29 ロズリーの答え
オードリーは、モリスに伴われて書斎を出た。
伯爵は、彼女を自室へ戻すよう命じた。扉の前には人を置く。誰とも会わせない。手紙も出させない。必要なものがあれば、メイドを通す。
オードリーは異を唱えなかった。ただ、部屋を出る前に一度だけ、ウィリアムの方を見た。
ウィリアムは顔を上げたが、何も言わなかった。
扉が閉まる。
書斎に残ったのは、伯爵とウィリアム、それから記録を取るためのモリスだった。モリスはオードリーを送ったあと、すぐ戻ってきた。
「ロズリーを呼んでくれ」
伯爵が言うと、モリスは一礼した。
「かしこまりました」
「一人で来させる。誰も付き添わせるな」
「はい」
モリスが下がる。ウィリアムが椅子の上で身じろぎした。
「父上」
「何だ」
「ロズリーは今、かなり動揺しているはずです」
「そうだろうな」
「なら、もう少し」
「待たない」
伯爵は短く言った。
「これ以上待てば、また誰かが何かを教える」
ウィリアムは黙った。その誰かが自分だとわかっているのだろう。
やがて、廊下から足音が近づいた。軽い足音だった。途中で一度止まり、それからまた進む。
扉が叩かれる。
「入れ」
ロズリーが入ってきた。
淡い灰色の服を着ている。飾りはない。髪も簡単にまとめただけだった。両手を前で重ね、伯爵へ礼をする。
「お呼びでしょうか」
「ああ。座りなさい」
「はい」
ロズリーは椅子へ向かった。
ウィリアムの隣ではない。伯爵があらかじめ示した、少し離れた椅子だ。ロズリーは一瞬だけウィリアムの方を見たが、何も言わずにそこへ座った。
ウィリアムの手が膝の上で動く。伯爵はそれを見ていた。
「これから訊くことには、できるだけ正確に答えなさい」
「はい」
「わからないことは、わからないと言っていい。ただし、知っていることを知らないとは言わないように」
ロズリーはうなずいた。顔色は少し白い。
「まず、オードリーは君の母親か」
ロズリーの指が動いた。ほんの少し、膝の上の布をつまむ。
「はい」
声は小さかった。
ウィリアムが息を飲む音がした。伯爵はそちらを見ない。
「いつ知った」
「こちらへ来て、しばらくしてからです」
「誰に聞いた」
「奥様に」
「その時、君はどうした」
ロズリーは少し黙った。
「驚きました」
「それだけか」
「……泣きました」
「なぜ」
「母が、いないと思っていたので」
伯爵はモリスを見た。モリスのペンが紙をこする。
「オードリーが母親だと知ってから、君はなぜ黙っていた」
「奥様が、まだ言わない方がいいと」
「君もそう思ったのか」
「はい」
「なぜ」
ロズリーはウィリアムの方を見かけた。伯爵はすぐに言った。
「こちらを見なさい。答える相手は私だ」
視線を戻す。
「私が奥様の娘だとわかれば、この家に置いていただけなくなるかもしれないと思いました」
「誰がそう言った」
「奥様です」
「君自身もそう思った?」
「……はい」
伯爵は指を組んだ。
「では、この家に残るために、君は黙っていた」
ロズリーの唇が少し動いた。
「はい」
ウィリアムが身を乗り出しかける。
「ウィリアム」
伯爵は名前だけ呼ぶ。ウィリアムは椅子へ戻った。
「子爵家の事故について訊く」
ロズリーの手が、膝の上で止まった。
「事故の前日、君は外出しないように言われたか」
「はい」
「誰に」
「ミルナーに」
伯爵は、やはり、と思った。だが口には出さない。
「ミルナーとはどういう男だ」
「子爵家に時々来ていた人です。昔、母の実家にいたと聞きました」
「母の実家?」
伯爵はすぐに訊いた。
「その時点で、オードリーが母親だと知っていたのか」
ロズリーははっとしたように口を閉じた。
ウィリアムが顔を上げる。伯爵は待った。
「……いいえ」
「では今の『母の実家』とは何だ」
「後で、そう聞いたので」
「誰に」
「奥様に」
「いつ」
「この家に来てからです」
伯爵はモリスへ目を向けた。記録される。
「事故の前日に、ミルナーは君へ何と言った」
「明日は出かけない方がいいと」
「理由は」
「具合が悪いと言えばいい、と」
「君は本当に具合が悪かったのか」
ロズリーは、すぐには答えなかった。
「少し、気分は悪かったです」
「外出できないほどか」
「……いいえ」
ウィリアムの手が膝の上で握られた。伯爵は質問を続ける。
「なぜ言う通りにした」
「子爵家の方々と出かけたくありませんでした」
「処遇を決める話があったからか」
ロズリーの視線が少し上がる。
「ご存じなのですか?」
「答えなさい」
「……はい」
「君は、どこか別の家へやられるかもしれないと知っていた」
「はい」
「だから外出しなかった」
「はい」
「馬車が止まる予定だとは聞いていたか」
ロズリーは首を横に振った。
「聞いていません」
「本当に?」
「聞いていません」
「喪服が前日に用意されていたことは」
「知りませんでした」
「ミルナーが用意したことも」
「知りません」
「では、なぜウィリアムから喪服の件を聞いた時、日付のことまで気にした」
ロズリーの指が、膝の布をつかんだ。伯爵はその手を見ていた。
「ウィリアム様が、日付とおっしゃったので」
「日付という言葉だけで、何のことかわかったのか」
「……わかりませんでした」
「なら、なぜミルナーの名を聞いても驚かなかった」
ロズリーは口を閉じた。ウィリアムがたまらず言った。
「父上、責めるような」
「黙っていなさい」
伯爵はウィリアムを見ずに言った。
「ロズリー。答えなさい」
「ミルナーは、私に外出しないよう言った人だからです」
「事故の前日に」
「はい」
「なら、喪服とミルナーが並べば、事故の日のことだとわかったのではないか」
ロズリーは返事をしなかった。
モリスのペンが止まる。伯爵は言った。
「返答なし、と記録しろ」
ペンが動く。その音に、ロズリーの肩が少し動いた。
「馬車が事故に遭ったと聞いた時、どう思った」
「怖かったです」
「自分が乗っていれば死んでいたかもしれないから?」
「はい」
「ミルナーが外出しないよう言ったことを、その時思い出したか」
「……はい」
「オードリーには言ったか」
「この家に来てから、言いました」
「オードリーは何と」
「もう大丈夫だと」
「それだけか」
「私を守るためだった、と」
ウィリアムが顔を上げた。伯爵は目を細めた。
「何から守るためだと」
「子爵家から」
「事故からではなく?」
「……はい」
「君は、その時点で馬車に何かあったと考えなかったのか」
ロズリーは少しだけ首を振った。
「考えたくありませんでした」
伯爵はその答えを聞き、しばらく黙った。
――考えたくなかった。
それは、知らなかった、とは違う。
「では、マギーのことを訊く」
ロズリーの手がまた膝の上で重なる。
「居間の椅子は、もともとマギーが使っていたと知っていたか」
「はい」
「それでも使った」
「奥様が、使ってよいと」
「君はマギーへ訊いたか」
「……いいえ」
「青い布は」
「最初は、私のために用意されたものだと思いました」
「途中で、マギーが選んだ布だと知ったか」
ロズリーはすぐに答えなかった。
ウィリアムの手が動く。伯爵はそこへ視線だけ向けた。ウィリアムは口を閉じた。
「知ったか」
「仕立ての時に、メイドがそう言っていました」
「では知っていた」
「はい」
「返そうと思ったか」
「奥様が、マギー様にはほかにもあると」
伯爵は息を吐きそうになった。またその言葉だ。
「君自身はどう思った」
「綺麗な布だと思いました」
「返したくなかったのか」
ロズリーの指が、膝の布を細くつまんだ。
「……はい」
ウィリアムは顔を伏せる。伯爵は続けた。
「真珠のブローチは」
「……言われるまで、マギー様のものとは知りませんでした」
「マギーは返してほしいと言った」
「はい」
「なぜその場で外さなかった?」
「奥様が、今日のお茶会に必要だと」
「君自身は」
「外した方がいいと思いました」
「だが外さなかった」
「はい」
「なぜ」
ロズリーは少しだけ唇を噛んだ。
「外したら、私が悪いことをしたみたいになると思いました」
伯爵は、今度こそ目を閉じかけた。だが、閉じなかった。
「悪いことをしたみたいになるのが嫌だったから、マギーの母の形見をつけたままにした」
ロズリーは答えなかった。
「記録しろ」
モリスが書く。ウィリアムが低く言った。
「ロズリーは、そんな意味で」
「ウィリアム」
伯爵の声が落ちた。
「次に口を挟んだら、この部屋から出す」
ウィリアムは黙った。伯爵はロズリーへ戻る。
「君は、マギーが家を出た理由をどう考えている」
「私のせいだと思いました」
「それをウィリアムへ言ったな」
「はい」
「なぜ」
「本当に、そう思ったので」
「なら、マギーへ返すべきものを返そうとは思わなかったのか」
「返そうとしました」
「いつ」
「茶会のあとです」
「ブローチをロズリーの箱へしまった」
「奥様が、今はそこへと」
「マギーの小箱ではなく」
「はい」
「なぜ疑問に思わなかった」
「奥様のご指示でしたから」
同じ言葉が続く。奥様が。奥様が。奥様が。
伯爵は、ロズリーを見た。
確かに、この娘はオードリーに従っている。だが従っているだけではない。少なくとも、青い布を返したくなかったと認めた。ブローチを外したら自分が悪いことをしたようになるから外さなかったと認めた。
ウィリアムの見ていた、何も知らない可哀想な娘ではない。
いや、可哀想ではあったのだろう。だが、それだけではない。
「最後に訊く」
伯爵は言った。
「君は、ウィリアムとの婚姻を望んでいたか」
ウィリアムが息を止める。ロズリーは、初めてはっきり顔を上げた。
「私が望んではいけませんか?」
部屋の空気が、少し変わった。ウィリアムがロズリーを見る。
伯爵は動かない。
「答えなさい。望んでいたか」
「はい」
「いつから」
「はっきりと考えたのは、最近です」
「なぜ」
「ウィリアム様は、私を守ると言ってくださいました」
ウィリアムの顔が揺れた。
「それに、私がこの家にいれば、母とも一緒にいられます」
「そのために、マギーが居づらくなっても?」
ロズリーは目を伏せた。
「マギー様は、この家の娘です」
「だから?」
「私より、ずっと多くのものを持っていらっしゃいます」
伯爵は机の上の指を止めた。ウィリアムは、もう何も言わなかった。
「それを、誰に言われた」
「誰に、というより」
「君自身もそう思っていたのか」
ロズリーは少しだけ黙った。
「はい」
モリスのペンが動く。伯爵は深く息を吐いた。
「そうか」
短く言う。ロズリーは椅子の上で、背を少し丸めた。
「私は、ただ居場所がほしかっただけです」
その声は小さかった。
「ロズリー」
ウィリアムが思わず名前を呼ぶ。伯爵は目だけで止めた。
「居場所がほしかった」
伯爵は繰り返した。
「そのために、マギーの居場所を使った」
「そんなつもりでは」
「つもりの話はもういい」
伯爵は立ち上がった。
「ロズリー。君はこのまま部屋へ戻りなさい。以後、私の許可なく部屋を出てはいけない。オードリーとも会わせない。ウィリアムともだ」
ロズリーの顔が、初めてはっきり動いた。
「ウィリアム様とも?」
「ああ」
「なぜですか」
「君の答えを、これ以上誰かの言葉で変えさせないためだ」
「私は」
「部屋へ戻りなさい」
ロズリーはウィリアムを見た。
ウィリアムは椅子に座ったまま、何も言わなかった。言えなかったのかもしれない。
ロズリーは立ち上がり、礼をした。
「失礼いたします」
モリスが扉を開ける。ロズリーは出ていった。
扉が閉まる。書斎には、伯爵とウィリアムとモリスが残った。
しばらく誰も話さなかった。
やがてウィリアムが、低く言った。
「ロズリーは、嘘をついていたのですか」
伯爵は椅子へ戻った。
「すべてではないだろう」
「では」
「だが、都合の悪いことを言わなかった。見たくないものを見なかった。自分が欲しいものは、欲しいと思った」
ウィリアムは膝の上の手を見ていた。
「それは」
「お前と似ている」
ウィリアムは顔を上げた。伯爵は、そこから目を逸らさなかった。
「私にも似ている」
今度は、ウィリアムが何も言えなくなった。




