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母の形見を奪われたので、家を出ます~奪った庶子は、義母の娘でした  作者: さんけい


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25/58

25 手紙を受け取った伯爵

 サミュエルからの手紙は、昼前に届いた。


 届けたのは大学の使いだった。ヘインズ商会の者が途中まで付き添っていたらしく、使いは玄関先でモリスへ封書を渡すと、返事を待つと言った。


「旦那様へ、直接お渡しするようにとのことです」


 モリスは封を見た。

 宛名はバーレイ伯爵。サミュエルの字だ。外封は普通の挨拶状に見える。だが、封蝋が二重になっていた。


「お待ちください」


 モリスは使いを控え室へ通させ、自分で書斎へ向かった。

 伯爵は鍵台帳を開いたままだった。

 昨夜から、何度も同じ場所を見ている。亡き妻の部屋。マギーの部屋。オードリーの管理箱。予備鍵。台帳の字は、見るほどにただの字ではなくなっていく。

 そこへモリスが封書を差し出した。


「サミュエル様より。大学の使いが返事を待っております」

「大学の?」

「はい。ヘインズ商会の者が途中まで付き添っていたと」


 伯爵は封を受け取った。

 その時点で、軽い知らせではないとわかった。


「ウィリアムは」

「お部屋に。先ほど従僕が確認しております」

「ロズリーは」

「お部屋にいらっしゃいます。奥様は午前のお手紙をお書きになっているとのことです」

「そうか」


 伯爵は封を切った。

 外側の手紙には、短い挨拶と、昨日の礼が書かれていた。中身はそれだけではない。二重に折られた紙の奥に、もう一通、薄い写しが入っている。

 伯爵は先にサミュエルの文を読んだ。


 ――父上。

 ――ロズリー嬢の洗礼記録を確認しました。

 ――母親の名は、オードリー・ラングレー。

 ――同封の写しをご確認ください。

 ――この件は、父上お一人で扱ってください。

 ――兄上には、まだ見せないでください。

 ――屋敷内で不用意に名が出れば、証拠が動く恐れがあります。


 伯爵はその行で止まった。


 ――オードリー・ラングレー。


 嫁ぐ前の、オードリーの名。

 手紙を置き、同封の写しを広げる。教会の印がある。洗礼記録。子の名。父の名。母の名。


 ――ロズリー。

 ――父は子爵家の男。

 ――母は、オードリー・ラングレー。


 伯爵はしばらく紙を見ていた。

 文字は逃げない。読み間違いでもない。薄い紙の上に、きちんと書かれている。

 オードリーの娘。ロズリーは、オードリーの娘だった。

 伯爵は椅子に座った。

 座ったつもりだったが、少し遅れて椅子の背に当たった。手に持った写しがかすかに鳴る。


「旦那様」


 モリスが一歩近づいた。


「大丈夫だ」


 そう答えた声は、自分でもあまり大丈夫には聞こえなかった。

 伯爵はもう一度、写しを読んだ。

 あの春の雨の日。玄関広間に立っていたロズリー。その少し後ろにいたオードリー。

 母を亡くした娘は心細いでしょう、と言った声。

 《《母を亡くした》》。

 伯爵は、写しを机に置いた。


「モリス」

「はい」

「ラングレー男爵家と、子爵家の間の支払い記録を探せるか」

「当家に残っているものでは、難しいかと」

「では、出入りの商人、布屋、薬種商、誰でもいい。ラングレー家へ長く出入りしている者を探せ」

「かしこまりました」

「それから、ミルナーという男について」


 モリスの顔が少し動いた。


「ミルナーでございますか」

「知っているのか」

「昔、ラングレー男爵家から使いで来ていた者です。右頬に傷のある、痩せた男でございました」


 伯爵は机の端を押さえた。


「今、どこにいる」

「存じません。数年前にラングレー家を離れたと聞いております。ただ、完全に縁が切れていたかどうかまでは」

「探せ」

「はい」

「ただし、表立って探すな。オードリーにも、ロズリーにも、ウィリアムにも聞こえないように」

「かしこまりました」


 モリスは深く頭を下げる。伯爵は写しを畳まずに見た。


「モリス。この名を見てくれ」


 家令は机の横へ来て、伯爵が指した行を読む。

 長い沈黙はなかった。ただ、モリスの手が一度だけ袖口へ触れた。


「……奥様の、嫁がれる前のお名です」

「ああ」

「ロズリー様は」

「オードリーの娘らしい」


 声にすると、さらに重くなった。

 伯爵は椅子に背を預ける。


「――私は知らなかった」


 モリスは答えなかった。

 知らなかったのですね、とも、そうでございましょうとも言わない。

 それがかえって、伯爵には堪えた。


「ウィリアムには見せるな」

「はい」

「この写しは、私の手元に置く。サミュエルへは受け取ったとだけ返す」

「すぐにご用意いたします」

「いや、私が書く」


 伯爵は便箋を取り、ペンを持つ。だが、最初の一文で止まった。

 受け取った。確認した。

 どう書けばいい。

 オードリーの娘だとわかった、と書くわけにはいかない。そんなことは、サミュエルも知っている。今必要なのは、屋敷の中でどう動くかだ。

 伯爵は短く書いた。


 ――受け取った。

 ――写しは私が預かる。

 ――ウィリアムには見せない。

 ――ミルナーを探す。

 ――屋敷内の鍵と書類は引き続き私が確認する。


 そこで一度止まる。

 それから、もう一行足した。


 ――マギーには、食事を取るよう伝えてくれ。


 書いてから、しばらくその行を見た。

 変な一文だ。

 だが、消さなかった。


「これを大学の使いへ」

「はい」


 モリスが封を受け取る。

 出ていく前に、伯爵は呼び止めた。


「それから、オードリーを呼んでくれ」


 モリスは一瞬だけ顔を上げた。


「よろしいので?」

「喪服のことも、洗礼記録のことも言わない。亡き妻の部屋のことだけだ」

「かしこまりました」


 モリスが下がる。

 伯爵は写しを鍵のかかる引き出しへ入れ、鍵をかける。

 その音が、部屋に小さく響いた。


 *


 オードリーは、すぐにやって来た。

 淡い菫色の室内着だった。飾りは少ない。いつものように、きちんとしている。扉の前で一礼し、伯爵が座るように示すまで立っていた。


「お呼びでしょうか」

「ああ」


 伯爵は机の上に、鍵台帳を置いたままにしていた。写しはない。サミュエルの手紙もない。


「亡き妻の部屋を、しばらく閉じる」


 オードリーは台帳を見、それから伯爵を見る。


「モリスから聞きました。マギーの部屋も、と」

「ああ」

「理由を伺っても?」

「マギーが、自分のものを勝手に動かされたと訴えている」


 オードリーは少し黙った。指先が膝の上で重なる。


「そうですか」

「小箱に入れていたはずのものが、別の場所から出てきたとも言っている」

「マギーは、少し思い込みの強いところがあります」


 伯爵は返事をしなかった。

 その言葉を、昨日までならそのまま受け取っていたかもしれない。


「そうかもしれない」


 伯爵は言った。


「だから確認する」

「確認」

「ああ。思い込みかどうかを」


 オードリーは一度、視線を伏せた。


「もちろんです。必要なものがあれば、お出しします」

「亡き妻の部屋を整理した記録を出してくれ」


 今度は、少しだけ間が空いた。


「記録、ですか」

「モリスは、君が控えているはずだと言っていた」

「ええ。簡単なものですが」

「それでいい」

「今すぐに?」

「今すぐに」


 オードリーはうなずいた。


「わかりました。部屋に戻って持ってまいります」

「一人で行かなくていい。モリスをつける」


 オードリーの手が、膝の上で止まった。ほんの少しだった。


「私が何か隠すと?」

「記録を確実に持ってきてもらうためだ」


 伯爵は同じ調子で返す。

 オードリーは伯爵を見た。長くはない。すぐに、静かに頭を下げた。


「承知しました」


 扉の外で待っていたモリスを呼び、オードリーは部屋を出る。

 伯爵は二人の足音が遠ざかるのを聞いた。

 すぐに従僕を呼ぶ。


「ウィリアムは」

「お部屋に。先ほどから出ておられません」

「ロズリーは」

「眠っておいでと、扉越しに」

「扉越しに?」

「はい。お声はありました」

「そのまま見ていろ」

「はい」


 従僕が下がる。

 伯爵は机の上の鍵台帳を閉じた。

 オードリーは何も乱す様子はない。言葉も、声も、手順も。

 だからこそ、伯爵の中で、別のものが少しずつ積もりつつあった。


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