剣匠の一族
コーザ=トートスは、剣を構える自らの身に微かな震えが走っていることに気付いた。
「――ぐ」
恐怖、あるいは畏怖か。目の前に立ち塞がる城壁のような存在感に、否応なく戦意が削られていく。
「さあ、もう打つ手はないのか、期待の新人?」
この男と闘技場で向かい合ってからまだ一分少々。交わした剣は十合程度か。
僅かとさえ言えるその時間と交錯。しかし一定以上の剣腕を持つ者にとって、それだけのものがあれば彼我の実力を悟るには十分すぎる。
――しかも、圧倒的な差があるとなれば、それは一層明白に。
(勝負になっていない)
まともに打ち合うことが出来ていたのは最初の二合までが精々だ。以降の剣戟はただただ必死に、間近に迫る終局から逃れていただけに過ぎない。
「おおぉ!」
機先を制して前に飛び出すが、じりじりと迫る重圧に耐えかねた末の猪突であることはコーザ自身が誰より分かっていた。
「ほ、っと」
そして向こうも当然承知。不完全な呼吸に逸ってぶれた剣先を見透かした体捌きだけでコーザの斬撃をすり抜ける。
「――まだッ!」
更に三撃、息つく間もなく至近距離で放つ剣も同じく掠ることさえなく空を斬る。
コーザを大きく上回る巨体が何かの詐術のように身を翻し、だらりと下げられた大剣を振るう気配さえない。
「戦る気は買うが、雑はいかんぜ少年。そら――」
言葉と同時、剣を振るうことにのめり込むあまりべたりと地に張り付けていた両足が刈り払われる。
「くあ!」
「剣は全身で振るもんだ。焦って腕力だけで振り回しても、精度は落ちるし威力も半端になるだけだ」
歯噛みする。
上から投げ掛けられる教導じみた言い草への反感よりも、この剣闘士の全力を引き出すことすらできない自身への憤りが遥かに大きい。
「――はあっ!」
片膝を突いた状態から間髪入れず、全身の跳び上がる勢いを乗せての逆切りを打ち上げる。コーザの足を払った態勢では、この一撃は躱せない。
「なんだ、いい剣筋もあるじゃねえか!」
コ-ザの放つ会心の逆撃。それを目の当たりにした男は、怯むどころか歓喜の笑み。その燃える瞳は言葉以上に雄弁にその意思を告げる――やっと面白くなった、と。
「喝っ!」
「な……」
気合一閃。
コーザの斬り上げる刃を、男はあろうことか柄頭で受け止め、抑え込んでいた。
跳ね上がる衝撃を腕と体幹を瞬時に固めて相殺し、しかも手元は寸分違わずコーザの剣を柄の中央で真っ直ぐに捉えている。
「さあて、席もいい具合に温まって来たことだし、ボチボチ決めていこうぜ!」
絶技と言って過言ではない受けの妙技を披露しつつも、観客の反応を観察する余裕すら見せるその貫禄に、コーザの顔が一層強張る。
ここまでの剣戟は、この男にとっては興業を盛り上げるための舞台設営に過ぎない。
そして舞台が整った以上、次の一撃こそが、この剣闘士の本気の剣だ。
だが、それでこそ戦い、勝つ意味がある!
「――行くぞ!」
圧倒的な隔絶を自覚してなお、コーザに退くつもりは微塵もない。無理やり両手に気血を送り、握りしめた刃を横薙ぎに振り抜く。
あまりにも大きな格の違いを悟ってなおその一撃を放つことが出来たのは、コーザという剣闘士が供え持つ稀有な闘争心の真骨頂であったが――。
「ハ、ハアぁ!」
真正面から大剣と共に吹き付けて来る、この闘技場を焼き尽くさんばかりの闘志に比べれば、あまりに幽き灯明に過ぎなかった。
ずおぅん、と肚まで押し潰すような轟音の踏み込み。
それとは真逆、いっそ静けささえ覚える無音の斬風。
「……あ」
その一撃は、まさに『斬』という概念そのもの。
大気を巻き込み空間ごと割り開くかと錯覚するほどに、その剣には全てを斬り裂く「気」と「技」と「力」に満ちていた。
「これが――」
『炎』のギジオン。
剣闘都市シュームザオンに数多在籍する剣闘士の中で、最強の一角として立つ『二つ名』持ち。
その一撃はコーザの愛剣を真っ二つにへし折り、彼の意識をも真っ暗な闇の底へと吹き飛ばしていた。
●
「こりゃまた、久々に顔を出したと思ったら随分とまあひでぇ有様だなオイ」
シュームザオンに住まう工匠、アサギ=テンゼンは、久方ぶりに彼の工房を訪れた姪の姿を見るなり隻眼を細めてそう笑った。
「……ご無沙汰してます」
彼の姪――ロロナ=アンゼナッハは、見上げるばかりの長身を軽く曲げるようにしてぎこちなく一礼する。
これは別に彼女が礼儀知らずだというわけではなく、単純に身体を動かすのが精いっぱいなほどに全身傷だらけだったのである。
手足にはあちこち青痣ができていて、身のこなしから肋骨の一本や二本は折れるかヒビが入っているように見える。
「ああそうだ、ウィズナーからも手紙が来てるぞ。お前が剣闘士になってからちっとも便りがねえって、こっちに回って来た」
「兄さんの?」
ウィズナー=アンゼナッハ。若くして帝都の鍛冶工房組合を受け継ぎ、今も一手に纏めているロロナの兄である。
相当に多忙なはずの彼がわざわざ手紙を送ってくるあたりに、アサギは彼の妹への愛情が窺える。
「……近い内に、返事は出しておきます」
「まあ、それがいいだろう。手紙は後で渡すが今は座んな。その身体で『大荷物』抱えて、わざわざ挨拶に来たわけでもねえだろう」
促されて腰を下ろすロロナが改めて口を開こうとした時、工房の奥からひょいっと顔を出したのは、アサギの息子のカシワだった。
「あっ、ロロナねえちゃん? 久しぶりじゃん!」
彼にとっては従姉に当たる人に目を止めたカシワは、明るい様子で駆け寄っていく。
「うわ、何年ぶりかな。二、三年ぶり? 同じ街に居るのに全然会わなかったもんね」
「ええ。カシワも、大きくなったね」
「あっはは、ロロナねえちゃんよりまだ小さいし! って、すごいぼろぼろじゃん、どうしたのそれ?」
気安い様子で姉と慕うロロナに話しかけていたカシワも、彼女の傷に気付き、笑みを一旦引っ込めて目を丸くした。
ロロナは、少し困ったように笑みを見せると、ぽんとカシワの頭に手を乗せた。
「見かけほど大した傷じゃあないんだけれど、ちょっと勝負したからね……アダムさんと」
●
今から三日前。
カタナ=イサギナと『闘技王』アダム=サーヴァの夜の剣闘の翌日、ロロナはエイデン商会の訓練場でその戦いに臨んだ。
即ち、『闘技王』アダムとの剣闘に。
先だってのカタナとロロナの戦いは、勝者が『闘技王』への挑戦権を得ると公言されていた一戦だった。
だが、その結果としては、勝敗つかず。両者の相討ちによって続行不能となってしまった。
だがアダムは、それでもなおカタナと立ち会った。正式な剣闘ではなかったが、互いに邪魔の入らない、夜の闘技場での戦いを。
そしてその戦いの翌日、ロロナもまた、アダムと剣を向けあうこととなった。カタナが『闘技王』と戦った以上、彼と引き分けた自分にもアダムに挑戦する権利は当然有している。
エイデン商会長のミスマは、同じ商会に属する者同士が真剣で戦うことに難色を示したが、結局はロロナの主張とアダムの無言に屈した。
彼としては、ただ手加減する気のないアダムに挑むロロナの身を案じていたというのが本音であったことは誰の目にも明らかだったが。
ミスマの気遣いは知りつつも、ロロナにはこの戦いを避けるつもりは毛頭なかった。
カタナが挑んだ『闘技王』という剣闘士の究極と言うべき領域に、己もまた手をかけなければならない――。
それは、ロロナにとっては絶対に譲れない意思だった。
このような経緯により行われた、両者の戦いは――。
●
「完敗だった……ってことだな。それがその傷の理由か」
後は聞かずとも分かる、と言いたげなアサギの言葉に、ロロナは沈黙して頷いた。
アダムの『無刃』の前では、剛重の『車輪剣』も通じなかった。剣を足場に使った変則戦法も、ことごとく正面から撃ち落とされた。
そもそも、『異装十二剣』の一つ、『螺旋剣』の使い手を打ち破って『闘技王』の座を勝ち取ったのが今のアダムなのだ。いかに武器が特異なものでも、それだけで超えることはできないのは道理だろう。
速さも、技も、精神も、全てがまだ未熟に過ぎた。それが、ロロナが彼との一戦で痛感した現実だった。
「だが、『無刃』を相手にしても『車輪剣』は無事に守りきったか。その辺りは流石かね」
「……」
アサギの言葉に、傍らの『車輪剣』を見る。幾度もアダムに挑みかかったロロナの相棒には、大きな傷もなくそこに鎮座していた。
「だが、そろそろ整備し直す時期だろうな。お前さんもこまめに見ていたんだろうが、あちこちガタついてるぜ」
「……はい」
その指摘に、ロロナは素直に頷いた。そもそも今まで足の遠のいていたこの叔父の家を今日訪ねたのは、一つにはその為だった。
「――『車輪剣』の再整備、お願いできますか」
ロロナの父、ヤサカが鍛えた異形の剣。それを鍛え直すのに、同じ師である祖父の技術を受け継ぐアサギ以外に適任はいない。
「お安い御用――と言うにはちっと大物過ぎる代物だが。兄貴の遺作だ、否やはねえよ」
アサギの方も、ロロナの申し出を予期していたのだろう。驚くこともなく引き受けた。
「カシワ! いつまでボサっとしてやがる! 炉に火を入れろ、油も忘れんな!」
「えっ。あ、おうよ! じゃあロロナねえちゃん、また!」
アサギの一喝で、カシワが中々機敏に動き出す、その様子を微かに笑って見送りつつも、アサギはロロナに水を向ける。
「で、だ。この剣のことはいいとして、そっちの『大荷物』は何だ?」
アサギが示したのは、ロロナが『車輪剣』とは別に持参した、一抱え以上もある布の包み。
「……」
ロロナは、無言のままその包みをアサギの前に置くと、一気に布を剥ぎ取った。
「! これは――」
アサギの隻眼が、驚愕に見開かれた。
●
そこにあったのは、四つの剣。
一つは、かつて『闘技王』の武器として一世を風靡し、使い手が打ち倒される時まで共に君臨していた王の武器。刃が螺旋状に揺らめくかのように鍛え上げられた、抉り穿つ剣。
「第二番――『螺旋剣』。『闘技王』アダム=サーヴァより譲渡」
二つ目は、半円の形をした極端に湾曲した剣。特筆すべきは、その薄さだ。名剣としての切れ味を保てるギリギリまで打ち延ばし軽量化した、迅さを徹底的に追求した剣。
「第九番――『風月剣』。剣闘士『静かなる』ディオセウスより回収」
三つ目は、黒一色の直剣。この剣の特徴は、外観からは覗えない。内蔵された注油管と発火装置によって爆炎を巻き起こし「燃える斬撃」を可能にする炎の剣。
「第六番――『黒燐剣』。傭兵エンミング=サジャより奪還」
そして最後の四つ目は、一つの柄に四本の刃を備えた、獣の爪を異形と化したような、四本にして一振りの剣。
「第四番――『獣爪剣』。『人斬り剣獄』闘士シジウスより奪還」
「……」
眼前に並んだそうそうたる名剣たちを目の前にして、アサギは口を結んで押し黙っている。
ちらりと、その眼が傍らの『車輪剣』に向かう。
第十番――『車輪剣』。ロロナ=アンゼナッハが父の形見とする愛剣。
この場にある五本の剣と、いまだ散逸したままのあと七本。それらを総称して、『異装十二剣』と人は呼ぶ。
●
「アサギ叔父さん、この剣たちを、受け取ってもらえませんか」
ロロナは、沈黙するアサギに、そう言って深く頭を下げた。
「……どういう、風の吹き回しだ? こいつらは、お前さんが何をしてでも取り返したいと思って集めたもんだろう」
アサギは、感情を窺わせない硬い声音で問う。彼にとってもこの剣たちは実の兄の形見で、しかもそのほとんどは兄が殺されたときに強奪されたものたちだ。
「……思ったんです。私は、ずっと、何人斬り捨ててでも『車輪剣』の兄弟たちを取り返すんだって。奪われたものは、奪い返さなければならいって。……いえ、今でもそう思っているところはあります」
しかし、カタナ=イサギナという少年と出会って、ロロナは思ったのだ。
(――「だから、誰が『もう死んだ方がいい』と言っても、おれだけはこいつらを助けるよ。こいつらはまだ、生きている。きっと、『もう終わり』なんかじゃないんだよ、ロロナ。……君と同じで」――)
自身も罪の意識を抱えていても、それでも前を向き、罪を犯した他人を信じることのできる少年の姿は、ただ暴力で奪われたものを更なる罪深い暴威で取り返そうとするロロナよりも、はるかに強く、気高い生き方だと。
「やられたから、こちらもそれ以上にやり返す。間違っているとは思わないし、きっと必要な考え方でもあるとも思います。――でも、そういう理屈以上に、大事にしたい美しさを見つけたんです」
それが、一体どの感情から来ているのかはロロナ自身にも判然としない部分もあるのだけれど、カタナのそうした生き方は闇に沈んだロロナの心に差し込んだ光だったのは間違いない。
だからこそ、一度ロロナはこの剣たちと離れることにした。自分のあり方を定め直すために。
それにこの工房は、『異装十二剣』にとっても遠い故郷のようなところだ。預ける場所としては申し分ない。
「それじゃあ、もう『異装十二剣』を集めるのは止めるってのか、お前さんは?」
「……消息は、探し続けます。その上で見つかったなら、その時に、自分の目で見て判断します。その剣が、どんな人間にどんな風に使われているのか」
もしもその剣が非道な人間に悪用されているようであれば、ロロナはやはり兄弟同然の剣を取り戻すために『車輪剣』を振るうだろう。
だが、その使い手がそうしたものでなかったなら――。
「たとえ最初が、あの日強奪されたものだったとしても、今なら正しく巡り合う相手に辿り着いていたって納得できると思うから」
その時のロロナの顔には、常の彼女にはない、弾むような笑みの気配があった。
●
夕刻、人気の無くなった工房に、一人座すアサギの姿があった。
今日の作業は既に一区切りつけて、息子のカシワは妻のいる母屋へと戻っている。数年ぶりに戻って来たロロナも一緒だ。
アサギの眼前には、五本の『異装十二剣』がある。
『螺旋剣』、『風月剣』、『黒燐剣』、『獣爪剣』、そして『車輪剣』。
『車輪剣』以外の剣の実物を目にするのは、ヤサカの実弟であるアサギも初めてだった。が、彼にはこれらの剣がどこか懐かしいものとして感じられた。
幼い頃から、共に父のカンバ=テンゼンに鋼を鍛える技を叩き込まれてきた兄弟だった。
齢は一つ違いで、身体の大きかったアサギと兄の背丈はほとんど変わらなかった。だからということもなかったが、お互いに兄と弟というよりも競い合い比べ合うようにして修業に励んでいた。
それでも、二人の仲が悪かったかというとそんなこともなかった。
父に厳しく鍛えられていて友人も少なく、遊ぶ暇もなかったヤサカとアサギにとっては、お互いだけが自分のことを理解してくれる存在だった。
独り立ちしたらどんな剣を作ろうか、どんな剣匠になろうかということを、兄弟は毎夜語り合っていた。
「兄貴は、忘れてなかったんだな」
目の前の『異装十二剣』、それらの中には、幼い頃から兄が造りたいと語っていた夢のような剣の、その片鱗が確かに息づいていた。
岩を穿ち抜く、螺旋の剣。炎を纏って敵を灼き斬る、物語の英雄の剣。
そして、巨人が振るうような、何よりも巨大な剣。
もうこの世に生きている人間で、この剣たちに込められた「夢」を感じ取ることができるのはアサギしかいないだろう。ヤサカの子供たちでもそれは分かるまい。
「俺は……」
その、亡き夢の結実を見ながら、アサギは隻眼を軽く閉じた。
恐らく、自分ではこれらの剣は造れまい。
技術だけで見れば可能だろう。お互いに学んだ技は同じだし、年経た分、今の自分は当時の兄より上だという自負もある。
だが、その剣に込める魂がない。
この『異装十二剣』は、兄が心血を注いで鍛え上げだからこその名剣なのだ。ロロナが思う通り、実の子同然だと言って間違いない。
だから、アサギが造るとしたら別の剣だ。
アサギ自身もまた、幼少の頃から夢に見ていたような。
父にも兄にも不可能な、アサギだけが造れる、『異装剣』。
……ずっと、その想いはあった。兄が死んだことを知った時。否、それよりも以前から。
(巨人が振るうような、何よりも巨大な剣)
そう言っていた兄が造り上げた、『車輪剣』。それを見ながら、アサギは思う。
(俺の、思う大剣は、これとはまた違う……。もっと、細くて、もっと、剣身を削ぎ落として……それでも、重くて力強い――)
酩酊したような、しかしどこか覚醒した意識が、そんな風に幻の剣を想起する。
そして、ふと正気付いたアサギが顔を上げる、その寸前に。
「――頼もう」
真っ直ぐに芯の通った若い男の声が、テンゼン工房に響き抜けた。
●
「――誰だ」
アサギの鋭い誰何に、一歩進み出るのは、声の印象を裏切らない、戦闘用に均整のとれた身体つきの若い男。
「……剣闘士、コーザ=トートス」
その男は、手に一振りの剣を握っていた。
正確には、かつては剣であった、鉄の残骸を。
朧な光に照らされたコーザの身体からは、あちこちに刻まれた裂傷が未だ塞がらずに血を滲ませている。
「俺に、剣を打ってくれ」
剣闘士が、武器を失いそのような有様を晒すとなれば、その理由は明白。――負けたのだ。
「……」
しかし、その男、コーザの眼には、敗北の影など微塵もない。あるのはただ、強さを希求する、餓えた獣――否、鬼人だ。
「勝つために、強くなるために。――俺に、最高の剣を打ってくれ」
その男の姿に。
アサギの中で、曖昧な幻だった剣の姿が、はっきりした像を結んで重なった気がした。




