戦闘狂は失業中
最近の彼の一日は、とりあえず眠れる限り眠ることから始まる。
「……」
陽が昇ろうが街の喧噪が室内に聞こえて来ようが、掛布を頭まで被って昏々と眠る。
起き出すのは、天気のいい日に上昇した夏の気温がいよいよ耐え難くなるか、それとも空腹が眠気を完全に駆逐してしまった時だ。
今日は前者。じりじりと快晴の陽光を浴びた彼の寝床は熱がこもっていつのまにやら呼吸が浅くなるほどになっていた。
「……ぅん」
もぞり、と身体を起こした彼は、どんよりとした眼差しで窓の外を見る。
寝起きだけが理由ではないそのうっとうしい目つきとは裏腹、シュームザオンの空気は夏の陽射しを受けて輝いている。
地上から空をじっと見上げる彼の、その顔は無表情ながらどこか恨めしげな気配を漂わせていた。
しかし、そうしているうちに空の胃袋が身をよじる。そういえば昨夜は日暮れ前に寝たから、丸一日近く何も食べていない。
彼は、半ば生存本能に操縦されたように素足のままぺたぺたと寝室として使っている部屋を出ていく。質素なこの家に部屋は三つしかない。今居た寝室と、同居人の部屋、そして台所兼食堂だ。
その食堂に行けば、食卓の上には冷めた丸パンが一つ。それにニンジンと豚の切れ端肉のスープが火の消えた余熱の残る竈にかけられている。
パンの横には、走り書きのメモ。書いたのはこの食事を用意した人物――同居人だ。
『夕方には戻る。ちゃんとあっためて食べること!』
するすると流れるような筆致のそれを彼はぼうっと眺め、立ったままパンを無造作に掴んでかぶりついた。
「あむ」
そして咀嚼しながら歩き出し、用意してあった皿にスープを移すと少しぬるめのそれをごくりと胃に流し込んで行く。
行儀というものをどこかに置き忘れてしまったような、極めてぞんざいな食事風景であった。
ものの数分で食事を終えた彼は、そこでようやく椅子に腰を下ろした。粗末な席は、意外にも軋むことなく大の男の身体を受け止めた。
「ふぁ……」
腹具合は満腹というには程遠いが、とりあえずの空腹感は解消された。
カーテンもない窓からは、シュームザオンの庶民街の街並みを見ることができる。
人々の素朴な喧噪と、子供たちのはしゃぎまわる声。そうした外界を、彼は茫漠とした目で見るともなく眺めていた。
「……?」
ふと、そんな彼の眼に意思の光が瞬く。
外界から響く声に交じって、聞き慣れた剣戟の音――ただし金属のものではない鈍い音――に、本能的に反応したのだ。
「……剣の音」
その本能に誘われたように、ふらりと彼は立ち上がった。そして、そのまま外へと向かって歩きだす。
彼――『人斬り剣獄』の元闘士、『獣爪剣』のシジウス――は、闇の闘技場が崩壊して以降、かように無気力な毎日を浪費していたのであった。
●
「――ってワケでさあ、もう丸っきり役に立たないったら! 何が悲しくて、オイラが大の男の衣食住を面倒見なきゃならないんだって話だよね!」
シジウスが、ふらふらと寝床から抜け出していたのと同じ頃、彼の同居人は、盛大に愚痴を漏らしていた。
「毎日毎日腑抜け切ったまま食っちゃ寝のご身分でさ、もう何度叩き出そうと思ったことか」
「……あーそう、まーそりゃ大変だったねー」
場所は、シュームザオン中央街近くの公園の一角。植えられた樹の影にちょうど入っているベンチでのことである。
「まぁたリウ兄ってば、適当な返事してさ、ちゃんと聞いてんの?」
「んー、聞いてるヨー? 頭には入れてないけど」
四人掛けのベンチを二人で占有しているのは、褐色の肌の少年と生白い肌の少年。一見対照的な二人ではあったが、その雰囲気や佇まいは、不思議と共通した感触を持って並んでいる。
先程から愚痴を一方的に話しているのは生白い肌の少年、『人斬り剣獄』の元闘士であるクク=シノバ。
そして褐色の肌の方は、傍目には分からないがその実はれっきとした少女――剣闘士、リーリウム=シノバである。
リウとククは、共にシノバの里という南方の秘境の出身であり、同じ一族として育った。年齢はいくつかリウが上だが、幼馴染と言っていい関係だ。
このシュームザオンにおいては互いに唯一の同族であり、リウは違法な地下闘技場で戦っていたククの身元引受人でもあった。
周囲にはそこそこの人出があるが、この二人に目を止めるものは一人もいない。
「リウ兄ぃ、もうちょっと真剣に聞いてよ。弟分がこんなに困ってんだからさ」
眉をへにゃっとさせたククが哀れっぽい声を出して訴えるが、リウは鼻先で息を吐いて黙殺する。
●
正直、リウからすればククは全くもって困っているようになど見えなかった。本当にシジウスに腹を据えかねているのなら、ククはとっくに彼を見捨てて消えているはずだ。
今こうして愚痴っているのは、ただ不満に見せかけているだけのことだ。
ちょうど、外で遊んで帰って来た幼子が、「今日は友達とこんな遊びをしたんだ」と親に報告したがるようなもの、と言えばククの心情に一番近い。
(親、ね……)
リウは、目の前でぺらぺらと近況についてしゃべり続けるククを見ながら思う。
ククは、親に見限られた子だった。
彼が生まれた時、ククの白い肌を見た彼の両親は、失望も露わにこう言ったという。
「なんだ『外れ』か――」と。
南方に根を張るシノバの一族は、基本的にリウのような褐色の肌を持って生まれることがほとんどだ。
しかし、時折受け入れる外部の血や、数代前の父祖の血が濃く反映された場合はその限りではない。
ただ肌の色が違うだけならば、どうと言うこともなかっただろう。シノバの里は、良くも悪くもそんな些末なことには拘らない。
しかし問題は、そうした白い肌の持ち主の多くが聴力において一般的なシノバの一族よりも劣っているという事実だった。
シノバにとっての価値は、その聴力こそが唯一最大の基準と言ってもいい。優れたものは里の未来を任せる英才となり、劣ったものは誰にも省みられることはなく打ち捨てられる。
もしも常人以下の『耳』の持ち主など生まれようものなら、最悪『間引かれる』し、そうでなくとも子を為すことも許されずに日陰者として一生を過ごすことになるのが、シノバの里の常識だった。
幸いというべきか、ククの聴力はシノバの平均よりも多少下程度。一般人よりは十分優れたものを持っていた。
しかし、それでもククの両親は彼を認めることはなかった。
彼らの間には、もう一人子が居たからだ。それも――シノバ史上最強にして最高の存在として。
兄への信仰のごとき愛と、弟への完全な無視。
彼らの姿勢は、ククが出奔する時まで、一切変化することは無かったのだ。
●
「リウ兄? なんか変だよ、もしかして疲れてる?」
しばしの間物思いに耽っていたリウは、ククの声にゆるりと顔を上げた。
この街で再会した年下の昔馴染みは、故郷に居た頃よりも大人びて、そして鬱屈のない表情をしている。
(成長して、余裕ができた……のかな? 誰かの世話をするって体験も、そう悪くはないのかな)
「んー、まあちョっとね」
そんな感慨を欠片も見せず、リウはククの相手を飄々と続ける。
「あ、そうそう。こないだ『闘技王』の全力見たせいかなー、何かあてられた感じ?」
「『王』って……ああ、アダム=サーヴァ? おいらも見たことあるけど、強いよね、とんでもなく。地下に飛び込んで来た時も相当だったし、マジで気迫だけで震えたもん」
あれじゃシジウスでも相手にならないよなー、と慨嘆するククに、リウもだろうね、と頷く。
あの夜、カタナと向かい合っていた『無刃』のアダムは、リウにはもはや人の域を超えた怪物にさえ見えた。
素手の一撃で鋼を砕き、巨石を蹴り潰す。天下無双の大戦士。
あれを前にすれば、なるほど、今のリウやあの『車輪剣』程度ではまず対抗できないだろう。あの『隼落とし』のエインさえもが「別格」と呼ぶのも無理はない。
「……もしかしたら、アマツとだってやりあえるかもね、『無刃』なら」
ぽつり、とククがそう呟く。それに、リウがはっと目を見張った。
それは、ククの兄にして、シノバの生み出した最高傑作の名前だ。
人呼んで、『天響』のアマツ。
全ての音を聞き取り、全ての響きを聞き分ける、人を越えた『耳』を持つシノバの理想の体現者である。
「そうかもね。あの『闘技王』なら、あるいは……」
視線を足元に落とし、考え込むようにして答えるリウ。
彼らの会話を聞いているものはここには居ないが、もしも第三者がいたのなら、己の耳を疑うことは間違いない。
名実ともに「帝国最強」の称号をほしいままにする『闘技王』を引合いに出して、「あるいは」やりあえる「かもしれない」などと言う存在など、とても現実のものとは思えない。
しかし、リウもククも、これ以上ないほどに真剣だった。
『闘技王』アダムほどの強者ならば、『天響』のアマツという「シノバの神」と対等に渡り合うことができるかもしれないと、本気で考えていたのだ。
それほどに、彼らにとってアマツという存在は強烈に焼き付いていた。
「まあ、アマツが里を離れるワケが無いし、長老たちも許さない。あの二人が会うことはないだろうけどね」
リウが気を取り直すように伸びをしてその場に立ち上がる。
「……そうだろうね、アマツは大事な大事な希望だもの」
ククが、昏い眼を僅かに覗かせて呟く。それを横目に、リウはさりげなさを装って自分よりも少し低い彼の頭を撫でる。
「それは、アマツのせいじゃないさ。悪いのは君ら兄弟の親どもで、根本的にはシノバのせいだ。アマツはちゃんとククを『弟』だと思ってたよ」
「……そんなわけ」
「あるさ」
ククが頭を振って手を払い落とす動きを音から先読みしたリウは、先手を取ってぽかりとその頭を軽く叩く。
ククが薬を使って再現したこれは、本来アマツの得意技だ。リウでもこの近距離で集中しなければ使えないコレを、アマツは呼吸するように使いこなす。
「ククさ、あの親どもに放置されてる時、ボクらからちょくちょくご飯貰ってたじャない?」
「……」
何かを予感したように黙り込むククに、リウはニヤリと笑みを見せて言う。
「あれ、用意して持って来てたのは、アマツだったんだヨ?」
「! そんな――」
反駁を遮って、言葉を継ぐ。
「ククが里を抜けた時もさ。アマツならまず間違いなく聞こえてた筈、それでも、弟の邪魔はしないで行かせてあげた」
「――」
「自分が表だって庇ったりしたら逆効果だって分かってたんだろうけどさ。アマツもなかなか、素直じャなくてメンドクサイ奴だってこと」
それだけ言って、リウはククから離れて去って行く。
硬直しているククの気配を聞きながら、今の彼なら兄のことを受け止めることができると信じて。
(まったく、世話のかかる兄弟だね)
気に入っている相手には、自分の事情や問題をいろいろ棚上げにして世話を焼いてしまう。
リウにせよククにせよ、シノバとは、概ねそんな気質を持った難儀な人種だというのは確かなようだった。




