7 ウィリアムの心配
その間にも、屋敷の中では人が動き始めていた。
父伯爵とウィリアムはマギーの部屋へ向かった。扉は閉まっていたが、鍵はかかっていない。
「マギー」
伯爵が呼ぶ。返事はない。
ウィリアムが扉を開ける。部屋の中は片付いていた。机の上には本が一冊置かれ、椅子はきちんと戻されている。寝台も乱れていない。
「どこへ行った」
ウィリアムは部屋を見回した。まるで、マギーが物陰から出てくるとでも思っているように。
伯爵は机に近づいた。
本の頁をめくる。何も挟まっていない。引き出しを開ける。紙と封筒、ペン、少しのリボン。普段と変わらない。
「鞄は?」
ウィリアムが言う。
「鞄?」
「旅行用ではなく、小さい方です。マギーが寄宿学校へ行っていた頃から使っている」
クローゼットを開ける。
ドレスはある。外套もある。帽子も並んでいる。けれど、棚の端に置かれていたはずの小さな鞄がない。
ウィリアムの口が止まった。
伯爵も、そこでようやく事態を少し別の形で見た。
「出ていったのか」
声が低かった。
「まさか。マギーが一人でそんな」
「では鞄はどこだ」
「……使用人に持たせたのかもしれません」
「何のために」
ウィリアムは答えられなかった。
その時、廊下から足音が近づいた。古参の家令だった。
「旦那様。裏手の通用口で、昼頃にマギーお嬢様をお見かけした者がございました」
「なぜ今言う」
声が荒くなる。家令は軽く頭を下げた。
「お茶会の支度で屋敷中がばたついておりましたので。まさかお一人で外へ出られたとは思わず」
「どこへ向かった」
「駅の方角かと」
一瞬、何も言えなかった。ウィリアムが先に動いた。
「駅だと? 馬車を出せ。すぐに追う」
「もう昼を過ぎております。王都行きの列車なら、すでに」
「なら次の列車で追えばいい」
「ウィリアム」
伯爵は止めた。
「騒ぎを大きくするな」
「ですが父上、マギーが」
「わかっている」
「わかっていません。マギーは一人で家を出たんですよ」
その言葉で、伯爵の顔がわずかに変わった。
――一人で。
彼はその意味を、ようやく理解したらしい。
けれど次に出た言葉は、やはりマギーの心配だけではなかった。
「なぜ、こんなことを――」
ウィリアムは唇を噛む。怒っていた。マギーに。
勝手に出ていったことに。ロズリーを不安にさせたことに。今日の茶会を乱したことに。そして、自分たちが何か悪いことをしたかのような形にしたことに。
「連れ戻します」
「待て」
「待てません」
「客人がいる」
「客人よりマギーでしょう!」
その言葉だけなら、兄らしかった。
けれど彼の頭の中には、マギーが泣いて謝る姿がある。自分たちの前で、もう勝手なことはしません、と言う姿がある。
そして父伯爵はそれに気づかない。
「まず茶会を済ませる。ロズリーをこのまま放り出せるか」
「……ロズリーは」
「オードリーがついている」
遠くで客人の笑い声がする。
女たちの明るい声。茶器の触れる音。何も知らない者たちの午後。
伯爵は廊下の向こうを見た。
「今日のところは、ロズリーを出すしかない」
ウィリアムは不満そうだったが、反論はしなかった。
*
そして、実際にその通りになった。
マギーのいない茶会で、ロズリーはオードリーのそばに立った。
最初は遠慮がちに。次に、少しだけ笑って。やがて客人の夫人から声をかけられると、静かに礼をした。
「まあ、こちらが例の」
「ええ。大変なことがあったばかりですが、少しずつ元気になってくれればと思っておりますの」
オードリーが答え、ロズリーはそこで目を伏せた。
「皆様にご心配をおかけして、申し訳ございません」
「まあ、何て健気な」
夫人の一人が扇を口元に寄せた。
ウィリアムは少し離れたところから、それを見ていた。胸が痛む。
マギーがいないことよりも、ロズリーが必死に耐えているように見えることに。
だから、茶会が終わる頃には、彼の中で話は少し形を変えていた。
――マギーは、ロズリーを困らせるために出ていった。
――ロズリーは、それでもマギーを悪く言わずに立っていた。
そう考える方が、ずっと楽だった。
*
夕方。
客人の馬車がすべて去ったあと、父はようやく駅へ使いを出した。
その頃にはもう、マギーの乗った列車は王都へ着いている。
けれど屋敷の者は、まだそれを知らない。
ロズリーは支度部屋で、母のブローチを外していた。今度は自分の手で、そっと。
「奥様」
彼女は真珠を掌に乗せたまま、言った。
「これは、マギー様にお返しした方が」
「今はしまっておきなさい」
オードリーは小箱を差し出す。
だがそれはマギーの小箱ではない。ロズリーのために用意された、新しい小箱だった。
ロズリーはそれを見て、ほんの少しだけ指を止め――
それから、ブローチを中へ入れた。




