36 オードリーへの質問
王家法務局の馬車がバーレイ伯爵家へ着いたのは、翌日の昼前だった。
玄関広間には、朝から妙な静けさがあった。使用人たちはいつも通り動いている。銀器は磨かれ、花は替えられ、昼食の支度も進んでいる。
けれど誰も、長く立ち話をしない。
廊下の端には従僕が立ち、ロズリーの部屋の前にも、オードリーの部屋の前にも人がいる。ウィリアムの部屋の前にもだ。
伯爵は書斎で待っていた。
机の上には、すでにまとめた書類がある。オードリーの発言記録。ロズリーの発言記録。洗礼記録の写し。鍵台帳。亡き妻の部屋の整理帳面。
そして、真珠のブローチの入った小箱。
伯爵はその小箱へ手を伸ばしかけ、やめた。
触る必要はない。触れば、また余計なことを考える。
扉が叩かれた。
「旦那様。王家法務局の方がお着きです」
「通しなさい」
入ってきたのは、灰色の上着を着た男だった。
名をハーグリーヴと名乗った。王都でマギーから話を聞いた者だという。後ろに書記官が一人、さらに護衛が二人ついている。
伯爵は立ち上がった。
「エドガー・バーレイです。ご足労いただき、感謝します」
「こちらこそ、迅速な届けを受け取りました」
ハーグリーヴは礼を返した。
その礼は、貴族への礼ではある。だが、それだけではない。相手が伯爵でも、ここでは調べる側の人間なのだとわかる礼だった。
伯爵は、それに少しだけ救われた。
「書類はこちらに」
机の上を示す。
ハーグリーヴはすぐに座らず、まず小箱を見た。
「ブローチはそちらですか」
「はい。亡き妻のものです。娘マギーへ返すべきものです」
「確認します」
伯爵は鍵を開け、箱の蓋を上げる。
真珠のブローチが、白い布の上に置かれている。
ハーグリーヴは手袋をはめ、ブローチを持ち上げずに見た。書記官が横から形状を書き取る。
「これは、当面こちらで封じます」
「持って行かれるのですか」
「いいえ。所有物としてはマギー嬢のものと扱います。ただし、調査に関わる品ですので、封をした状態でこちらに保管します。開ける時は立会人を置く」
「わかりました」
ハーグリーヴは小さな紙帯を取り出した。箱を閉じ、その上から帯を掛ける。王家法務局の印が押される。
真珠のブローチは、箱の中に戻り、見えなくなった。
それでも、今度は《《消えた》》わけではない。伯爵はそう思うことにした。
「次に、奥方とロズリー嬢の身柄についてです」
ハーグリーヴは言った。伯爵はうなずく。
「現在、別室に置いております。互いに会わせていません。ウィリアムとも」
「そのまま続けてください。本日、改めてこちらで聞き取りを行います。ただし、全員同席はさせません」
「承知しています」
「ミルナーの捜索については、王家側で人を出します。伯爵家の私兵や使用人が先に見つけた場合は、拘束せず、所在だけを知らせてください」
「はい」
「感情的に動く者がいると、証言も証拠も壊れます」
その言葉で、伯爵はウィリアムの顔を思い浮かべた。
「息子には近づけさせません」
「その方がよいでしょう」
短い返事だった。
責められてはいない。だが、見られている。
伯爵はそれを受け入れた。
*
最初に呼ばれたのは、オードリーだった。
彼女はモリスに伴われて書斎へ入った。身なりは昨日と変わらず整っている。髪も乱れていない。座るように言われるまで立ち、座る時にも椅子を鳴らさなかった。
ハーグリーヴは、彼女の前に発言記録の写しを置いた。
「こちらは、バーレイ伯爵のもとで記録されたあなたの発言です。内容に間違いがないか、改めて確認します」
「はい」
オードリーは記録を読む。
伯爵は横の席にいた。口は挟まない。挟んではならないと言われている。
モリスも壁際に立っている。
ウィリアムはいない。ロズリーもいない。
「馬車を止めるよう、ミルナーに頼んだ」
ハーグリーヴが読み上げる。
「間違いありませんか」
「はい」
「殺すつもりはなかった」
「はい」
「ロズリー嬢を外出させないよう、ミルナーを通じて伝えた」
「はい」
「事故の前日に喪服を用意させた」
オードリーの指が、膝の上で少しだけ重なった。
「はい」
「理由は、万が一のため」
「はい」
「その万が一について、昨日は明確な回答がありませんでした。改めて伺います。何の万が一ですか」
書斎が静かになる。窓の外で、馬が鼻を鳴らす音がした。
「馬車が止まった後、子爵家で騒ぎになると思いました」
オードリーは言った。
「ロズリーが責められる可能性もありました。その時に、喪服が必要になるとは限りません。ただ、急な移動や、葬儀への参列が必要になるかもしれないと」
「事故の前日に、葬儀を想定したのですか」
「想定したのではありません。備えただけです」
「備えた」
「はい」
ハーグリーヴは書記官へ目を向けた。ペンが動く。
伯爵は、机の端を見ていた。
――備えた。
……何と控えめで、便利な言い方をするものだ。
「ミルナーは、あなたの命に反して事故を大きくしたという理解ですか」
「私は、坂の前で止めるようにと言いました」
「それを証明する者は」
「ミルナーです」
「ではミルナーの確保が必要になります」
「はい」
オードリーはそう答える。その声も乱れない。
ハーグリーヴは、次の紙へ移った。
「ロズリー嬢があなたの娘であることを、バーレイ伯爵に隠していました」
「はい」
「ロズリー嬢本人には、この家へ来てから伝えた」
「はい」
「なぜ、それ以前に伝えなかったのですか」
「子爵家で生きるしかなかったからです」
「母親が生きていると知れば、ロズリー嬢に不利益があると?」
「はい」
「この家へ来てから伝えたのは」
「隠しきれないと思ったからです」
「何を」
「私が、あの子を見てしまい、気に掛けてしまうことを」
ハーグリーヴは少しだけ目を伏せた。書記官のペンは止まりかけるがすぐにまた動いた。
伯爵は、自分の手を見た。
――見てしまう。
それは、マギーも言っていたことだった。
――ロズリーを見る時だけ、お義母様の目元がやわらぐ。
皆が見ていた。ただ、意味を間違えた。
「最後に、マギー嬢の所有物について」
ハーグリーヴは箱を示した。
「真珠のブローチを、ロズリー嬢へ使わせました。マギー嬢から返してほしいと言われた後も、その場では返さなかった」
「はい」
「理由は」
「茶会に出るロズリーを落ち着かせたかったからです」
「その時、ブローチがマギー嬢の母の形見であることは知っていましたか」
「知っていました」
「マギー嬢がそれを大切にしていることも」
「はい」
「それでも使わせた」
「はい」
「そのブローチは、どこにありましたか」
「……マギーの小箱に」
「小箱には鍵が掛かっていましたか」
「はい」
「鍵は、マギー嬢が持っていましたね」
「はい」
「では、誰が開けましたか」
オードリーは箱の金具にちら、と目をやる。
「私です」
「どの鍵で」
「家政用の鍵束に、予備がありました」
「マギー嬢の許可は」
「取っていません」
伯爵はオードリーから視線を外さない。ハーグリーヴは、少し間を置いた。
「わかりました。本日の確認はここまでです」
オードリーは礼をする。
「私は、どうなりますか」
「正式な判断はこれからです。ですが、当面はこの屋敷内で監督下に置かれます。外部への手紙、使者、私物の移動は認めません」
「ロズリーとは」
「会わせません」
「母としても?」
「調査対象としてです」
オードリーは、そこで初めてほんの少しだけ唇を閉じる。けれど何も言わなかった。
モリスが彼女を連れていく。
扉が閉まる直前、オードリーは伯爵を見ようとはしなかった。




