12 サミュエルからの返事に父とウィリアムは
サミュエルからの手紙は、その日の午後に届いた。
届けたのは駅からの使いではなく、大学の封をつけた早馬だった。父伯爵はその封を見た時点で、しばらく机の上に置いたままにした。
サミュエルの字だ、と彼は思う。
ウィリアムは書斎の扉近くに立っていた。朝から何度もここへ来ては、王都からの返事はまだか、と訊ねてきた。
そのたびに、待て、と伯爵は言った。
待てと言われたところで、ウィリアムは待てるような顔をしていなかったが。
「開けてください、父上」
「わかっている」
封を切る。中の便箋は一枚だった。サミュエルらしい。余計な言葉がない。
そして読み始め、途中で眉を寄せた。
ウィリアムは一歩近づく。
「何と」
「マギーは王都にいる」
「無事ですか」
「ああ。怪我はない」
ウィリアムはそこで息を吐いた。だが、すぐに父の手元を見た。父はまだ読み終えていない。目が同じ行をもう一度たどっている。
「続きは」
父は便箋を机の上に置いた。
「サミュエルの友人宅にいるそうだ」
「友人?」
「ヘインズ家」
「……聞いたことがありません」
「貴族ではないのだろう。王都の商家か何かだ」
ウィリアムの眉が動いた。
「マギーを、そんな家に?」
「サミュエルが信用した相手なら、妙な家ではないはずだ」
「ですが」
「手紙には、すぐにはこちらに戻さないとある」
そこで、書斎の空気が止まった。
ウィリアムは父を見る。父は便箋を見ている。机の上には、昨夜から置かれたままの報告書もあった。
駅の者から聞いた、マギーが王都行きの列車に乗ったという短い報告。
「戻さない?」
ウィリアムの声が低くなる。
「どういう意味ですか」
「本人が疲れている。事情を確認した上で、改めて連絡すると」
「父上、その手紙を」
「読むなら読め」
父は便箋を渡してくる。
ウィリアムは数行で読み終えた。読み終えて、また最初へ戻る。
そこに何か別のことが書いてあるわけではない。どう読んでも同じだった。
マギーは王都にいる。怪我はない。
けれど帰さない。
「……何を勝手な!」
「ウィリアム」
「父上、これはサミュエルが勝手に判断することではありません。マギーはこの家の娘です」
「だから、サミュエルは連絡してきたのだろう」
「連絡ではなく、報告です。こちらに伺いも立てずに」
ウィリアムは便箋を机に戻した。紙の角が少し曲がった。
「すぐ迎えに行きます」
「待て」
「待てません!」
「またそれか!」
父の声が少し強くなった。
「お前は昨日から、待てないばかりだな」
「マギーがあんなところにいるのですよ。見知らぬ商家に。しかもサミュエルは帰さないと言っている。何を吹き込まれているかわかりません」
「サミュエルにか?」
「そのヘインズ家とやらにです」
伯爵は黙った。
それは、彼も少し気になっていた。
サミュエルは大学にいる。王都で誰と付き合っているのか、細かく知らない。息子は成績も悪くなく、問題も起こさない。だから任せていた。だが、いざ娘がその友人宅にいると聞くと、別の話になる。
商家。貴族ではない家。
娘を預ける先として、すぐ安心できる言葉ではない。
それでも彼は、便箋の字を見る。サミュエルは嘘を書く息子ではない。
「まず返事を書く」
「迎えには」
「明日、こちらから王都へ向かう。今から出ても着くのは夜だ。騒ぎになる」
「騒ぎになっているでしょう、もう」
「これ以上だ」
伯爵はそこで立ち上がった。
「マギーの居場所はわかった。怪我もない。なら、今日は落ち着け」
「落ち着いています」
「落ち着いている人間は、便箋を握り潰しかけない」
ウィリアムははっとして自分の手を見た。確かに、手紙の角が少し折れている。
「……すみません」
「謝る相手は私ではない」
伯爵はそう言ってから、自分で言葉の行き先に困ったようだった。
誰に謝るのか。
サミュエルか。マギーか。それとも、まだ何もわからないまま居間にいるロズリーか。
机に戻り、新しい便箋を出す。
「私が書く。お前は今は黙っていなさい」
「父上」
「黙っていなさい」
今度は命令だった。ウィリアムは口を閉じる。
ペンを取る。だが、最初の一文がなかなか出てこなかった。
――マギーをすぐ戻せ。
そう書くつもりだった。
けれど、サミュエルの手紙には怪我はないとある。疲れているともある。
疲れている、という言葉を何度も見返す。
――そんなに疲れていたのか。いつからだ。どうして気づかなかった。
そこまで考えると、ペン先からインクが一滴落ちた。便箋の端に黒い点ができる。その一枚を脇へ避け、別の便箋を出した。
「マギーは、何を話しているのだろうな」
ぽつりと言うと、ウィリアムがすぐに答えた。
「ロズリーのことでは」
「だろうな」
「誤解です」
父は顔を上げた。
「何が」
「ロズリーがマギーのものを《《奪ったように》》言うのなら、誤解です。ロズリーは《《知らなかった》》ことが多い。ブローチのことも、布地のことも」
「布地?」
伯爵はそこで少し目を細めた。
「何の話だ」
ウィリアムは一瞬止まった。
父は知らない。いや、言ったはずだ。おそらく食卓か居間で。
オードリーがマギーの布を一反回すと言った時、父もいたはずだ。
だが、その時父は深く聞かなかったのだ。自分も、母の肖像と似た色だったなどという細かいところまでは知らなかった。
「ロズリーのドレスにした布です」
「それが?」
「マギーが選んでいた布だったと」
「マギーが?」
父はペンを置いた。
「私は、他にもあると聞いたが」
「ええ。ありました」
「なら」
そこまで言って、伯爵は続きを飲み込んだ。
――なら、いいではないか。
昨日までなら、そう言っていた。
しかしサミュエルの手紙が机の上にある。
マギーは戻らないと言われている。
他にもある。だからいい。そう言われ続けたものが、幾つあったのだろう。
「父上?」
「いや」
額を押さえた。
「今は返事を書く」
ウィリアムは何か言いたげだったが、黙った。
そしてようやく書き始めた。
――マギーが無事であることは承知した。
――保護について礼を言う。
――ただし、彼女は当家の娘であり、早急に帰宅させる必要がある。
――明日、私とウィリアムが王都へ向かう。
――詳しい事情はその折に聞く。
そこまで書いて止まる。
――帰宅させる必要がある。
そう書いてしまえば、サミュエルは反発するだろう。いや、反発しているからこそ、先に戻さないと書いてきたのだ。
その便箋も脇へ避けた。
「また書き直すのですか」
ウィリアムが言う。
「文面を間違えると、話がこじれる」
「もうこじれています」
「だからだ」
三枚目の便箋を出す。その時、扉が叩かれた。
「あなた」
オードリーの声だった。短く入れ、と言う。
オードリーはロズリーを連れていた。ロズリーは昨日よりさらに地味な服を着ている。髪飾りもなく、胸元にも何もない。
「王都から、お返事が?」
「ああ。マギーは無事だ」
オードリーは目を伏せ、両手を胸の前で重ねた。
「よかった」
ロズリーも小さく息をつく。
「本当に、よかったです」
ウィリアムはすぐにそちらを見た。
ロズリーの声はかすれていた。昨夜、あまり眠れなかったのかもしれない。そう思うと、また守らなければという気持ちが戻ってくる。
「ただ、サミュエルがすぐには戻さないと言っている」
父が言うと、オードリーの手が少し止まった。
「サミュエル様が?」
「ああ」
「何故でしょう」
「マギーが疲れていると」
オードリーは困ったように眉を寄せた。
「そう……あの子は、そんなに」
伯爵はその言い方に少し引っかかった。
――あの子は、そんなに。
そこに続く言葉がなかった。
怒っていたのか。傷ついていたのか。疲れていたのか。あるいは、わがままを通そうとしているのか。
どれにも取れる。
「私のせいです」
ロズリーが言った。
ウィリアムが口を開くより前に、オードリーがそちらを向いた。
「ロズリー」
「だって、私が来てからです。マギー様はずっと我慢してくださっていたのに、私が気づかなかったから」
ロズリーは一歩前へ出た。
「旦那様。私、こちらを出た方がいいのではないでしょうか」
「何を言う」
ウィリアムはすぐに言った。
父は黙っている。オードリーも、すぐには止めなかった。
ロズリーは続ける。
「マギー様が戻られないのは、私がいるからではありませんか。なら、私が」
「行くところがあるのか」
するとロズリーは答えに詰まる。
それがわかっていて言ったのだろうか。伯爵は、自分でも少し嫌な言い方をしたと思った。
「……ありません」
ロズリーは手を握った。
「でも、どこか。修道院でも」
「そんな! 君を放り出すことはできない」
ウィリアムが言う。
「マギーも、そんなことは望んでいないさ」
「本当に?」
ロズリーはウィリアムを見た。
「本当に、そうでしょうか」
ウィリアムは一瞬言葉に詰まった。
「……私、マギー様に嫌われているのかもしれません」
「そんなことは」
「いいえ。私には、わかります。女同士ですから」
その言い方に、父は少し困った。女同士、と言われると、もう入りづらい。
オードリーの方を見ると、彼女は静かにロズリーの肩へ手を置いた。
「今は、誰が悪いと決める時ではないわ」
「奥様」
「マギーを迎えに行くなら、まず落ち着いて話を聞きましょう。ロズリーも、思いつめないで。貴女が倒れたら、余計に話がややこしくなるわ」
ややこしくなる。慰めではなかった。
伯爵はもう一度ペンを取った。
「明日、王都へ行く。サミュエルと話す」
「私も参ります」
ウィリアムが言った。
「お前は」
「行きます」
今度は彼も譲らなかった。伯爵は少し考え、結局うなずいた。
「いいだろう。ただし、向こうで勝手に動くな。マギーを責めるな。まず話を聞く」
「はい」
「返事は短くする。こちらが明日向かうとだけ伝える」
オードリーがそこで口を開いた。
「あなた、ロズリーのことは書かない方がよろしいのでは」
「なぜだ」
「今、マギーがロズリーの名を見れば、余計に気を張るでしょう」
ウィリアムは不満だった。
ロズリーは関係ない、と書きたかった。ロズリーを責めるなと。だが父は、何も言わずに文面を書き始めた。
――無事との報せを受け取った。
――明日、王都へ向かう。
――マギーには無理をさせぬように。
――詳しい話は到着後に聞く。
今度は書き直さなかった。
封をする父の手元を、ウィリアムはじっと見ていた。




