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母の形見を奪われたので、家を出ます~奪った庶子は、義母の娘でした  作者: さんけい


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38/58

38 伯爵邸に保全命令が出る

 翌朝、ロズリーの部屋には、いつもの薬湯が運ばれてきた。


 盆を持ってきたのは、昨日までと違うメイドだった。若く、口数が少ない。杯を卓に置くと、礼をしてすぐ下がろうとする。


「待って」


 ロズリーは椅子から立ち上がった。

 メイドは扉の前で足を止める。


「奥様は…… いえ、オードリー様はどうしていらっしゃるの」

「存じません」

「ウィリアム様は」

「存じません」

「旦那様は?」

「書斎にいらっしゃいます」


 答えは短い。

 責めているわけではない。ただ、余計な言葉を足さないよう言われているのだろう。


「では、旦那様にお伝えして。私、いつまでここにいればよいのかと」

「かしこまりました」


 メイドは礼をして出ていった。

 扉が閉まる。廊下には、まだ人の気配がある。従僕か、王家の護衛か。足音が違うので、ロズリーにも少しずつわかってきた。

 屋敷の人間は、立っていても空気が柔らかい。王家の人間は、立っている場所が動かない。

 ロズリーは薬湯を見た。湯気は立っている。いつもなら少し蜂蜜が入っているのに、今日は香りが薄い。

 オードリーが見ていないと、こうなるのだと思い、杯には手をつけなかった。

 窓の外は晴れていた。庭に出たいと思ったが、たぶん許されない。

 昨日、部屋へ戻ってから一度も外へは出ていない。刺繍箱も机の上にあるが、蓋を開ける気にならなかった。

 薄青の糸は、少し色が変わっていた。オードリーが入れ替えたのだと、すぐわかった。

 けれど、そのことも誰にも言えない。言えば、何のために糸が入れ替わったのかを聞かれる。

 ロズリーは窓辺の椅子に座った。

 あの屋敷で初めてこの椅子に座った時、自分のための場所ができたと思った。明るい場所ですね、と言っただけだった。

 けれど、マギーはそのあと本を持って自室へ戻った。

 知っていた。気づかなかったわけではない。

 ただ、戻っていくマギーの背中を見ながらも、ロズリーは刺繍箱を膝に置いたままだった。返そうとはしなかった。

 そのことを、昨日、言葉にされてしまった。


 ――綺麗な布だったので。

 ――外したら、私が悪いことをしたみたいになると思いました。

 ――私も、どこかにいたかったので。


 どれも自分の言葉には違いない。

 でも、紙に書かれると別のものに見えた。()()()()()()に見えた。

 ロズリーは膝の上で手を握った。

 

 ――違う。


 違う、と言いたい。けれど、何が違うのかはうまく言えなかった。


 *


 昼前に、伯爵が来た。

 ひとりではなかった。王家法務局のハーグリーヴと、書記官が一人。護衛が扉の外に立つ。モリスもいる。

 部屋の中が、急に狭くなった。

 ロズリーは立ち上がり、礼をした。


「座りなさい」


 伯爵の声は低かった。

 怒ってはいない。けれど、前のような困ったような優しさもない。

 ロズリーは椅子に座る。ハーグリーヴが書面を広げる。厚い紙だった。下の方には王家の印がある。


「本日より、正式な保全命令が出ます」


 聞き慣れない言葉だった。


「ほぜん、ですか」

「証言、証拠、関係者の状態を保つための命令です。あなたは当面、この屋敷内で監督下に置かれます。許可なく外出することはできません」

「屋敷の中は」

「部屋の外へ出る場合も許可が必要です」


 ロズリーは手元を見た。


「オードリー様とは」

「接触できません」

「ウィリアム様とは」

「接触できません」


 即答。ロズリーは息を止めた。


「お手紙も?」

「認めません。口頭の伝言、刺繍箱や本などを使った伝言も同じです」


 刺繍箱。その言葉で、ロズリーは顔を上げかけた。

 ハーグリーヴは、こちらを見ている。ロズリーはすぐに視線を落とした。


「私、あの」

「必要なものはメイドを通じて申し出てください。内容は確認されます。医師が必要な場合も同じです」

「私は、罪人なのですか」


 聞いてから、声が少し震えたことに気づく。ハーグリーヴは、すぐには答えなかった。


「現時点では、重要な関係者です」

「罪人ではないのですね」

「判断はこれからです」


 慰めはない。ロズリーは膝の布をつかんだ。


「私は、馬車のことは知りませんでした」

「その発言は記録されています」

「本当です」

「それも記録されています」


 同じ調子だった。信じるとも、疑うとも言わない。

 ロズリーにとっては、その方が怖い。

 ウィリアムなら、すぐに言ってくれた。君は悪くない、と。

 オードリーなら、目元をやわらげてくれた。大丈夫、と。

 でも、この部屋にいる誰も、そのようなことは言わない。


「では、私はいつまで」

「調査が進むまでです」

「調査が終われば、私はここにいられるのですか」


 言ってから、伯爵の顔を見てしまった。

 伯爵はすぐには答えなかった。ハーグリーヴが先に言う。


「それも、後の判断になります」

「修道院へ行かされるのでしょうか」


 部屋の空気が少し動く。伯爵の手が、椅子の肘に触れる。


「今は決めない」


 ロズリーは伯爵を見た。


「旦那様は、私を追い出したいのですか」

「今は決めないと言った」

「マギー様は戻られるのですか」

「マギーは王都にいる」

「戻られたら、私は」

「ロズリー」


 伯爵の声が、少しだけ強くなった。


「マギーのことを、君の今後を推し量るために使うんじゃない」


 ロズリーは言葉を止めた。頬が熱くなる。


 ――そんなつもりではなかった。


 そう言いかけて、やめた。その言葉は、昨日から何度も使えなくなっている。


「保全命令は以上です」


 ハーグリーヴが書面を畳まないまま言った。


「この内容を理解しましたか」

「……はい」

「署名を」


 書面の下に空欄がある。ロズリーはペンを持った。

 昨日と同じように、家名で迷った。子爵家の姓を書くべきなのか。母の姓なのか。バーレイではない。少なくとも今は。

 結局、またロズリーとだけ書いた。

 インクが少し滲む。ハーグリーヴは、それを見ても何も言わなかった。


 *


 同じ頃、オードリーの部屋でも同じ命令が読み上げられていた。

 伯爵は同席していない。ロズリーの部屋で読まれたあと、書斎へ戻った。机の上には、王家へ渡した書類の控えが残っている。

 真珠のブローチは、王家の封をされた小箱の中だ。

 開けられない。今は、それでいい。

 やがて、モリスが入ってきた。


「奥様の署名も済みました」

「何か言ったか」

「ロズリー様の体調を気にしておられました」

「ほかには」

「特には」


 伯爵はうなずいた。


「ウィリアムは」

「お部屋に。保全命令は、ハーグリーヴ殿が直接読み上げております」

「荒れたか」

「お声は大きくなったようですが、護衛がいるため、それ以上は」

「そうか」


 伯爵は椅子に座る。ウィリアムにも命令が出た。

 オードリー、ロズリーとの接触禁止。外部連絡の制限。王家の調査に関する口外禁止。

 息子にまで、王家の命令が必要になってしまった。

 伯爵は指で眉間を押さえる。


「旦那様」


 モリスが静かに言った。


「王家の命令になったことで、屋敷の者も動きやすくなりました」

「ああ」

「旦那様お一人のご命令より、迷う者は減ります」

「私の命令では足りなかったか」

「足りないというより」


 モリスは少しだけ言葉を選んだ。


「皆、長く奥様の差配に慣れておりました」


 伯爵は返事をしなかった。

 その通りだった。家はオードリーの手で整えられていた。だから使用人たちは、伯爵が急に命じても、どこまで従えばいいのか迷ったのだろう。

 オードリーに逆らってよいのか。ロズリーを止めてよいのか。ウィリアムを制してよいのか。

 王家の印があれば、迷いは減る。


「マギーの部屋は」

「封じたままです」

「亡き妻の部屋も」

「はい」

「義姉上…… マギーの伯母からの手紙を探す必要がある」

「ホルム夫人からの?」

「マギーがそう話したらしい。困ったことがあれば手紙を寄越せという内容だった。それがマギーの部屋から、亡き妻の整理箱へ移っていた可能性がある」


 モリスの眉が、ほんの少し動いた。


「それは」

「ああ。気になる」

「王家の立会いを求めますか」

「そうする」


 伯爵はすぐに答えた。今はもう、自分だけで開けるべきではない。


「ハーグリーヴ殿に伝えてくれ。マギーの部屋と亡き妻の部屋を開ける時は、王家側の立会いを願いたいと」

「かしこまりました」

「開けるのは、マギーがいる時が望ましい」

「王都からお戻りいただくことになりますが」

「すぐではない」


 伯爵は机の上の控えへ目を落とした。


「まだ戻さない」



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