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母の形見を奪われたので、家を出ます~奪った庶子は、義母の娘でした  作者: さんけい


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17/58

17 伯爵たちの帰還、そして鍵束

 帰りの馬車で、ウィリアムはほとんど口をきかなかった。


 王都の通りを抜ける間も、郊外へ出てからも、窓の外を見ている。馬車の揺れに合わせて、膝の上の手がわずかに動く。

 伯爵も黙っていた。話せば、おそらくまたぶつかる。

 それでも、町を出てしばらくしたところで、ウィリアムが言った。


「父上は、オードリー様を疑っているのですか」


 伯爵はすぐには答えなかった。車輪の音が続く。


「疑いたくはない」

「では」

「疑いたくないことと、確認しないことは違う」


 ウィリアムは黙った。その横顔は、まだ納得していない。


「ロズリーは何も知りません」

「それも、確認してからだ」

「父上」

「ウィリアム」


 伯爵は息子の方を見た。


「お前はロズリーに寄りすぎている」


 ウィリアムの顔がこちらを向いた。


「何ですか、それは」

「ロズリーを見ているようで、たぶん見ていない」

「意味がわかりません」

「……私にもまだ、うまく言えない」


 伯爵はそう言って、窓の外へ視線を戻した。

 畑が続いている。春の終わりにロズリーが来た時も、こんな色だっただろうか。

 雨だったことは覚えている。玄関広間の濡れた靴跡。マギーの話で、ようやく思い出した。

 ロズリーの袖口は、覚えていない。だがマギーは覚えていた。

 それはたぶん、マギーだけがロズリーをきちんと見ていたからだ。

 《《可哀想な娘として》》ではなく、自分の家に入ってきた《《一人の娘》》として。


「屋敷に着いたら、まず書類を確認する」


 伯爵は言った。


「事故の知らせ、王家からの通知、ロズリーを預かることになった経緯。それから鍵だ」

「母上に訊くのですか」

「訊く」

「喪服のことも?」


 伯爵は少し黙った。


「まだだ」

「なぜです」

「先に書類を見る」

「それではまるで、隠し事のようです」

「そうだ」


 ウィリアムは言葉を失う。伯爵は淡々と続けた。


「今は隠して進める。正面から訊けば、答えを用意されるかもしれない」

「父上、本気で」

「本気で、そうしなければならなくなった」


 ウィリアムは何も言わなかった。馬車の中に、車輪の音だけが残る。


 やがて屋敷の門が見えた。御者が速度を落とす。

 玄関前には、オードリーが立っていた。その少し後ろにロズリーもいる。

 二人ともこちらを待っていたらしい。オードリーは外套を羽織り、ロズリーは朝と同じショールを肩に掛けていた。

 ウィリアムが身を乗り出す。伯爵はその腕を押さえた。


「余計なことを言うな」

「父上」

「今は、マギーは無事だった。それだけでいい」


 馬車が止まり、扉が開く。オードリーが一歩近づいた。


「あなた。マギーは」


 声は乱れていない。いつも通りだった。

 伯爵は馬車を降りながら答えた。


「無事だ。サミュエルの友人宅にいる」

「戻らないのですか」

「今日は戻らない」


 オードリーは一度だけ、手袋の指を重ねた。

 ロズリーは後ろで、口元に手を当てた。


「そう、ですか」


 オードリーが言った。


「では、話はできたのですね」

「ああ」

「マギーは、何と」


 伯爵は少しだけ間を置いた。


「疲れていた」


 それだけ言う。

 オードリーは彼を見た。何かを待っているようにも見えた。

 けれど伯爵は続けなかった。


「まず着替える。ウィリアムも休ませる。話はあとだ」

「はい」


 オードリーは引いた。

 ロズリーが小さく頭を下げる。


「マギー様がご無事で、よかったです」

「ああ」


 ウィリアムが答えかける。伯爵はその前に、屋敷の中へ入った。

 玄関広間の床は乾いていた。春の終わりの日のような、濡れた靴跡はない。

 だが伯爵の目には、なぜかそれがあるように見えた。


 *


 書斎へ入ると、伯爵はまず外套を脱いだ。

 椅子に座る前に、机の上を見た。昨日までそこにあったサミュエルの手紙は、端へ寄せられている。代わりに、屋敷の用件を書いた小さな札が数枚置かれていた。

 オードリーの字だ。

 客人への礼状。来週の食材の注文。ロズリーの医師への相談。マギーの不在について、使用人へどう伝えるか。

 家はいつも通り動いている。

 だが、そのいつも通りが今の伯爵には少し怖かった。


「モリスを呼んでくれ」


 扉の外に控えていた従僕にそう命じると、ほどなく家令が来た。

 モリスはこの家に長い。先代伯爵の頃からいる男で、年齢のせいで動きは少し遅くなったが、屋敷のことなら誰より知っている。


「お呼びでしょうか」

「ああ。子爵家の事故に関する書類を持ってきなさい。事故の知らせ、王家預かりの通知、ロズリーを当家で預かることになった文書。全部だ」


 少しだけ、モリスの返事が遅れる。


「すべて、でございますか」

「すべてだ」

「かしこまりました」


 家令は下がろうとしたが、伯爵は呼び止めた。


「それと、屋敷の鍵束も」

「鍵束――でございますか」

「今、誰が何を持っているかも確認する」

「奥様がお持ちのものも、でございますね」


 伯爵はモリスを見た。

 家令はただ確認しただけだった。声に妙な色はない。だが、伯爵はそこでまた一つ、自分が知らない場所へ足を踏み入れたような気がした。


「そうだ」

「では、鍵台帳もお持ちいたします」


 モリスが退室すると、伯爵は椅子に座った。

 机の上の札を一枚取る。

 ロズリーの医師への相談。内容は、よく眠れていないようなので薬湯を、というものだった。オードリーらしい細やかさだ。ロズリーが眠れていない。たしかにそうかもしれない。


 ――だが、マギーが眠れていたかどうかを、自分は最近訊いただろうか?


 伯爵は札を戻す。少しして、ウィリアムが入ってきた。


「父上。これから何をなさるのですか」

「書類を見る」

「オードリー様には」

「まだ言わない」

「オードリー様は家のことを管理しています。鍵のことなら、そちらに訊くのが早いでしょう」

「早いだろうな」


 伯爵は机の上で指を組んだ。


「《《だから》》、今は訊かない」


 ウィリアムは納得していない。王都から戻る馬車の中から、ずっとそのままだ。

 黙ってはいるが、頭の中では《《別の理屈》》を組み立てているのがわかる。


「ロズリーは不安がっています」

「そうだろう」

「話してやるべきでは」

「何を」

「マギーが無事だったこと。それから、こちらが調べていることを」

「無事だったことだけでいい」

「ですが」

「それ以上は言うな」


 伯爵は息子を見た。


「これは命令だ」


 ウィリアムは唇をぐっと引き結ぶ。

 そこへ、モリスが戻ってきた。両手に革紐でまとめた書類束を抱え、後ろに従僕が小さな木箱を持っている。

 木箱には鍵がいくつも入っていた。金属同士が触れ、低く鳴る。


「こちらが、子爵家の件に関するものです。急ぎでまとめましたので、順番は受け取った日付順にしてございます」

「助かる」


 伯爵は書類束を受け取った。

 最初の一通は、事故の知らせだった。

 差出人は、子爵家の家令。日付は事故の翌日。内容は短い。


 ――子爵夫妻と嫡男が馬車事故により亡くなったこと。ロズリーは体調不良のため外出せず、無事であること。屋敷が混乱しているため、本家筋へ助力を願いたいこと。


 伯爵は読み終えて、次の書面へ移った。次は王家からの通達だった。


 ――爵位は当面王家預かりとする。遺された庶子ロズリーについては、血縁および近い縁戚が協議し、適切な保護者を定めること。


 ここまでは、おかしくない。いや、おかしくない()()()()()()

 伯爵は三通目を開いた。

 ロズリーを一時的にバーレイ伯爵家で預かることについての書面だった。子爵家側からの依頼書。

 そこには、ロズリー本人の精神的安定のため、亡き子爵家と()()()()バーレイ家での滞在を望む、とある。


「縁がある?」


 伯爵は思わずつぶやいた。


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