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母の形見を奪われたので、家を出ます~奪った庶子は、義母の娘でした  作者: さんけい


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19/58

19 ウィリアムは言ってしまう

 ロズリーは小さく礼をしただけで、その場から動かない。


「すみません。お部屋へ戻ろうと思ったのですが、廊下でお声が聞こえて」

「声?」

「いいえ、はっきり聞いたわけではありません。ただ、旦那様のお声が少し」


 そこでロズリーは言葉を切った。ハンカチの端を、指がつまんでいる。


「私、何かしてしまったのでしょうか」

「君が?」

「はい」

「何もしていない」


 ウィリアムはすぐに答える。ロズリーは顔を上げ、それからまた目を伏せる。


「でも、マギー様はお帰りにならなかったのですよね」

「今日は、だ」

「今日は」

「ああ。サミュエルが、少し休ませたいと」

「そうですか」


 ロズリーはハンカチを握り直した。白い布に皺が寄る。


「マギー様は、私のことを何かおっしゃっていましたか」


 ウィリアムは返事に詰まった。


 ――言うな。


 父の声が残っている。

 しかしロズリーは責めるように訊いているのではない。ただ、自分が原因かもしれないと怯えている。そう見えた。


「君を責めていたわけではない」

「本当に?」

「本当だ」


 それは、少し違う。マギーはロズリーを責めるより先に、自分たちを責めていた。

 いや、責めてさえいなかった。ただ、事実を一つずつ並べていた。

 居間の椅子。青い布。ブローチ。鍵。

 それがかえって、ウィリアムには言いづらい。


「でも、私が来てから、マギー様はつらかったのですよね?」

「それは」

「奥様も、とても心配なさっていました。マギー様が戻らないのは、自分のせいかもしれないと」

「オードリー様は悪くない!」


 ウィリアムは言った。今度は少し強くなった。


「父上も、今は少し混乱しているだけだ」

「旦那様が?」

「そうだ。サミュエルが妙に大げさにしている。マギーも、いろいろ思い詰めていたらしいから」

「大げさ」


 ロズリーは小さく繰り返す。

 ウィリアムはそこで、言葉を止めるべきだった。

 止めるつもりだった。

 けれどロズリーは、困ったように首を振った。


「私、どうすればよかったのでしょう。ブローチも、布も、知らなかったとはいえ、いただくべきではなかったのですね。奥様が選んでくださったから、うれしくて……でも、それで奥様まで疑われるようなことになったら」

「そんなことにはさせない」


 ロズリーは口を閉じる。


「喪服の件も、鍵の件も、きっと何かの間違いだ。君もオードリー様も、何も悪くない」


 言ってから、はっと息が止まった。

 ロズリーの指も止まっていた。ハンカチを握ったまま、白い布だけがさらに皺を増やしている。


「喪服……?」


 聞き返す声は、とても小さかった。ウィリアムは失敗したと思った。


「いや」

「私の喪服のことですか」

「ロズリー」

「何か、おかしかったのでしょうか」

「違う。まだ何も」

「何も」

「ただ、王都で少し確認しただけだ。君がこの家に来た時の喪服が、急ぎで用意されたものだったらしい。それで、サミュエルたちが妙なところに引っかかっている」


 ロズリーは黙っていた。その沈黙がウィリアムを不安にさせる。


「本当に、大したことではない。事故の後なら急ぎで喪服を用意するのは当たり前だ。日付だって、きっと店の記録違いだろう」

「日付」


 ロズリーの声は、今度はさらに細かった。

 ウィリアムは口を閉じる。また余計なことを言ってしまった。

 その時、廊下の端で、誰かが動く気配がした。振り返ると、若い従僕が花瓶の水を替えるふりで立っていた。目が合うと、すぐに頭を下げる。


 ――父が見張らせたのだ。


 ウィリアムの腹の奥で、かっと熱くなる。


「下がれ」

「はい」


 従僕は水差しを持って下がった。足音は決して速すぎはしない。

 だが、急いでいるのはわかった。父へ知らせに行くのだろう。

 ウィリアムは舌打ちしかけ、ロズリーの前だと思い出してやめた。


「ロズリー、今の話は」

「聞かなかったことにします」


 ロズリーが言った。早かった。ウィリアムは少し驚く。

 彼女はハンカチを胸元に寄せ、小さく首を振る。


「私、何も知りません。ウィリアム様を困らせるつもりはありませんでした」

「困ってはいない」

「いいえ。私が訊いたから、ウィリアム様は」

「君は悪くない」


 また同じ言葉を吐いてしまう。

 ロズリーはそれに返事をしなかった。ただ、手元のハンカチを見ている。


「お部屋へ戻ります」

「ああ。休むといい」

「はい」


 ロズリーは礼をし、それから、歩き出す。

 自室の方へ向かう廊下を曲がる手前で、一度だけ足を止めた。振り返りはしなかった。ハンカチを握る手だけが、わずかに持ち上がった。


「ウィリアム様」

「何だ」

「マギー様は、私の喪服の袖のことまで覚えていらしたのですね」


 ウィリアムは返事ができなかった。


「私、そこまで見られていたなんて、少し怖いです」


 そう言って、ロズリーは角を曲がる。廊下には、ウィリアムだけが残った。

 今の言葉に、何か引っかかった。


 ――怖い。


 マギーがロズリーを見ていたことを、怖いと言った。

 だが、マギーはただ覚えていただけだ。袖が合っていなかったことを。喪服が急ごしらえだったことを。

 それを、怖いと言うのか。

 考えかけたところで、書斎の扉が開く。父が立っていた。従僕が、その後ろにいる。


「ウィリアム」


 伯爵の声は低かった。


「何を話した」


 ウィリアムは父を見た。隠せるとは思えなかった。

 だが、素直に言うのも癪だった。


「マギーが無事だったことを」

「それだけか」

「……喪服の話を少し」


 父の目が、はっきり変わった。


「言うなと言ったはずだ」

「ロズリーが不安がっていたので」

「言うなと言った」

「ですが父上、彼女にも関係が」

「お前が決めることではない」


 伯爵は廊下へ出てきた。

 ウィリアムは一歩も下がらなかった。下がれば負ける気がした。


「父上はロズリーを疑いすぎです」

「今、私が疑っているのは、お前だ」


 ウィリアムは言葉を失った。


「私を?」

「命令を守れない。話してよいことと悪いことの区別がつかない。しかもそれを、ロズリーが不安がっていたからと言う」

「実際に不安がっていました」

「だから何だ?」


 伯爵の声は荒くはない。だが、ウィリアムはそこで初めて、父が本気で怒っていることを知った。


「不安がっている者がいれば、何でも話すのか。マギーが不安だった時、お前は話を聞いたか」

「それとこれは」

「同じ家の中で起きていると言ったはずだ」


 父は従僕へ言う。


「ロズリーの部屋の前に人を置け。中へ入るな。誰かが出入りしたら、すぐ知らせろ」

「かしこまりました」

「それから、オードリーには私が話す。誰も先に伝えるな」


 従僕が去る。

 ウィリアムはそこでやっと、父が何を警戒しているのか気づいた。


「ロズリーがオードリー様に話すと?」

「話すかもしれない」

「彼女は聞かなかったことにすると言いました」

「お前は言わないと言ったな?」


 その言葉に、ウィリアムは何も返せなかった。

 父はそれを待たずに続ける。


「書斎へ戻れ」

「父上」

「戻れ。今夜は私の許可なく、ロズリーにもオードリーにも会うな」

「それは」

「命令だ」


 ウィリアムは、今度こそ返事が遅れた。

 父は待っている。

 廊下の奥で、使用人の足音が止まっている。誰もこちらへ来ない。屋敷全体が、息をひそめているようだった。


「……はい」


 ようやく答える。

 伯爵は扉を開けた。ウィリアムは書斎へ戻る。

 入る直前、ロズリーが消えた廊下の角を一度だけ見た。

 そこにはもう誰もいない。

 ただ、白いハンカチの皺だけが、妙に目に残っていた。


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