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剣闘のカタナ  作者: 某霊
2.剣闘士たちの祭典
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剣の輪舞 後編

 たたん、たん、とん。

 羽ばたくような、軽い足音が闘技場の地面に響く。


 くあぁ――。

 欠伸のような、鳴き声のような、呼気とも唸りとも取れない音が刃を撫でる。


 しゅるり、すとん。

 風が吹き抜け、止まり木に降りる鳥のような空白とともに敵を切り裂く。


「――あ」

 斬られたその剣闘士の眼には、何も映っていない。ただ、己を置き去りにして続けられる乱戦がもはや遠くに感じられて、薄れゆく意識に寂寥が過ぎるだけ。


 見えなかった。

 近づく姿も、迫る刃も、斬られた瞬間さえも。


 ただ音だけ。まるでせめてもの慈悲であるかのように、彼は一体誰にどうして倒されたかの認識だけを耳に感じた。

 あまりにささやかに、どこまでも自然に、そして、ただ速やかに。


 ――これが、二つ名持ちの――


 それは時間にすれば一秒にも満たない、人が斬られ倒れるまでの間でしかない。

 無念も恐怖も置き去りに、戦意も喧噪も忘我の果てに溶けて、心の中に落ちた納得だけを抱えながら、その剣闘士は気を失って地に伏せる。


 そして。

 一合も剣を合わせずに倒した敵手の姿に一顧だにせず、黒い影は闘技場を駆けてゆく。


 たたん、たん、とん。

 たん、たん、ととん。

 跳ねるような、飛翔する前の助走のような――聞く者の心胆を否応なしに締め上げるような音を引き連れて。



「おおおぉ――!」

 轟音を伴に引き連れて、喊声が全身を叩く。

 雪崩をうつように殺到する剣刃を目の前に、カタナ=イサギナは微かな既視感を覚えて口角を吊り上げた。


「コーザ、突っ込むからな!」

 一歩、後方の「相棒」に言い置いて。


「つあぁ!」

 二歩、最高速で斬り込んだ。


 先頭切って突き出される槍の穂先に、手にした愛剣『姫斬丸』を一閃し斬り落とす。同時に横合いから落ちて来る大剣を薄皮一枚斬らせてやりすごす。

 伸びきった槍の残骸を逆に辿るようにさらに踏み込み、敵手の空いた脇腹に肘鉄をねじ込む。


「ぐはっ」

 ぼぎん、とアバラの折れる感触が響いた瞬間には、カタナの身体はくずおれる相手をすり抜けている。背後に置いて行った大剣の気配はまだ追って来ない。


 僅かな間、顔を上げる。その拍子に頬を伝って流れる血をぺろりと舐め取り、そしてカタナの視界いっぱいに広がっているのは――ただ闘争の坩堝。


 剣と剣、槍と槌、斧と盾。


 自身に向かって来るもの、その持ち主を狙うもの、互いに噛み合い撃ち合わされているもの。それぞれが太陽の光を照り返し、カタナの瞳を刺している。


 光に満ちた剣闘の戦場イクサバ

 見惚れてしまえば即座に命を落とすその光景は、故にこそカタナの背筋に痺れるような快楽を走らせる。


「右に飛べ!」

 瞬間、背後から響いた声に応じてカタナの身体が反射的に跳ねる。迫る刃を躱しざま、跳んだ先に居た敵の腕をなぞるようにして剣を薙ぐ。


「うあっ」

 削がれた腕を抱えて蹲る相手を見送る間もなく、しつこく追いついて来る攻撃を迎撃すべく振り返る――。


 直後。


「ぐおおっ!」

 悶絶の呻きを上げて、へし折れた大剣を抱えた剣闘士の身体が横合いに吹っ飛んでいく。地を転がり乱戦から弾き出された大柄な体はぴくりとも動かない。


「いったん下がれカタナ、薙ぎ払う!」

 その剣闘士を撃破した張本人は、手にした得物を鋭く構え直し、少年に向けて叫ぶ。


「おう!」

 カタナも「相棒」――コーザ=トートスの言葉に逡巡なく頷き、緑がかった黒髪を軽く乱しつつ身体を翻す。


「はっ――!」

 自らの言葉を発した時にはもう、コーザの長躯は引き絞られ、カタナの身とすれ違うような絶妙の間をもって突進。即座に乱戦に飛び込み、斬撃を解放した。


「おぐぁ!」

 乱戦の中でも一際目立っていた、板金鎧に斧槍ハルバードを備えた剣闘士。彼は自身を狙っていたコーザの一撃を正面から受け止めた――否、受け止めようとした。

 しかし、コーザ=トートスは、並の剣闘士が受けの一手で凌げるほどぬるい男ではない。


 かざされた斧槍は抗う間もなくへし折られ、腕ごと弾き飛ばされる。そして無論、それだけでは止まらない。


「ふうっ!」

 遅滞なく体を捌いたコーザはさらに一撃、今度は受ける手のなくなった胴体目がけて己が剣を叩き込む。


「……なん、ぐぁあ!」

 驚愕の声すらも断ち切られ、鎧をまとった剣闘士の身体が崩れ落ちる。ひしゃげた鎧の裂け目から流れる血は、斬撃が鎧を貫き肉体まで通ったことの証しだ。


「――さすが」

 コーザの背後に回って、新たな敵と切り結んでいたカタナは、思わずそう感嘆した。

 彼の実力は分かっていたつもりだったが、この乱戦の中で見ればその資質はよりはっきりと露わになっている。


(威力自体も相当だけど、一番とんでもないのはその威力の攻撃をこれだけ連発できることだ)


 今の一連の動きでコーザが繰り出したのは三撃。だがその全てが、見事なまでに「振り抜かれずに」止められていた。


 剣術の術理でもっとも重要なのは、いかに剣を速く強く振るうかではなく、いかに撃ち放った剣を正確に止めることができるかなのだ。


 振り抜ききることなく制御された剣と体は、常に臨戦態勢を保ったまま、万全の斬撃を繰り返し放つことができる。今のコーザのように。


 全身全霊の一撃と言えば聞こえはいいが、それは言ってしまえば放った瞬間無防備となり残心すらも覚束ない捨て身の剣だ。

 実際カタナも、今までの激戦で最後まで自身の剣を制御しきれていたか自信はない。勝負を決する瞬間にあくまでも自心を律するというのは、それこそ二つ名持ちでも難しい。


 だが、カタナはそんなことをできる剣士を一人知っている。

 斬る前と斬った後で微塵も姿勢の変わらない――。そんな極限の武を備えた剣士を。


「師匠」

 獣として生きたカタナを重複し、剣を叩き込んでくれた師。『闘王殺し』カーン=ハイドの剣が、まさにそんな剣だった。


 数百の敵兵に囲まれても単身それを殲滅することのできる己の師匠。当然コーザのそれとは次元が違うが、それでも剣術の方向性としてはほぼ同じだ。

 シグ=キアンとの初戦から剛剣の連撃を得意としていたコーザだが、ここに来てそのキレも技術の深みも格段に増していた。


 コーザの剣は独自の技で練り上げられた我流のもの。それを剣闘による実戦練磨を経てここまで至っているのだから、コーザの天性の資質は並ではない。


 そしてそれ故に。才に溢れる、師に近しい資質を持つコーザという剣士を、カタナはどうしても越えなくてはならないと感じている。


(「私は『剣』を捨てて己の色を手に入れた」――「ならば、貴様の場合は――『己』を捨てて、異形の剣を色とするしか道は無い」)


 かつて『闘技王』に刻まれた真摯な呪いは、いまだ解かれてはいないのだから――。


「でもまあ……」

 白昼夢にも似た想念は、しかし時間にして一瞬にも満たない。カタナの戦意に翳りはなく、常に敵に囲まれないように抜け目なく立ち回っている。


 いつかは倒さなければならない相手だ。そしてそれは、そう遠いことでもないはずだ。

 だがたとえそうだとしても。


「何をぶつぶつ言ってる、来るぞ!」

 どやされるような声に苦笑して、カタナは背中合わせに立ったコーザにからかうような声を掛ける。


「今だけは目的は同じ、味方だもんなあ?」

「うるさい!」



「すごい……ていうか信じらんない」


 カタナとコーザの戦う闘技場を人波に紛れて見下ろして、ルミル=トートスは兄と同じハシバミ色の眼を丸くして呟いた。

「お兄ちゃんとカタナさんが、あんなに息ぴったりに戦ってるなんて! あれどっちかニセモノじゃないですよね?」


「ルミルちゃん、落ち着いて。替え玉で剣闘に出るのは重罪だから」

「会長。会長も気にしている部分ずれてます」


 そんなルミルの傍らには、同じく驚きを隠せない様子の赤毛の少女――商会長の正装を身に付けたレレット=ヒューバードと、執事服のジーク=キアン。こちらの元剣闘士の青年だけは、平然とした様子で少女たちの当惑を宥めている。


 それぞれ身内のカタナとコーザが組んで出るというからには当然、レレットにせよルミルにせよ応援に来ないわけがなく、ならば少女二人だけに人出の多い剣闘の場に行かせる訳もなく、護衛兼解説役としてジークもお供することになり――この意外と珍しい三人組が出来上がったわけである。


 それぞれ二人だけなら、あるいはもっと大人数ならば今までにもあった組み合わせだ。が、この三人だけとなると、幾分景色が違っている。


 具体的に言うと、ジークがとても居心地悪そうだった。


「ジークさん、いったいどんな魔法使ってウチのお兄ちゃんに言うこと聞かせたんですか? ま、まさかイーユさんにお兄ちゃんの使役方法を聞き出したとか!」

「君の兄貴は魔獣か何かか。あとイーユって誰……まあそれはいいか」

 あんまりと言えばあんまりな少女の言葉に若干引くジーク。兄はいても姉妹のいない彼にはこのあたりの機微は良く分からない。


「わたしも気になる。カタナの戦い方が、この間の泉の時とは全然違う」

「会長、眼が怖いです。何で俺が睨まれるんですか」

 ルミルに続いたレレットの視線にさらに引くジーク。とはいえ、雇い主のご下問とあらば答えないわけにはいかない雇われの身であった。


「まず、誤解を解いておきますが、そこまで苦労したわけではありません」

 こほん、とわざわざ大仰な様子で場を区切り、ジークは眼下で剣闘に挑むカタナたちを示す。

「あいつらは自分たちのこれまで通りのやり方では『双剣祭』を勝ち抜けないことはわかっていましたし、勝つことを諦める気もなかった」

 だから、そのために必要なことなら何であろうと受け入れる覚悟はあったのだ。


 そんな二人に集団戦法を叩き込む上で、ジークとその兄のシグ=キアンが最初に徹底させたことは――。


「声を出せ」

「敵が来る、後ろだ、あの方向に攻める。そして、「助けて」。まずは相棒にこれを確実に伝えることだ」


 そう告げた時の二人の顔は、何と言うべきか。山猫が突然芸をしろと言われたらこんな顔になるのではないか、とそんな感想を抱いたものだった。


「言っておくが、無駄に舌を回せと言っているわけじゃないぞ、必要な情報を共有して方針を定めておくのは、集団戦の基本だ」

「自分一人で動こうとするな、二人で戦う時には眼は四つ、耳も四つあるんだ、頭だって二つあることを活用しろ。ついでにもう二つある口も使え」


 とは言え、キアン兄弟は伊達に傭兵として長年過ごしたわけではない、集団行動に向かない「はねっかえり」を一端の傭兵として鍛えることだって経験済みだった。

 こういう場合、最低限必要なことだけ告げたあとは、ただ実戦形式あるのみ。その認識で兄弟は一致していた。


「はぁー、あのお兄ちゃんが、タスケテ……?」

 なんとも不思議そうな顔で首を傾げるルミルに、ジークは軽く笑ってみせる。


「声を掛けあうこと、互いの距離を離さないこと、不利な時には逃げてでも助けを求めること。それをすれば「勝てる」ということさえ分かれば、あいつらはわりと・・・素直なものだったよ」

 それが分かるまで、一度は勝った自分たちにひたすら負かされ続けたのだから、分かって当然ではあるが。


 そんな裏はおくびにも出さず、元傭兵の執事は、そんな風に話を締めたのだった。



 さて、そんな話が脇でされているとは知る由もないカタナとコーザ。彼らの剣闘は参加者の人数も半減し、いよいよ決着も近くなってきていた。


「一回下がるぞコーザ、何人か釣り出して仕留める!」

「十秒待て、こいつはここで倒す!」


 額に汗を流して息を乱して、それでも彼らは声を止めず、剣を振るう。

 見守るジークもさぞ満足するだろう連携を見せている彼らだが、実は内心一つだけ決めていることがあった。


 声を掛けあい協力する、いいだろう。独りよがりには戦うまい。


(絶対に……)


 二つの頭を使って一つの勝利を目指す、上等だ。そういう戦いの面白さも分かった。


(……コイツよりも先に――)


 だがそれでも、ただ一言だけ。


 何がなんでも己の意地に賭けて――。


(『助けてくれ』とは言わん!)


 そのためになら、喜んでこの男と協力しよう。そんなことを、カタナとコーザはそっくり同じに考えていた。


 キアン兄弟の予想外、あるいは予期せぬ好援護というべきか。

 皮肉な話だが、その「最後の一線」を守るために、この二人はかつてなく協力的に戦うことができていた。


「うおぉ!」

 同時に跳びかかる敵二人を、コーザが長剣と肩の防具で押しとどめ。


「つあぁ!」

 狙い澄ましたカタナの『姫斬丸』が、足と二の腕を斬り払う。


「っ、これで!」

「あとは、あいつらだけか!」


 数が減って見渡しやすくなった剣闘場を、両者の眼が映し出す。最初は十組二十人いたこの戦場も残るのはあと二組――。



 たたん、たん、とん。



 そんな、羽ばたくような、軽い足音が闘技場の地面に響く。二人の背後で。


「――え」


 くあぁ――。


 欠伸のような、鳴き声のような、呼気とも唸りとも取れない音が刃を撫でる。二人のすぐ後ろで。


 闘いの熱気が根こそぎに奪い取られ、冷えた汗の気持ちの悪い冷たさだけが、カタナの背に残る。


 しゅるり――。


「っうあぁ!」


 絶叫寸前の雄叫びを上げて、カタナは身体を前に投げ出す。

 すとん、と空白を叩くような幻聴が、首筋に響く。その残響に追い立てられるようにさらに前に。


「あっ!」

「くぅ!」

 そこで、同じように逃れていたコーザの身体とぶつかり、危うく互いの剣が身体を刺しかける。

 今までの連携が見る影もない醜態だが、それを恥じている間はありはしない。


 たたん、たん、とん。


 この音が、今もまだこの場に響いているから。


「……敵の減りが、順調すぎるとは思ってたけど」

「調子に乗っている余裕など、無かったな」


 来る、黒い風が、兇運の影が。


 くあぁ――。

 鳴き声のような、欠伸のような、その実態は、僅かにねじれた細剣レイピアの風切り音。


「来るぞ――剣闘都市の屈指の二つ名持ちが!」

「イシュカシオン商会の第二位が来るぞ!」


 観衆の歓呼に答えるように、これまで乱戦の影に潜んでいた一人の剣闘士が、カタナたちの前に舞い降りる。


「剣闘士――『三本足』のセネバネ!」


 叫んだのは、カタナであり、コーザであり、観衆たちであり、そしてその名を持つ本人だった。


「お前たち……面白そうだ。相手をしてくれ。この、鳴き声が、止むまでな」


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