第3話 再来 Ⅲ
自分の中に渦巻いていたドス黒い感情が、嘘のように消えていた。
レクスは、ただ呆然と立ち尽くす。
そして、自分の手にそっと視線を落とす。
自分が何かしたのか、はっきり覚えている。
兵士の首をへし折った時の感触。
剣で肉を切り裂いた時の手応え。
そして、炎に包まれ、苦しみながら消えていった男の姿。
その感触が、今も手に残っているようだった。
初めてだった。
自分と同じ人間をこの手にかけるのは。
躊躇いすらなかった。
あの時でさえ、思いとどまったというのに。
だが、不思議と罪悪感は湧いてこない。
胸の奥にあるのは、後悔でも、恐怖心でもない。
むしろーー。
「...人間、やめちまったみたいだ。」
ぽつりと、そんな言葉がこぼれた。
自分でも驚くほど、穏やかな声だった。
あれほど憎んでいた人族を、この手で葬り去った。
そのことに達成感すら覚えている。
かつての自分がこの光景を見たら、なんと言うだろうか。
そんなことを考えていた、そのとき。
背後から誰かが歩み寄ってくる足音がした。
振り返るとそこにはエルフの少女がいた。
そう。
先ほどまで仲間を守るため、必死に戦っていた少女だ。
彼女はレクスの前で足を止め、深々と頭を下げる。
レクスは少女へと視線を落とす。
「お初にお目にかかります。」
「私はエルフ族族長 ステラと申します。」
「...お待ちしておりました。」
「魔王様。」
思いもよらぬ言葉が少女から発せられた。
だが、不思議とその言葉に、不思議と違和感はなかった。
ーー魔王、か。
自分の欲望のまま人族を殺戮し、村を血と炎で染め上げた。
それは、俺が知る魔王そのものの所業だからだ。
ステラは続けて口を開いた。
「どうか我々、魔族を人族の手からお救いください。」
深々と頭を下げるステラに視線を向ける。
だが、その眼差しには同情も慈悲もなかった。
ただ、冷たい静けさだけが宿っていた。
少しの静寂の後、レクスの口が開く。
「...断る。」
ステラの切なる願いは、その一言であっさり退けられた。
ステラの表情は先ほどまで希望に満ちていた。
だが、その希望は一気に絶望へと変わる。
「な、なぜです!?」
ステラは勢いよく顔を上げる。
そして、レクスはそっと口を開いた。
「簡単なことだ。」
「俺は魔王でも、お前ら魔族の救世主でもない。」
「俺は...ただの復讐者<アベンジャー>だ。」
そう言うとレクスは、ステラに背を向けてその場を去ろうとした。
「お待ちください!」
「せめて、せめてお話だけでもお聞きいただけないでしょうか!」
必死に懇願するステラの姿を見て足を止めるレクス。
そして、村の方へ視線を向ける。
そこには先ほどまで人族から襲われ、ボロボロになっていたエルフたちの姿があった。
その光景を見たレクスはため息まじりにつぶやいた。
「聞くだけだぞ。」
「ありがとうございます!」
ステラは深々と頭を下げると現状の魔族の話を始めた。
「事の始まりは、先代の魔王様が勇者に敗れてからです。」
「その後、魔族領に人族たちが侵攻してきました。」
「侵攻から30年...。」
「30年!?」
ステラのその言葉に驚きの声をあげるレクス。
ーー俺が処刑されてから30年も経っているのか。
ーーじゃあ、あいつらは今...。
「あの、魔王様?」
口元に手を当て思考していると不思議そうにステラがこちらを見ていた。
「ああ、悪い。」
「続けてくれ。」
「は、はい!」
ステラは再び話を続ける。
「侵攻から30年、魔族も抵抗を続けていましたが、あるモノの出現で抵抗も叶わなくなりました。」
「あるモノ?」
疑問を口にするレクス。
「はい。」
「人族の賢者と呼ばれるものが作った”魔封じ”という魔道具です。」
ーー賢者!?
その言葉を聞いた瞬間、レクスの脳裏に一人の男の顔が浮かんだ。
忘れるはずもない。
かつて、魔王討伐の旅を共にした仲間の一人だ。
「魔封じは、魔法を使う我々魔族にとっては弱点そのものでした。」
「魔法を封じられたことで、魔族の力は激減し、抵抗する力を失いました。」
ーーだからあの時、魔法を使っていなかったのか。
「それから私たちは、逃げることしかできませんでした。」
「故郷も、尊厳も、大切な人々も奪われました。」
「それでも人族は追ってきました。」
ステラは一度言葉を詰まらせ、再び口を開いた。
「私たちを逃がすため、母上...各種族の族長たちは、命を懸けて人族に立ち向かいました。」
「ですが...。」
とうとう、ステラの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。
「あいつらは、あろう事か見せしめにと族長たちの首を晒し上げたのです!」
「その光景を見た一部の魔族たちは反旗を翻し、そして敗れました。」
「もう、残された私たちには逃げる以外の選択肢はありませんでした。」
「やがて、各種族は人族から逃れるため、散り散り...。」
そして、ステラの表情から徐々に力が抜けていくのがわかった。
「それから30年、私たちは人族から狩られるだけの獣として、毎日怯えて暮らしていました。」
「人族からは追われ、逃げた先には凶暴な魔物もいます。」
「毎日恐怖の中、夜も眠れず、食べるものも貧しく、怯えながら生きる生活。」
「このままでは私たち魔族に未来はありません。」
そして、ステラは再び頭を下げる。
今度は額を地面につけ、レクスの足元で涙を流しながら懇願する。
「なので、どうか!」
「どうか、何卒我ら魔族にお力をお貸しください!」
レクスはステラの話を聞いて、呆然と立ち尽くしていた。
何も感じなかったのではない。
むしろーー。
ーー俺の、せいなのか。
魔王は人族に害をなす存在。
だからこそ、魔王を倒せば人族は救われる。
それが正しいことなのだと、俺は信じていた。
だが、現実はどうだ。
魔王が、魔族が人族に害をなしたことがあったか。
それどころか魔王を倒したことで、人族は魔族領へ侵攻した。
自分の仲間が作った魔道具によって、魔族は力を奪われた。
そして、多くの命が奪われ、今なお恐怖に怯えて生きている。
また、騙されたのか。
死んでもなお、あいつらに利用されるのか。
俺から幸福を奪っておきながら、自分たちは何事もなかったかのように幸福を享受している。
そして今度は、魔族からもすべてを奪おうとしている。
そして何よりーー。
レクスは村のエルフたちに視線を向ける。
先ほどまでは、人族に襲われた直後だからだと思っていた。
だが、改めて見ると違った。
身体は痩せ細り、身に着けている服は、何度も繕った跡があり、継ぎ接ぎだらけだ。
髪は荒れ、肌も汚れ、誰の顔にも精気が見られない。
ただ生きるために、必死に毎日を過ごしている。
そんな姿だった。
俺は正しいことをしたつもりだった。
魔王を倒せば、人々が救われる。そう信じて剣を振るってきた。
だが、その結果、俺は魔族から大切なものを奪った。
そして、人族が魔族領へ侵攻する口実まで与えてしまった。
「...俺も、あいつらと何も変わらないじゃないか。」
自分の幸福のために、誰かの幸福を奪う。
俺もまた、そんな人間の一人だったのだ。
「...。」
村の中に静寂が広がる。
俺は魔族から大切なものを奪ってしまった。
それは俺の罪だ。
だから、その罪は償わなければならない。
だが。
あいつらへの復讐をやめるつもりはない。
それならーー。
「...わかった。」
その答えにステラは勢いよく顔を上げた。
「勘違いするな。」
「お前たちの魔王になるわけじゃない。」
「ただ、利害が一致したから協力するだけだ。」
少女は大きく首を横に振った。
「それでも構いません!」
そして、再び頭を深々と下げる。
すると。
他のエルフたちも同じように頭を下げる。
「我々、エルフ族は貴方様に忠誠を誓います!」
レクスは、その言葉に反応を示さなかった。
ただ、ゆっくり空を見上げる。
夜が明けようとしていた。
地平線の向こうから、朝日が昇り始める。
レクスは、昇り始めた朝日へと手を伸ばした。
そして、ゆっくりと拳を握りしめる。
「待っていろ。」
「今度は俺たちが、お前らからすべてを奪ってやる。」
握りしめた拳に力がこもった。
「ーー覚悟していろ、人族ども!」
この日を境に、世界の運命は大きく動き始める。
一人の復讐者が掲げた憎悪の炎が、新たな戦乱の幕を開けるのだった。
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