表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
母の形見を奪われたので、家を出ます~奪った庶子は、義母の娘でした  作者: さんけい


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
42/58

42 エレノア伯母がやってきた

 伯爵からの手紙は、昼過ぎに届いた。


 サミュエルは封を開け、最初の一枚を読み終えるまで何も言わなかった。

 二枚目、三枚目へ進むにつれて、指先だけが少し強く紙を押さえる。

 マギーは食堂の椅子に座っていた。昼食の皿は、まだ少し残っている。鶏肉と野菜を煮たものだった。ヘインズ夫人は、今日は残してもいいわよ、と先に言ってくれていた。


「兄様」

「ミルナーが捕まった」


 サミュエルは手紙から目を上げた。


「馬車の細工を認めた。割りピンを替えたそうだ」


 マギーは膝の上で手を握った。


「では、事故では」

「少なくとも、ただの事故ではない」


 ルーカスが卓の横に立ったまま、少しだけ息を吐く。ヘインズ氏は腕を組み、夫人は鍋の蓋を静かに置いた。

 サミュエルは続けた。


「オードリー様は、坂の前で止めるよう指示したと言っていた。けれどミルナーは、場所の指定は聞いていないと答えた」

「食い違ったのですね」


 ルーカスが言う。


「ああ。それと、ロズリー嬢についても」


 マギーは顔を上げた。


「ロズリーが?」

「ミルナーは事故の前日、ロズリー嬢へ『お母上から』外出しないよう伝えたと言った。ロズリー嬢は、最初は覚えていないと言い、その後、そう言われたと認めた」


 マギーは、卓の上の水差しを見る。手は伸ばさなかった。


「では、ロズリーは、お義母様が母親だと」

「事故前に知っていたか、少なくとも疑う材料を持っていた可能性が出た」


 サミュエルは断定はしていない。けれど軽くもない。


「馬車に細工があることは知らないと言っている。そこはまだ確認中だ」

「はい」


 マギーはうなずく。

 知らなかったかもしれない。けれど、何も知らなかったわけではない。その差が、今は重かった。

 サミュエルは最後の便箋を開いた。


「父上は、亡き母上の部屋を王家立会いのもとで開けるつもりだ。ただし」


 そこで一度、言葉を切った。


「マギーが望むなら、立ち会わせたい。望まないなら、開けない。少なくとも今は、とある」


 マギーはすぐには答えられなかった。

 母の部屋。長く閉じられていた部屋。

 そこに、伯母の手紙があるかもしれない。母の香水瓶も、ブローチが入っていたはずの箱も、ほかのものも。

 見たい。怖い。どちらもあった。


「今すぐに決めなくていいぞ」


 サミュエルが言った。


「いいえ」


 マギーは首を横に振った。


「決めます。開けてください。私も立ち会います」

「本当に?」

「はい」


 はっきりと答える。そして少しだけ喉が乾いたので、水を飲んだ。


「ただ、伯母様にも知らせたいです」


 サミュエルの目が少し動く。


「エレノア伯母上に」

「はい。あの手紙は、伯母様が私にくださったものです。母の部屋に移っていたなら、伯母様にも知っていただきたいです」

「そうだな」


 サミュエルはすぐにうなずいた。


「知らせよう。父上にも、その旨を書いておく」


 ルーカスが便箋を用意し、それをマギーの前へ置く。

 ペンは置かない。


「ご自分で書かれますか。それとも、サミュエルに代筆を?」


 マギーは便箋を見た。真っ白な紙だった。


「自分で書きます」


 ルーカスはうなずいて、今度はペンを置いた。インク壺は少し右へ。マギーの袖が触れない位置に。

 それだけして、何も言わずに下がる。

 マギーはペンを取った。最初の一文で少し止まる。


 ――伯母様。


 そう書いただけで、胸の奥が詰まりかけた。けれど、そのまま続ける。


 ――伯母様。

 ――マギーです。

 ――突然のお手紙をお許しください。

 ――私は今、王都のヘインズ家におります。サミュエル兄様の友人の家です。

 ――体は無事です。

 ――けれど、伯母様からいただいた昔のお手紙が、私の部屋から母の部屋へ移されていたかもしれません。

 ――母の部屋を、王家の立会いで開けることになりました。

 ――できれば、伯母様にも来ていただきたいです。

 ――私が、伯母様にいただいたものを確認するところを、見ていていただきたいのです。


 そこまで書いて、手が止まった。


 ――来てください。


 そう書くのは、少し怖かった。

 迷惑ではないか。大げさではないか。

 そう思いかけた時、ルーカスが水差しを少しだけ近づけた。何も言わない。

 マギーは水を一口飲んだ。それから、最後の一文を書いた。


 ――伯母様、来てください。


 書いてしまうと、思ったより短かった。サミュエルは封筒を出す。


「ホルム夫人の王都屋敷でいいな」

「はい。伯母様は今の時期、王都にいらっしゃるはずです」

「では急ぎで送る」


 ヘインズ氏がすぐに立ち上がった。


「うちの者を出そう。王都内なら早い」

「お願いします」


 マギーは封をした。

 自分の印は持ってきていない。サミュエルが、バーレイ家の封蝋ではなく、大学で使う簡素な封を貸してくれた。


「今はそれでいい」


 そう言われて、マギーはうなずいた。


 *


 返事は、その日の夕方に来た。早すぎるほどだった。

 ヘインズ家の玄関に馬車が止まり、家の者が応対する前に、黒い外套の女性が降りてきたという。

 エレノア・ホルム夫人だった。

 食堂でその知らせを聞いたマギーは、椅子から立ち上がった。

 立ち上がってから、自分が何をすればいいのかわからなくなった。

 迎えに出るべきか。座って待つべきか。

 サミュエルが立った。


「私が先に行く」

「いいえ」


 マギーは首を横に振った。


「私も行きます」


 玄関広間へ向かうと、そこには伯母が立っていた。

 背の高い人だ。亡き母より少し鋭い顔立ちで、髪はきっちりまとめている。黒い外套の襟元には、銀の小さな留め具が一つ。派手ではない。だが、誰も簡単には近づけない空気がある。

 伯母はマギーを見ると、すぐに歩み寄った。


「マギー!」

「伯母様……」


 礼をしようとしたが、その前に両手を取られた。

 強く握られたわけではない。でも、しっかりと離さない力があった。


「よく王都まで来ました」


 伯母は言った。


「怖かったでしょう。でも、来たのは正しかった」


 マギーは目を伏せ、ただ、頷いた。


「はい」

「体は?」

「無事です」

「食べていますか」


 ――なぜ皆そこを訊くのだろう。


 マギーが少しだけ困ると、後ろからヘインズ夫人の声がした。


「昨日よりは食べています」


 伯母はそちらを見た。ヘインズ夫人も、まっすぐ礼をした。


「ヘインズ夫人でいらっしゃいますね。姪がお世話になっています」

「こちらこそ、お預かりしております」

「ありがとうございます」


 エレノアは深く礼をした。形だけではなかった。ヘインズ夫人も同じように返す。

 玄関広間の空気が、少しだけ締まった。


「サミュエル」


 伯母は次に、甥を見た。


「あなたが連れ戻させなかったと聞いて、少し見直しました」

「少しですか」

「かなりと言うには、まだ若いわ」

「肝に銘じます」


 サミュエルは真面目に答える。伯母はそれから、ルーカスを見た。


「あなたが、ヘインズ家のご子息?」

「ルーカス・ヘインズです」

「マギーの話を聞いてくださったとか」

「聞き間違えないように努めています」


 エレノアは少しだけ目を細めた。


「聞き間違えないように」

「商売では、聞き間違いが一番高くつきますので」


 ルーカスはいつもの調子で答えた。伯母は軽く首を傾け、ほんの少しだけ口元を動かした。


「なるほど。よい心がけね」


 マギーはそのやり取りを見ていた。

 伯母が、ルーカスを嫌ってはいない。それがなぜか、少し嬉しかった。


 *


 応接室へ移ると、エレノアは外套を脱ぐ前に言った。


「まず、何があったのかを順に聞かせてください。急がなくていいわ。でも、ごまかしはなしで」

「はい」


 マギーが答えると、サミュエルがこれまでの書付を出し、ルーカスがそれを卓の上に並べた。

 見たこと。聞いたこと。思ったこと。嫌だったこと。

 エレノアはその見出しを見た。


「これは?」

「マギー嬢が話しやすいように分けたものです」


 ルーカスが答える。


「見たことと、聞いたことと、推測を混ぜないために」

「嫌だったこと、も分けてあるのね」

「はい。そこを抜くと、マギー嬢がなぜ家を出たのかが変わってしまいます」


 エレノアはしばらく紙を見ていたが、やがて椅子に座った。


「よろしい」


 短い言葉だった。

 ルーカスは軽く礼をして、紙から手を離す。エレノアはマギーへ向き直った。


「では、あなたの口から聞きます。途中で疲れたら止めなさい。止めるのは逃げではありません」

「はい」

「ただし、言うと決めたところは言いなさい。あなたが黙ると、別の誰かが都合よく話を作ります」


 その言い方は厳しかった。でも、マギーは嫌ではなかった。


「はい」


 マギーは話し始めた。

 ロズリーが来た日。雨。大きすぎる喪服の袖。居間の椅子。青い布。小箱。真珠のブローチ。

 伯母の手紙。

 エレノアは、途中で一度も「かわいそうに」と言わなかった。ただ、何度か短く訊いた。


「その時、誰が部屋にいたの」

「その手紙を最後に見たのはいつ」

「ブローチの小箱の鍵はどこに置いていたの」

「あなたは、それを嫌だと言ったのね」


 マギーは答えながら、伯母は怒っているのだとわかった。

 声は荒くない。けれど、怒っている。自分のために。

 それがわかると、マギーは少しだけ背筋がしゃんとする思いだった。


 話し終える頃には、外は暗くなっていた。ヘインズ夫人が茶を入れ直す。

 エレノアは茶碗を持ち、ひと口飲んだ。


「エドガー様には、私からも書きます」

「お父様に」

「ええ」


 茶碗を置く音は小さかった。


()()()()()()()()()手紙が、なぜ()()遺品箱に入っているのかしら。そこは、私にも確かめる権利があります」


 サミュエルがうなずいた。


「父上も、伯母上の同席を望むと思います」

「望むかどうかではありません。同席します」


 きっぱりしていた。サミュエルは返事に少し詰まる。


「はい」

「それから、マギー」

「はい」

「あなたが母の部屋を開ける時、私は隣にいます。必要なら、あなたより先に入ります。必要ないなら、後ろにいます。あなたが決めなさい」


 マギーは、しばらく考えた。


「隣にいてください」

「わかりました」


 即答だった。

 マギーの手元に、ヘインズ夫人が小さな皿を置いた。薄く切った梨だった。

 エレノアはそれを見て、少しだけ眉を上げる。


「食べられる?」

「はい」

「なら食べなさい。話はまだ長くなるわ」


 言い方がヘインズ夫人とは違う。でも、皿を押しつけるわけではない。

 マギーは梨を一切れ取る。甘く、少し冷たかった。

 伯母はそれを見てから、ルーカスへ目を向けた。


「ルーカス様」

「はい」

「この家では、姪はきちんと食べて眠れていますか」

「少しずつですが」


 ルーカスは答えた。


「食べられるものを出して、話す時は水を置くようにしています」

「水を」

「はい。話すと喉が乾きますので」


 エレノアは、今度ははっきりルーカスを見た。


「そう」


 短い返事だった。けれど、その声は先ほどより少しやわらかかった。

 マギーは梨をもう一切れ食べた。

 母の部屋を開けることは、まだ怖い。でも、隣には伯母がいる。

 卓には、書付がある。水差しもある。

 それから、聞き間違えないようにしてくれる人も。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ