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母の形見を奪われたので、家を出ます~奪った庶子は、義母の娘でした  作者: さんけい


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34/58

34 王家法務局のハーグリーヴ氏

 昼前、王家からの使いがヘインズ家を訪ねてきた。


 正式な調査官ではなく、まずは連絡役だった。

 サミュエル宛に、午後遅くに王家側の担当者がヘインズ家へ来ると告げる。バーレイ家からの届けが届き、関係する記録が王都にもあるため、最初の確認をこちらで行いたいということだった。

 ヘインズ氏は応接室を用意させた。ルーカスは書付を束ね直す。

 サミュエルはマギーを見た。


「午後、聞かれるかもしれないが、無理なら、無理と言えばいい。返事ができなければ、黙っていい」

「はい」

「水は――」


 そこまで言ったところで、ルーカスが小さな水差しを持ってきた。


「置いておきます」


 サミュエルは一瞬止まった。


「用意がいい」

「間違えない仕組みです」


 ルーカスはそう言って、水差しをマギーの手が届く場所に置いた。近すぎない。倒しにくい位置だった。

 マギーはそれを見ていた。


「ありがとうございます」

「はい」


 ルーカスは短く答える。その短さが、マギーにはありがたかった。

 午後に何が起きるかは、まだわからない。

 けれど、卓の上には、見たこと、聞いたこと、思ったことが分けて置かれている。

 嫌だったことも。

 水差しもある。そして、ペンを止めて待ってくれる人がいる。

 マギーは深く息を吸い、ゆっくり吐いた。

 まだ怖い。

 けれど、何を怖がっているのかは、昨日より少しわかっていた。


 *


 王家の使いが来たのは、午後の鐘が二つ鳴ったあとだった。

 馬車は一台だけだった。派手な紋章馬車ではない。けれど、扉に小さな王冠の印が入っている。御者の動きも、護衛の立ち方も、ヘインズ商会へ来る客とは少し違った。

 ヘインズ氏が玄関で迎えた。

 サミュエルとルーカスもその後ろに立つ。マギーは応接室で待つように言われていた。待つ、と言われたのに、膝の上の指はさっきから何度も組み直している。

 卓には水差しがある。その横に、書付。

 見たこと。聞いたこと。思ったこと。嫌だったこと。

 ルーカスの字は読みやすい。大きすぎず、小さすぎない。余白もある。余白があるだけで、なぜか息がしやすい。

 扉の向こうから、足音が近づいた。

 マギーは水差しを見た。倒れない位置にある。手を伸ばせば届く。確かめてから、顔を上げる。

 入ってきたのは、四十代半ばほどの男だった。

 灰色の上着に、黒い手袋。腰には細い剣を帯びているが、飾りではないらしい。動きに余計な音がない。

 後ろには若い書記官が一人、革の書類鞄を持って続いていた。


「王家法務局のハーグリーヴです」


 男はそう名乗った。サミュエルが礼をする。


「サミュエル・バーレイです。妹のマギー・バーレイです」


 マギーも礼をした。

 ハーグリーヴは深くも浅くもない礼を返す。貴族の娘に対する礼というより、話を聞く相手に対する礼だった。


「お疲れでしょう。座ったままで構いません」

「はい」


 マギーは座る。

 ハーグリーヴは向かいの椅子へ腰を下ろした。若い書記官は少し離れた小机に座り、紙とペンを出す。

 ルーカスは、マギーの斜め後ろではなく、卓の横に立った。

 近すぎない。紙に手が届く場所。けれど、マギーの代わりに答える位置ではない。


「まず確認します」


 ハーグリーヴが言った。


「バーレイ伯爵から、子爵家の事故に関する届けが出ています。オードリー・バーレイ夫人の発言記録、ロズリー嬢の発言記録、ロズリー嬢の洗礼記録写し、馬車事故に関する商会側の聞き取り。これらを受け取りました」

「はい」


 サミュエルが答える。


「本日は、マギー嬢から直接お話を伺います。ただし、無理にすべてを今日話す必要はありません。途中で休んでも構いません。質問に答えられない場合は、答えられないと言ってください」


 マギーはうなずいた。


「わかりました」

「では、最初に。あなたは現在、自分の意思でヘインズ家に滞在していますか」

「はい」

「誰かに強制されていることは?」

「ありません」

「バーレイ伯爵家へ戻る意思は、今ありますか」


 マギーは膝の上の指に力が入るのを感じた。

 すぐ答えられると思っていた。けれど、問いにされると、思ったより重い。

 サミュエルは何も言わない。ルーカスもペンを持っていない。ただ、卓の端にある水差しの向きをほんの少しだけ直した。

 注ぎ口が、マギーの方へ向く。


「今は、ありません」


 声は出た。

 ハーグリーヴはうなずき、書記官のペンが動いた。


「理由を、あなたの言葉でお願いします」


 マギーは書付を見た。どこから話せばいいのか。

 見たこと。聞いたこと。思ったこと。嫌だったこと。

 ルーカスが、何も言わずに一番上の紙を少しだけ手前へ動かした。


 ――見たこと。


 マギーはそこを見る。


「ロズリーが来てから、私の部屋や母のものが、少しずつ動かされるようになりました」

「少しずつ、とは」

「最初は居間の椅子でした。亡くなった実の母が使っていた窓辺の椅子です。母が亡くなってからは、私がそこで本を読んだり、刺繍をしたりしていました。ロズリーが明るい場所でないと針目が見えにくいと言って、その椅子に刺繍箱を置くようになりました」

「それは、誰の指示でしたか」

「はっきりと命じられたわけではありません。けれど、お義母様がロズリーに使わせてあげるようにと言いました。父も、少しくらい譲りなさいと」


 ハーグリーヴは途中で止めなかった。書記官のペンの音だけが続く。


「次に、青い布です。母の肖像に似た色の布で、私が選んだものでした。伯母の茶会に着るつもりでした。でも、ロズリーのドレスになりました」

「あなたは、その時に断りましたか」

「断りかけました」

「かけた」

「はい。ロズリーが、もったいないと言いました。でも布から手は離しませんでした。父は、私にはほかにもあると言いました」


 ハーグリーヴはそこで、初めて少し顔を上げた。


「ほかにもある」

「はい」

「あなたは、それをどう受け取りましたか」


 マギーは、今度は別の紙を見た。


 ――嫌だったこと。


 そこには、そのままの言葉が書いてある。


 ――私に他のものがあることと、その布を失っていいことは別。


 マギーはそれを見てから言った。


「私に他のものがあるからといって、その布を失っていいわけではないと思いました。でも、その場では言えませんでした」


 書記官のペンが走る。ハーグリーヴはうなずいた。


「続けてください」

「あとは、真珠のブローチのことです」


 その言葉を出すと、指先が少し冷えた。けれど、水差しには手を伸ばさなかった。


「母の形見です。母が生きていた頃、いつか私にくれると言っていました。私は、自分の小箱に入れて鍵をかけていました。けれどロズリーがそれをつけていました。お義母様が選んだと聞きました」

「あなたは返還を求めましたか」

「はい」

「その場で返されましたか」

「いいえ」

「理由は」

「今日のお茶会には必要だと。ロズリーにとって初めての茶会だからと。あとで返すような話になりました。でも、その後、私は家を出ました」

「ブローチが返されなかったことが、家を出る直接の理由ですか」


 マギーは一度、答えを止めた。


 ――直接。 


 それは少し違う。でも、違わない。

 卓の上の紙を見る。ルーカスの字で、端に小さく書いてあった。


 ――最後の一つではなく、《《積み重なったもの》》。


「直接のきっかけではあります。でも、それだけではありません。居間の椅子、布、母の部屋、私の小箱、伯母からの手紙。少しずつ、私のものが別の場所へ動きました。言っても、ロズリーが可哀想だから、私にはほかにもあるから、少しくらい譲りなさいと言われました」

「伯母からの手紙?」


 ハーグリーヴは訊いた。マギーはうなずく。


「母の姉のエレノア・ホルム伯母様からの手紙です。困ったことがあれば、いつでも手紙を寄越しなさいと書かれていました。私の部屋に置いていたのに、一度なくなり、母の部屋の整理箱に入っていました。お義母様が、亡き母のものと混ざっていたから、と」

「その手紙は今どこに?」

「確認中です。たぶん、まだ母の部屋に」


 ハーグリーヴは書記官へ短く目を向けた。書記官が別の欄に何かを書く。


「その手紙が移動したことを、当時あなたはどう受け取りましたか」

「自分の置き忘れかと思いました」

「今は?」


 マギーはすぐには答えなかった。


 ――思ったこと。


 そこに書いてある。でも、これはまだ決めない話だ。


「今は、確認したいです」


 ハーグリーヴは手を止め、マギーを見た。


「確認したい?」

「はい。わざとだったのか、偶然だったのか。私の記憶違いだったのか。まだわかりません。ただ、同じようなことがいくつもあったので、確認したいです」


 ハーグリーヴは少しだけうなずいた。


「よい答えです」


 褒める声ではなかった。

 ただ、記録に耐える答えだと言われたような気がした。

 マギーは肩から少し力を抜き、そこで初めて、水を飲んだ。

 グラスは軽い。

 水は少し冷たかった。


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