カタナとラファエラ(2)
初冬、北方の夜は冷える。
しかもそれが大陸屈指の高峰が連なる山脈地帯のど真ん中となれば、準備のないものならば凍死してもまったくおかしくはない。
「それを思えば、この村を目指したのはやはり正解であったな。おかげで夜を無事に越すことができる」
帝国皇女ラファエラ=イヴは、白い呼気を吐きつつそう呟いた。
背後には、比較的損傷の少ない民家。その扉の隙間からは、暖かな光が漏れ出ている。
ふと、手を目の前に掲げる。
人の命を絶った刃を握っていた右手は、血に濡れているわけでも、震えているわけでもない普段通りの佇まいでそこにあった。
脳裏に過ぎるのも、殺した者ではなく、助けられなかった者の姿ばかりだ。
「我と今共にいるのは、カーンとアミタ、そしてカタナ。帝都から我に付き従った者は、誰も生き残れなかったな」
「……」
自嘲するような独白に、彼女の傍らに立つカタナは、駆ける言葉もなくただその姿を見詰めていた。
●
「いやーしかし、井戸が枯れてなくて良かったですね、お陰で傷の手当てもしっかりできます」
「……」
そのころ民家の中では、アミタ=ソーンが戦闘で負った細かい傷に自分で治療を施していた。戦場に慣れた兵卒らしく、その手つきは危なげない。
その少し離れた場所では、日が落ちてすぐ彼らと合流したカーン=ハイドが既に治療を済ませた左腕を軽く動かして調子を確認していた。
カタナに刻まれた、この戦いで彼が受けた唯一の傷は幸い骨までは達していなかったが、肉を酷く抉られて傷跡が残ることを感じさせた。
だがカーンはそんな事には頓着せず、問題なく動くことを確認するとその場で瞑目して動きを止めた。
「ところで、カーンさん……。殿下の方は、良いんですか? カタナに任せたままで」
そんな彼に、アミタが恐る恐るといった様子で問いかける。
一皮剥けたと言っても素の性格は変化しない青年に、カーンは眼を閉じたままの姿勢を保って短く返す。
「何がだ」
「いや、だって殿下、人を斬られた――お斬りあそばされた?――のって初めてでしょう? あのカタナってのも今不安定な感じだし、こう、何か間違いでもあったらって言うかいや不敬なこと考えてるとは思うんですが何か……」
「ふっ」
ぐるぐると手をこねくり回して訴えるアミタに、カーンは珍しく笑うように息を漏らし、片目を開けて未熟な青年を眺めた。
「さてはお主、初陣の後に初めて娼館に連れて行かれた口か」
「ぶっ! いや、何言ってんですかそんな――!」
硬骨な空気を纏う老人から発せられた遠まわしな言葉に慌てふためくアミタ。それを軽くからかうように流し、カーンは外に繋がる扉を見やる。
「二人とも、常人とは違っても十かそこらの子供だ。気を回し過ぎるな、問題になることはあるまい」
ならば邪魔をすることはないとカーンは思いを巡らせる。アミタの娼館の例ではないが、強く「死」に触れたものにとって、他者との触れ合いとは強烈に「生」を感じさせるものだ。今の彼らにとってはそうした時間こそが必要なのだろう。
大体にして、あの二人はどちらも形は違えど尋常の子供とはかけ離れすぎている。アミタが心配する恋だのなんだのの感情など、まだその回路すらできていないのではないかとカーンには思える。
「……」
じくり、と傷が疼く。ここまで芯に響く痛みを刻まれたのはいつ以来か。カーンは、この傷を与えた少年に思いを馳せる。
(悲惨な境遇、人間の域を外れた力。――やはり、似ているな)
カーンの口が無意識に開き、本人の耳にも届かない微かな声が、名を紡いだ。
「アダム」
それは、以前に袂を分かった彼の唯一の弟子の名だった。
●
「なあ、カタナ。お主、これからどうする?」
ラファエラが、じっと背後に佇んでいる少年を振り返って出し抜けにそう訊ねた。
「どうって?」
「生活。――何だ、その呆けた顔は?」
「いや……」
戸惑うように口篭るカタナにとって、そんな言葉はあまりにも遠い言葉で、実感さえない
「まったくお主は。つまり明日の食事、夜の寝床、そうしたものだよ。お主はもう獣ではないのだから、森に戻って暮らすわけにも行かぬだろう?」
皇女は腕を組み、目線を逸らし気味にして、やや小声になって言葉を繋ぐ。
「さしあたっての目的や当てがないのなら、その……我について来ても構わないのだぞ? 未だ内紛中ではあるが、学問やたつきを世話するくらいは何とでもなるし……」
そして、反応のないカタナに何を感じたのか、ラファエラの顔が微かに紅潮した。
「いや、別に恩に着せようというのではないぞ? 何と言うか、そういう貸し借りだとか損得の問題ではなくてだな……」
そこまで言って、はっと我に返った少女は、頭を振って気を落ち着けると改めてカタナに向かい合った。
「ん、ともかくそれで……どうだ? お主がこれからしたいことは、何かあるか?」
「……したい、こと」
カタナは思い出す。先刻この少女に向かい合い、その首に手をかけた場面を。
その時、彼は思った。どんな逆境にも折られず、不幸を誰かのせいにして逃げることもせずに済むような、そんな人間になりたいと。
カタナ=イサギナは、これからどんな「人間」として生きていくのか。
「強く……なりたい」
「カタナ?」
ぽつりと、カタナは呟いた。それからすぐ、その弱々しさを恥じるように激しく顔を上げる。
「おれは、強くなる。誰にも負けない、何にも負けない、強い人間になる!」
幼い顔に、鋼のような決意を込めて。
「おれがもっと強ければ、ラファエラを傷つけずに済んだ。ラファエラに戦わせずに済んだ! 獣なんかになって、逃げることもなかった……!」
だから、もう二度と、今日のような醜態は晒せない。晒すような弱い自分ではいられない。
「強くなる。誰よりも、何よりも!」
「カタナ……」
ラファエラが、驚いたような顔でカタナを見ている。
「そして今度は、今度こそ、おれがラファエラを守って見せる」
そんな少女の姿にカタナは宣誓するようにそう言った。
カタナには何となく分かっていた。ラファエラの生き方は、あまりにも「長生きできない」。誰かが守らなければ、この少女はいつか道半ばで斃れてしまうだろう。
ならば自分が、獣の暴走でも自暴自棄でもない、守る者をしっかりと見据えた戦いで、カタナがラファエラを守りたい。
それが、カタナ=イサギナの生の、最初の指標だった。
「その意気や良し。だが、貴様はその意味を分かっているのか?」
カタナの背後、廃屋の入口からそんな声が向かい合う二人にかけられた。
「カーン」
ラファエラが、その人影の名を呼ぶ。老いた剣豪はそれに軽く目礼すると、振り返ったカタナに静かな眼を向ける。
「ラファエラ殿下を守る、か。小僧、口にするは容易いが、今のお主にはその資格さえ無い」
「……なに?」
「この方は、今も幾万の軍勢にその身を狙われている。この混乱を切り抜けたとしても、その後は帝国の頂点に立ち大陸全土で最も高い場所へと行かれる方だ。当然、周囲に迫る危険も他の民に比類ない。今回のことなどまだ序の口だ」
するりと、剣を掲げてカタナに突きつける。
「今の貴様では、足を引っ張り殿下を徒に危険に晒す結果になるだろう、今回殿下が生き残れたのは、たまさか僥倖が重なっただけのことだ」
カーン=ハイドの常に無い長広舌に、カタナもラファエラも、脇で固唾を飲んで見守っているアミタも動くこともできない。
「いずれ皇帝となるを守るなど、それこそ、『帝国最強』の称号を持つものでなければ勤まるまい。――貴様に、そこに至る覚悟があるか?」
●
「『帝国最強』?」
カタナは、半ば呆然と、剣を突きつけるカーンの顔を見詰めていた。
彼の語るその言葉はあまりにも重く、彼にとってその言葉が大きな意味を持っていることを窺わせた。
「そう、名実ともにこの帝国で最強の戦士――『闘技王』だけが名乗ることを許された称号だ」
『闘技王』。
その言葉に、カタナははっと息を呑む。
辺境に生きる彼であっても、『皇帝』の意味さえ知らぬ彼であっても、その言葉は知っていた。
「剣闘士……」
それは、帝国に生きる者なら誰であっても知っている、闘技場でその強さを賭けて戦いに挑む戦士の名。
「待て、カーン! お主は何を言っている!」
ラファエラが、眼を見開いて鋭い声を発した。
「お主、カタナをどうしようと言うのだ!」
皇女の詰問にも、しかし『闘王殺し』は小揺るぎもせずにカタナを見据え続けていた。
「お控えください。これは殿下にも口を挟める問題ではないのです」
「なっ?」
と絶句したのは、皇女ではなく、横で見ていたアミタだ。当然、カーンはそちらにも構わない。
「カタナ。貴様は言ったな。『誰よりも強く』と。それを証明するには、そう――貴様は『帝国最強』の戦士にならねばならん」
でなければ、皇女を守るなどとは口に出すことも許されないと、カーンは断言した。
「……」
「答えよ、貴様に『闘技王』の座を襲う覚悟はあるか?」
カタナは、束の間眼を閉じて耳を澄ませた。
風の声に交じる人の息吹。中でも近く、暖かなそれを感じて、カタナは眼を開けた。
自分とラファエラ、両者が一つ所に居られるのは、奇妙な偶然が産んだ奇跡のような巡り合わせだ。本来は出会うはずのない者同士が触れ合った今を嘘にしないためには、己の実力で彼女の高みに辿り着かなければならない。
そのためならば――どんな険しい道程であろうが望むところだ。
「ある。おれは、『闘技王』になる。必ず!」
宣言と同時。
カーンの刃がカタナの頭上に振り下ろされ。
「カタナ!」
「うわっ」
ラファエラの叫び、アミタの驚愕が交錯し。
「――よかろう」
静かな声で、カーン=ハイドがそう言った。
●
自らの剣気を込めた一閃、眼前で寸止めされたその刃を瞬き一つせずに見る少年の姿に、カーンもまた心を決めていた。
「殿下。申し訳ないが、警護の任はここで解かせていただきたい。ヴィーエン伯への供はアミタに任せたく存じます」
「……何だと?」
「え、ええ?」
冷静だが不審げな皇女と、慌てふためく若者の反応にしかしカーンは取り合わず、己よりも頭二つは小さい少年を見下ろした。
「カタナ。貴様に、我の『剣』を教えてやる」
そして、手にした剣を彼の足元に突き立てる。
「え?」
「今の貴様では、何度死のうと『闘技王』になどなれはせん、剣の持ち方からしてなっておらんのではな」
カタナが、呆然と見ているのにも構わず、カーンは民家の中へと引き返す。もう用件は済んだとばかりに。
「どうせ死ぬなら、我の弟子になれ。上手く生き残れば『闘技王』に至る芽くらいは出るであろうさ」
『闘王殺し』は、そうして生涯で二人目の弟子に告げたのだった。
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夜が明ければ、それはもう出立と別れの朝であった。
「……やはり、残るのか」
ラファエラは、顔を伏せてそう言った。
「うん」
答えるカタナの手には、昨晩カーンから渡された剣がある。
「強くなって、誰にも負けない剣闘士になって、胸を張って帝都に行くよ。ラファエラに会いに」
夜を過ごす間にそう己の行く道を定めた少年に、少女は淡く笑った。
「ふん、ではお主が本当に『闘技王』になったなら、その即位式は我が取り仕切ってやる。皇族の代表としてな」
「ああ、待ってろ」
たったそれだけの言葉を交わして、彼らは二つに別れた。
ラファエラは馬に乗り、アミタ=ソーンを伴って山を下り。
カタナは剣を手に立ち、カーン=ハイドと二人村に残った。
敵と味方、人と獣、王と民。幾つもの垣根で遮られてもなお共に戦った四人の、これが別れだった。
彼らが再び一堂に会することがあるのか否か。それは、誰にもわからない。
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その後の話を少し語ろう。
第一皇女ラファエラ=イヴは無事にヴィーエン辺境伯の元に辿り着き、彼の支援の元、北部諸侯を糾合して南下した。
皇女を旗頭に意気上がる北部諸侯軍は、帝都近郊にて『獅子』皇家軍が確保していたディザス要塞を急襲、これを陥落せしめる。
この要塞は帝都から外部へと繋がる補給路の要衝であった。その失陥により、『大鷹』皇家軍は再び帝都に『獅子』皇家軍を封じ込めることに成功、趨勢は一気に『大鷹』に傾いた。
包囲された『獅子』皇家は備蓄物資が減っていくに従い士気と統制を失い、ついには一部が帝都内で略奪行為に走る事態に陥った。
これにより、『獅子』皇家の求心力は失われ、敗勢を悟った『獅子』派諸侯の離反が相次いだ。
そして反乱発生から十月後の初秋、沈黙を保っていた最後の皇家、『海竜』家が『大鷹』支持を宣言。間を置かず帝都総攻撃が決行され、その日の内に内乱は終結した。
『獅子』の主だった皇族は全員戦死、あるいは自害。捕らえられたものも十歳以上の男女は全員処刑という厳しい処分が下され、『獅子』皇家は実質的に潰えた。
帝国建国に大功を上げた三人の皇子を祖とする三皇家の時代の、これが終焉となったのである。
アミタ=ソーンは帝国正規兵として復帰し、ディザス要塞攻略戦や帝都ウォストミンスター解放戦に一隊を率いて参加。かつての上官とは違う、部下を見捨てず部隊一丸となって戦い抜く指揮で多くの戦果を挙げ、終戦後正式に皇女の近衛兵として取り立てられた。
皇女ラファエラは、父の正式な即位と同時に皇太子として立ち、名実ともに皇族の顔として精力的に帝都復興、諸侯との調整に努めた。未だ幼い彼女を単なるお飾りと甘く見ていた者は、実際目の当たりにした彼女の威厳と明敏さに舌を巻いたという。
カタナ=イサギナとカーン=ハイド。両者の名は、この間の帝国のどの記録にも一切登場することはなかった。
そして。それから四年後――。
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帝国歴526年、11月。
内乱からようやく落ち着きを取り戻していたばかりの帝都にて、時の皇帝アムゼカンド、急死。
翌527年、1月。
皇太子ラファエラ即位。若干十六歳の皇帝誕生の報は、時間差はあれど大陸全土に広がっていった。
カタナ=イサギナが生まれ育った山を下り、シュームザオンでレレット=ヒューバードと出会う、およそ一年前のことである。
過去編『獣』の章、完結。




