ば反射的に脳裏に浮かんだ答えにコーザは思わず驚愕の声を上げた。
「別に今まで手を抜いていた訳ではないが」
セネバネの声だけがその場に響く。
「今まで半歩遅らせていた分を、逆に半歩速めただけだ」
平然と、その最高速度を跳ね上げながら。
●
「ならっ!」
セネバネの宣言に対して、カタナが驚愕よりも戦慄よりも、負けん気が迸ったのはあるいは半ば虚勢だったのかもしれない。
今の、全力の本気を見せたセネバネの気配は、かつて嵐の闘技場で相対した『十字槍』のカガマ。あの最後の一撃を放った姿に劣らない。
歴戦の戦士が真の意思を取り戻した末の一瞬の輝き。それを常に放つこの男は、まさしく一流の二つ名持ちだ。
だからこそ、負けるわけにはいかない。
(たとえ速度が上がっても、その分を修正して交差法を叩き込む――!)
自身の読みと勘、死線を潜る嗅覚任せの乾坤一擲。
だが。
「もちろん」
カタナの突き出した剣先は、伸びきった時点で尚届かない。
「加速も減速も、どちらもできるわけだがな」
伸びた腕の下から突き上がる細剣がカタナの顔面に迫り、咄嗟に真横に転がって回避する。
「――っ!」
裂け目の出来た耳に、コーザの叫びが擦れて届く。
「そして、歩法に気を取られた相手には『敢えて使用しない』のも効果的だ」
セネバネがここで見せたのは、ごく普通の、直進からの正面突破。真正面から虚を突かれたコーザがか細いはずの細剣の衝撃に弾かれる。
ただの一撃――しかしそれは、最上級の剣闘士がなんの制約もなく放つ全力の一閃。当然、その威力は最前までのそれの比ではない。
「手札をどこでどう使うか、あるいは使わないか。その判断が出来て――まあ、やっと一人前と言ったところだな」
まるで講義を行うかのごとく。『三本足』の剣闘士はカタナとコーザを睥睨した。
●
「……うわぁ」
血の気の引いた顔色で、ククが呻く。なまじ戦いに通じるだけに、目の前の剣闘士の凄まじさが身に染みて実感できるのだろう。
「高速と低速の使い分け、それだけでも厄介なのに、歩法無しの正攻法もしてくるなんて……『薬』使っても読み切れる気がしないや……」
幻惑の足捌きに警戒すればするほど、使わない場合の対応が遅れてしまう。相手に常に三択を強いて追い詰める戦いは、あるいはもう一つの『三本足』の暗喩であるのか。
「……勝てんな」
消沈したククを横目に、シジウスはそう認めた。
一対一では、たとえ『獣爪剣』を手にしていた自分でも『三本足』のセネバネには届かない。主導権を握られた瞬間に、為す術なく敗北が確定するだろう。
『剣獄』の王と思い上がっていた自分は、本当に井の中の蛙であったようだ。
それが理解できただけでも、シジウスにとってはこの場に足を運んだ収穫は十分あった。剣闘の真髄、その深さをもって自分の愚かさに納得する、それがこの男なりの儀式だった。
「だが」
自分ほど諦めがよくないだろうあの剣闘士は、本来勝てぬ相手に一体どう立ち向かうのか。
そう思いを巡らせるシジウスの身体の芯に、僅かに熱が疼いていた。
●
(――勝てない)
カタナは全速で闘技場を駆けつつ、その意識においても極限に挑んでいた。
(一人では勝てない、速さでも勝てない、駆け引きでも、技量でも、経験でも勝てない!)
脳髄を駆け抜ける言葉は負の言霊。しかしその想念は、向う見ずなまでに貪欲だった。
(何がある? どんな要素なら優っている? この『三本足』に対抗できる要素は何だ?)
腕力――目いっぱい贔屓目に見ても互角がいいとこ。
体力――流した血が違いすぎる。泥沼の長期戦は、血の濃い自分はともかくコーザが持たない。
若さ――確かにこっちが若いけどそれが何になるんだ。この馬鹿。
目にする一級の『二つ名』持ちの実力と自身を比較し、ありとあらゆる要素を検証し、一滴でも勝機を探せ――否、抉じ開けろ。
視界の端に映るコーザが歯を食いしばって細剣を躱す。直後、カタナの眉間を貫きにかかる一閃を紙一重で弾く。
二対一。数という極大の優位をもってしても辛うじて拮抗するのが限界だ。先の見えている防戦に、それでもしがみつかねば即座に終わる。
大会前の『単眼狼』ニス=キスとの戦いでは、連携できずに蹴散らされたが、今回はその対策を講じた上でこの有様だ。
「く、そ――」
コーザが呻く。カタナも戦意に反して息が上がり始めている。
見つからない。勝ち目がない。そんな諦念に用は無い。
退く意味などない逃げ場などない。この壁に囲まれた闘技場には敵と味方以外には何も無いのだから――。
と。
「ん――?」
ふと、気付く。
ある一つの考えに。
天啓というにはあまりに場当たり的で、作戦というにはあまりに無謀な考えに。
「コーザ!」
叫びと同時に大きく『姫斬丸』を振るい、迫るセネバネと距離を取る。
「なにか、思い――ついたか」
「ああ――!」
声を発するのももどかしげに、肩で息するコーザに、カタナは大きく頷く。
そしてカタナは――。
「悪いんだけど――ちょっと一人でアレの相手してくんない?」
引きつった笑みで、相棒を地獄に叩き落とす言葉を発したのだった。




