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母の形見を奪われたので、家を出ます~奪った庶子は、義母の娘でした  作者: さんけい


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30/58

30 王家に任せる決断

 ロズリーが出ていったあと、ウィリアムはしばらく椅子から動かなかった。

 伯爵も、すぐには声を出さなかった。

 モリスの前には、書き取った紙が何枚か重なっている。オードリーの答え。ロズリーの答え。途中で返答が止まった箇所には、返答なし、と記されていた。

 紙の上では、声は震えない。泣いたことも、黙ったことも、言いよどんだことも、ただ短い言葉になる。

 それが今はありがたかった。


「モリス」

「はい」

「オードリーの発言をまとめたものを清書しなさい。ロズリーの分も別に。私が確認する」

「かしこまりました」

「本人たちに署名を求める。拒むなら、拒否と書く」


 ウィリアムが顔を上げた。


「父上。そこまでするのですか」

「する」

「ロズリーは、子爵家の事故については知らなかったと言いました」

「だから記録する」

「ではなぜ」

「知らなかったと、本人が言った記録になる」


 ウィリアムは口を閉じた。

 伯爵は机の引き出しを開けた。中には、洗礼記録の写しと、真珠のブローチの入った小箱がある。どちらも今は、軽いものではなかった。


「オードリーは馬車を止めるようミルナーに頼んだと認めた。殺すつもりではなかったとも言った。だが、馬車は壊れ、三人が死んだ」

「……はい」

「ロズリーは、外出しないようミルナーに言われたと認めた。馬車を止める話は知らなかったと言った。けれど、事故の後にミルナーの言葉を思い出し、オードリーへ話したとも言った」


 ウィリアムの手が膝の上で動いた。もう庇う言葉は出てこない。

 だが、納得した顔でもなかった。


「これを、この家だけで扱うことはできない」

「父上」

「子爵家三人が死んでいる。爵位は王家預かりだ。そこへ、私の妻と、その娘が関わっているかもしれない」


 伯爵は、そこで初めてはっきり言った。


「これは、私の家の恥では済まない」


 モリスのペンが止まった。ウィリアムも動かなかった。


「王家へ届ける。子爵家の件を扱う部署にもだ。サミュエルにも知らせる。ミルナーを見つけ次第、こちらで隠さず引き渡す」

「引き渡す」


 ウィリアムが繰り返した。


「オードリー様も、ですか」

「必要なら」

「ロズリーも?」

「ロズリーは、まず保護下で事情を聞かれることになるだろう」

「修道院へ、などという話では」

「まだ決める段階ではない」


 伯爵は言った。


「決めるのは私ではない」


 ウィリアムは唇を噛んだ。

 今までなら、ここで何かを言っただろう。ロズリーは悪くない。オードリー様には事情がある。マギーにも悪いところがあったのではないか。

 だが、何も言わなかった。言えなかったのかもしれない。


「お前にも命じる」


 伯爵はウィリアムを見た。


「今日から、私の許可なくロズリーに会うな。オードリーにもだ」

「それは、私を疑って」

「疑っている」


 短く言った。ウィリアムの顔が固まった。


「お前は昨日、言うなと言ったことをロズリーに言った。今日も、止めたのにロズリーの部屋へ行こうとした。お前は彼女を庇うつもりで、言葉を与えてしまう」

「言葉を――」

「ああ。ロズリーが知らなかったことまで、お前が先に伝えてしまう。そうすれば、ロズリーの答えはロズリー自身のものか、お前に合わせたものか、わからなくなる」


 ウィリアムはうつむいた。


「私は、守りたかっただけです」

「誰を」


 ウィリアムはすぐには答えない。伯爵は待った。


「……ロズリーを」

「ではマギーは?」


 また、答えが止まる。伯爵はその沈黙を、今度は見逃さなかった。


「その答えがすぐ出ないうちは、お前をロズリーには近づけない」


 ウィリアムは顔を上げた。傷ついたような目だった。

 だが、その傷を今なだめるわけにはいかなかった。


「部屋へ戻りなさい。扉の前に人を置く。お前を閉じ込めるためではない。お前がまた動かないようにだ」

「同じことではありませんか」

「ほとんど同じだ」


 伯爵は言った。


「だが、今はそうするのが最善だと私は思う」


 ウィリアムはしばらく父を見ていた。それから、ゆっくり立ち上がる。


「承知しました」


 礼はした。きちんと。けれど、顔は上げなかった。

 扉が開き、従僕がウィリアムを伴って出ていく。足音が遠ざかるまで、伯爵は動かなかった。

 モリスだけが、静かに紙を揃えている。


「モリス」

「はい」

「私は、ずいぶん遅かったんだな」


 モリスは紙から目を上げなかった。


「旦那様」

「慰めはいらない」

「では、申し上げません」


 短い返事だった。伯爵は少しだけ笑いそうになった。だが、笑えなかった。


「続けよう」

「はい」


 モリスは新しい紙を出した。伯爵は立ったまま指示を出す。


「王都へ二通。ひとつはサミュエルへ。洗礼記録の写しを受け取ったこと。オードリーがロズリーの母であると認めたこと。馬車を止めるようミルナーへ頼んだと認めたこと。ロズリーの聴取を終えたこと」

「はい」

「もうひとつは、王家の担当へ。子爵家の事故に関し、新たな証言と証拠があるため、正式な調査を願うと」

「担当の名は」

「王家預かりの通知を出した部署へ。写しを添える。先方が違うと言うなら、適切なところへ回すだろう」

「かしこまりました」

「ミルナーの捜索は、外の者にも頼む。だが、捕らえたならこちらへ連れてこず、王家側へ渡す。私兵で処理したと思われたくない」

「はい」

「オードリーとロズリーの部屋には、女中を一人ずつつける。だが会話は必要最低限。手紙、刺繍箱、裁縫箱、薬箱、すべて出入りを確認する」

「奥様の持ち物も」

「すべてだ」


 言ってから、伯爵は少しだけ目を伏せた。

 妻の部屋を、妻の持ち物を、監視させる。

 それをする日が来るとは思わなかった。だが、もう思わなかったでは済まない。


「マギーの部屋と亡き妻の部屋は引き続き閉じる。鍵は私が持つ」

「はい」

「ブローチも私が預かる。マギーへ返すまで、誰にも触れさせない」


 モリスが書き留める。その音だけが、書斎に続いた。


 *


 オードリーの部屋へ署名を求めに行ったのは、伯爵とモリスだった。

 廊下には従僕が立っている。扉を叩くと、少しして中から返事があった。


「どうぞ」


 オードリーは窓辺に座っていた。

 机の上には何も出ていない。手紙も、裁縫箱も、鍵もない。先ほどまでと同じ菫色の室内着のままだった。

 伯爵は、モリスに紙を差し出させた。


「君の発言をまとめた。確認して、署名しなさい」


 オードリーは紙を受け取った。

 読み始め、途中で止まることはしない。最後まで目を通し、机の上に置いた。


「一部、言葉が強いように思います」

「どこだ」

「馬車を止めるよう()()()、という箇所です。私は、ミルナーに()()ました」

「では、頼んだ、と直す」


 伯爵はモリスへ目で示した。モリスがその場で修正する。


「ほかは」

「殺すつもりではなかった、という私の言葉は」

「入っている」

「その前に、ロズリーを取り戻したかった、も」

「入っている」

「なら、署名します」


 オードリーはペンを取る。名前を書く手は、乱れなかった。


 ――オードリー・バーレイ。


 その名を見て、伯爵は洗礼記録の別の名を思い出した。


 ――オードリー・ラングレー。


 同じ女の、二つの名。オードリーはペンを置いた。


「ロズリーは?」

「別に聞いた」

「そうですか」

「君とは会わせない」

「……母親だから、ですね」

「ああ」


 オードリーは少しだけうなずいた。


「ロズリーは、弱い子です」

「そうかもしれない」

「どうか、あの子には」

「それは、私が決めることではない」


 伯爵は言った。


「すでに王家へ届ける準備をしている」


 オードリーの手が、机の上で止まった。ほんの少し。


「王家へ……」

「ああ」

「あなたは、私を差し出すのですね」

「隠すわけにはいかない」

「妻でも?」

「妻だから隠せば、私は伯爵ではいられない」


 オードリーは何も言わなかった。伯爵も、それ以上は言わなかった。

 夫婦の話をするには、あまりに遅かった。


 部屋を出ると、廊下の空気が冷たかった。


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