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母の形見を奪われたので、家を出ます~奪った庶子は、義母の娘でした  作者: さんけい


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28/58

28 「殺すつもりではありませんでした」

「馬車を止めるために、何をさせた」

「車輪が途中で外れるように」


 声は、かすかに低くなった。


「道の悪い場所で馬車が動けなくなれば、予定は潰れます。ロズリーを連れていく話も、いったん流れるはずでした」

「車輪が外れれば、人が怪我をするとは思わなかったのか」

「だから、坂の前で止まるようにと」

「実際には、坂で外れた」

「……そこまでは」

「橋の手前だ」


 伯爵の声が、自分でも少し荒くなった。


「雨の後の道で、坂を下り、橋の手前で車輪が外れた。馬車は横転し、三人が死んだ」


 オードリーは膝の上の指を見ていた。


「殺すつもりではありませんでした」


 とうとう、その言葉が出た。

 伯爵は立ち上がった。椅子が後ろで鈍い音を立てる。


「殺すつもりではなかった?」

「はい」

「では、怪我ならよかったのか」

「そういう意味では」

「馬車を壊し、外出を妨げ、人を脅かす。けれど死なせるつもりではなかったから、そこまでは罪ではないと?」

「罪ではないとは言っていません」

「なら何だ」


 オードリーは顔を上げた。目元は赤くなっていない。涙もない。


「私は、ロズリーを取り戻したかったのです」


 伯爵は机に手をついた。


「そのために、ほかの家族を壊したのか」

「子爵家は、私から先に奪いました」

「それを、マギーに言えるか」


 オードリーの口が止まった。


「マギーに言えるかと訊いている。君が子爵家を恨むのはわかる。ロズリーを取り戻したかったのもわかる。だがその後、君は私の家へその娘を入れた。マギーの椅子を、布を、母の形見を、少しずつロズリーへ渡した」

「私は」

「《《分け合えばいい》》と思っていた、だったな」


 伯爵は遮った。

 オードリーは黙った。


「君の娘を救うために、私の娘が差し出される。君はそれを《《分け合う》》と言った」

「マギーを傷つけるつもりはありませんでした」

「その言葉はもういい」


 伯爵は短く言った。


「つもりがなければ、傷はなかったことになるのか」


 オードリーは返事をしなかった。

 扉の外から、足音が近づく。モリスだ。

 伯爵は入れ、と言った。扉が開く。

 モリスの後ろにはウィリアムはいない。


「ウィリアムは」

「お部屋に。扉の前に人を置きました」

「ロズリーは」

「お部屋にいらっしゃいます。こちらも扉の前に」

「よろしい」


 伯爵は机の上の帳面を閉じた。


「モリス。これから言うことを記録しろ」


 モリスは一度だけオードリーを見、書斎の端にある小机へ向かった。紙とペンを用意する。

 オードリーは動かなかった。


「旦那様」


 モリスがペンを取る。


「始めてください」


 伯爵はオードリーを見た。


「ミルナーに命じた内容を、もう一度言いなさい」


 オードリーはゆっくり息を吸った。


「馬車を止めるように、と」

「どの馬車か」

「子爵夫妻と嫡男が乗る馬車です」

「ロズリーは乗らないようにした」

「はい」

「誰がロズリーへ伝えた」

「ミルナーです」

「喪服は誰が用意させた」


 オードリーの返事は、少し遅れた。


「私です」


 モリスのペンが紙をこする音だけがした。


「なぜ事故の前日に用意した」

「万が一のために」

「万が一とは」

「……子爵家で騒ぎになった時に、ロズリーが困らないよう」

「死ぬとは思っていなかったのに、喪服を用意した」


 オードリーは黙る。


「続けろ、モリス。返答なし、と」


 モリスが書く。その音で、オードリーの手がわずかに動いた。


「では、質問を変える。馬車が壊れた後、子爵夫妻と嫡男が亡くなったと知った時、君はどうした」

「ミルナーから知らせを受けました」

「いつ」

「事故の翌朝です」

「その時点で、ロズリーをこの家へ入れる手配を始めたのか」

「いいえ。子爵家から正式な知らせが来るのを待ちました」

「その前に、当家へ預ける話を誰かへ通していたか」

「ミルナーに、子爵家の家令へ話をつなぐように」

「文書の草案は」


 オードリーは答えなかった。

 伯爵はモリスへ目を向ける。


「返答なし」


 ペンが動く。オードリーはそこで、初めて少しだけ目を閉じた。が、すぐに開けた。


「文面の一部は、私が考えました」

「亡き子爵家と縁のあるバーレイ家」

「はい」

「その縁とは、君か」

「はい」

「つまり、ロズリーの実母である君がこの家にいることを指していた」

「はい」


 伯爵は息を吐いた。


 ――縁のあるバーレイ家。


 何と都合のよい言葉だったのか。血縁ではない。だが無関係でもない。

 読み手には、子爵家とバーレイ家の遠い親戚関係に見える。実際には、伯爵夫人がロズリーの実母だった。

 伯爵は書斎の窓へ目をやった。外はもう暮れ始めている。庭の木が黒く見える。


「ロズリーは、子爵家の事故が仕組まれたものだと知っているか」

「知りません」


 今度も早かった。


「本当に」

「知りません」

「では、ミルナーが喪服を用意したことは」

「知りません」

「馬車を止める話は」

「知りません」

「君が実母であることは知っている」

「はい」

「マギーの物をロズリーへ与えていたことは、どう説明した」

「説明はしていません。必要ありませんでした」

「ロズリーは尋ねなかったのか」

「『奥様がくださったもの』だと思っていたでしょう」


 伯爵はその言い方に引っかかった。


 ――奥様がくださったもの。


 ロズリーから見れば、伯爵家の女主人が与えたものだ。たとえそれがマギーのものでも、オードリーが渡せば正当に見える。


「ロズリーは、ブローチがマギーの母の形見だと知っていたか」

「マギーが言ったので」

「それまでは」

「知らなかったと思います」

「思います?」

「私からは言っていません」


 伯爵は、そこも記録させた。どこまでも娘を庇う言い方だ。

 だが、ロズリーが何を知っていたかは、まだロズリーに聞くしかない。

 その時、廊下が少し騒がしくなった。声は抑えられている。だが、誰かが急いでいる。

 伯爵が扉を見ると、従僕が軽く叩いた。


「旦那様」

「何だ」

「ウィリアム様が、ロズリー様のお部屋へ向かわれました。モリス様の代わりに立っていた者が止めております」


 伯爵は思わず目を伏せそうになる――が、そうはしなかった。


「連れてこい」

「ウィリアム様を、でございますか」

「そうだ」


 従僕が下がる。伯爵はオードリーを見た。


「君はここにいなさい」

「はい」

「ロズリーへは、まだ会わせない」

「……はい」


 少しだけ返事が遅れた。伯爵はそれに気付く。

 そして、自分が今までどれほど多くの遅れや間を聞き逃してきたかを、もう一度思い知った。

 やがて扉が開き、ウィリアムが入ってきた。

 顔は赤く、目はまっすぐオードリーへ向いている。従僕二人が後ろに控えていた。


「父上」

「命令を破ったな」

「ロズリーに確認する必要があります」

「誰が決めた」

「私です」

「お前にその権限はない」


 ウィリアムは息を吸う。だが、伯爵は先に言った。


「ロズリーを守りたいなら、黙っていろ」


 その言葉に、ウィリアムが止まった。


「……どういう意味ですか」

「今、お前がロズリーに会えば、ロズリーが何を知っていたか、何を知らなかったか、すべて混ざってしまう。お前は庇うつもりで言葉を与える。そうすれば、ロズリー自身の答えが見えなくなる」

「私はそんな!」

「お前はそれを、昨日やった」


 ウィリアムは黙る。伯爵は続けた。


「喪服と日付とミルナーのことを、お前はロズリーに漏らした」

「それは」

「今度は何を言うつもりだった?」


 ウィリアムは答えられなかった。

 答えがないのではない。自分でも、何を言うつもりだったか決めていなかったのだろう。

 伯爵は椅子を指した。


「座れ」

「父上」

「座れ! 聞きたければ、ここで聞け。ただし口を挟むな」


 ウィリアムはオードリーを見た。

 オードリーは黙っている。そこに縋るような言葉はない。ウィリアムを止める言葉も、庇う言葉もない。

 それが、ウィリアムにはさらに堪えたようだった。

 彼は椅子に座った。伯爵はモリスへ向いた。


「記録を続けろ」


 モリスがうなずく。伯爵はオードリーへ戻った。


「次にロズリーへ確認する。君が母親だと知った時期。事故について知っていること。ミルナーとの関わり。マギーの物について」

「はい」

「君は同席してはならない」


 オードリーの手が止まった。


「なぜです」

「母親だからだ」


 短く返した。


「ロズリーが君の前で、本当のことを言えるかどうかわからない」

「ロズリーは私の娘です」

()()()だ」


 オードリーは初めて、返事をしなかった。

 ウィリアムが椅子の上で身じろぎした。だが、口は開かなかった。

 伯爵は机の引き出しに手を置く。中には、真珠のブローチと洗礼記録の写しが入っている。

 その二つを、今は自分が預かっている。


 ――遅すぎる。


 だが、これ以上遅らせるわけにはいかなかった。


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