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母の形見を奪われたので、家を出ます~奪った庶子は、義母の娘でした  作者: さんけい


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11/58

11 訊かれることにまず驚いた

 朝食の後、マギーはヘインズ家の小さな応接室に通された。


 昨日の食堂と同じく、そこも実用的な部屋だった。椅子は座りやすく、卓の上には便箋とペンが用意されている。飾りは少ない。けれど窓辺には鉢植えがあり、葉に朝の光が当たっていた。

 サミュエルとルーカスは先に来ていた。

 ヘインズ氏もいる。夫人は茶を置いた後、同席してもいいかしら、とマギーに訊いた。

 訊かれたことに、まず驚いた。

 屋敷では、マギーが同席を許すかどうかを訊かれることなどほとんどなかったから。


「はい。お願いします」


 マギーが答えると、夫人はうなずいて椅子に座った。

 サミュエルが控えを一枚引き寄せる。


「では、順番に聞く。急がなくていい。わからないところは、わからないと言うんだよ」

「はい」

「まず、怪我は本当にないな」

「ありません」

「金は持ってきたか」

「少しだけ」

「無理に見せなくていい。足りないなら言え」


 マギーはうなずいた。

 サミュエルは次に、ペンを持った。


「家を出た理由は、ロズリー嬢のことか?」


 その名前が出た瞬間、マギーの指が膝の布をつかんだ。

 サミュエルの目がそこへ落ちる。けれど何も言わず、返事を待った。


「……はい」

「ロズリー嬢が来たのは、子爵家の事故の後だったな」

「はい。春の終わりです」

「事故の内容は?」

「馬車の事故だと聞きました。子爵夫妻と嫡子が亡くなって、ロズリーだけが残ったと」

「彼女はその馬車に乗っていなかった?」

「具合が悪いと言って、外出しなかったそうです」


 ルーカスのペンが、卓の上で一度だけ止まる。マギーはそれを見た。


「……何か?」

「いえ。続けてください」


 ルーカスはそう言ったが、控えの端に短く何かを書きつけていた。

 サミュエルもそれを見ている。二人の間で、何かが通ったようだった。


「それで、伯爵家で預かることになったと」

「はい。お父様は本家筋に近いから、と」

「ふむ」


 サミュエルは書き留める。


「ロズリー嬢が来てから、何が変わった?」


 マギーはすぐには答えられなかった。


 ――何が。


 全部、と言いたかった。けれど、全部では伝わらない。


()()()、何も」


 そう言うと、サミュエルは顔を上げた。


「何も?」

「はい。最初は、私も気の毒だと思っていました。家の中のことを教えました。お茶の時間や、庭のことや、使用人の名前も」

「それが?」

「だんだん、私に聞かなくなりました。お義母様に聞くようになって、お父様やウィリアム兄様が助けるようになって。そうすると、私が使っていた場所やものが、少しずつロズリーのものになりました」

「具体的に話してくれ」


 サミュエルは短く言った。

 その声に、マギーは少しだけ助けられた。

 具体的に。なら、話せる。


「居間の窓辺の椅子です。もともとは実の母が使っていた場所で、亡くなってからは私がよく使っていました。ロズリーが明るい場所でないと針目が見えにくいと言って、そこに刺繍箱を置くようになりました」


 ルーカスが書く。


「ドレスの布地もです。淡い青の布で、母の肖像と似た色だったので、私が選んだものです。けれどロズリーのドレスになりました」

「誰が決めた」

「お義母様です。お父様もウィリアム兄様も、それがいいと言いました」

「マギーは断ったか」

「……断りかけました。でも、ロズリーが、もったいないと言って。それでも手を離さなくて。お父様が、私には他にもあると言いました」


 夫人がそこで、茶器に手を伸ばす。音を立てないようにしているのがわかった。


「他にもある、か」


 ルーカスが小さく言った。


「商売でもよく聞く言葉です。倉庫にまだあるなら一つ譲ってくれ、という時に」

「ルーカス」


 サミュエルがたしなめる。


「失礼しました。でも、その言い方は危ない。相手に在庫があることと、その品を失ってよいかは別です」


 マギーはルーカスを見た。その言葉が胸の中のどこかにすとんと落ちる。


「……そうです。そう言えばよかった」

「その場で言えないことは多いです」


 ルーカスはペンを置いた。


「特に、周りが全員、相手に譲れという方向を向いている時は」


 マギーは返事をしなかった。言葉を出すと、何かがこぼれだしそうだったからだ。

 サミュエルは少し待ってから、話を戻した。


「あと、ブローチか?」

「ええ、お母様の形見の」

「それを、ロズリー嬢がつけていたと」

「はい」

「誰が渡した?」

「お義母様です。今日のお茶会にロズリーにはこれが似合うと」

「どこに保管していた?」

「私の部屋の小箱に」

「鍵は?」

「かけていました」


 サミュエルのペンが止まった。

 ルーカスも顔を上げた。


「……鍵を?」

「はい。でも、お義母様は屋敷の鍵を預かっています。私の小箱を開ける鍵も、たぶん……」

「たぶん?」

「以前、一度なくしたと思ったリボンが、お義母様の手で戻ってきたことがあります。マギーが置き忘れていたわ、と言われました。でも私は、その小箱に入れていたはずでした」


 言ってから、マギーは口を閉じた。


 ――一度ではない。あった。もっとあった。


 なくしたと思った本のしおり。母からもらった小さな香水瓶。古い手紙。

 戻ってきたものもあれば、戻らなかったものもある。

 その時は、自分の記憶違いかと思った。

 ……思わされた?


「……小箱だけではないかもしれません」


 マギーは膝の布から指を離した。


「私の部屋に、誰かが入っていました」


 初めて夫人もそこではっきりと眉を寄せた。


「それは、嫌だったでしょう」


 ただ、それだけだった。

 マギーはその言葉に、すぐ返事ができなかった。

 嫌だった。そう言っていいことだったのか。

 自分の部屋に入られること。母のものを出されること。知らないうちに、ロズリーのために選ばれること。


「……はい」


 ようやく言う。


「嫌でした」


 サミュエルはしばらく控えを見て、それから、ゆっくりペンを置いた。


「マギー。お前は()()()()のではなく、()()()()。少なくとも私はそう扱う」


 マギーははっと顔を上げて兄を見る。


「よろしいのですか」

「よろしくないなら、昨日の駅で怒鳴って連れ戻している」

「でもお父様は」

「父上には、私から連絡する」

「何と」

「マギーは私の保護下にあり、ヘインズ家に滞在している。怪我はない。だが疲れているので、すぐには戻さない。詳しい話は後日。そんなところだ」


 サミュエルは吐き捨てるように一気に言う。するとヘインズ氏もうなずいた。


「それがいい。所在を知らせれば、誘拐だの失踪だのにはならない。だがすぐ戻さないと明記すれば、向こうも動きにくい」

「父上が来たら?」


 マギーは訊いた。


「来るなら来ればいい」


 サミュエルは短く答えた。


「話し合いが必要だ。そしてここなら、少なくとも誰もお前の話を遮らせない」


 ルーカスが、別の書付を出した。


「それと、確認することがあります」

「確認?」

「まず、ロズリー嬢が伯爵家へ来ることになった経緯です。子爵家の事故、爵位の王家預かり、本家筋としての伯爵家。順番は自然ですが、あまりに都合よくもあります」

「ルーカス」


 サミュエルが少し低く言う。


「言い方」

「失礼。ですが、調べた方がいい」


 ルーカスはマギーの方を見た。


「不快にさせるつもりはありません。ただ、事故で残された娘が、なぜそこで伯爵家へ来たのか。誰がそれを進めたのか。王家預かりの話は正式にどこから来たのか。そこは確認したい」

「それは、ロズリーが悪いということですか」

「まだ何もわかりません」


 ルーカスは首を横に振る。


「ただ、物や部屋を取られる話と、子爵家の事故は、離して考えない方がいいかもしれない。少なくとも、私はそう思います」


 ヘインズ氏が、そこで腕を組んだ。


「馬車の事故なら、記録が残るな。修理をした職人、車輪、馬具、御者。商会の知り合いから辿れるかもしれない」

「父上」


 ルーカスが言う。


「今朝の段階でそこまで?」

「商売人は、事故と契約不履行には敏感なんだよ」


 ヘインズ氏は当然のように答えた。


「人が死んだ馬車事故なら、誰かが損をしている訳だ。葬儀屋、馬車屋、修理職人、保険を扱う者、借金取り。どこかに話は残る」


 マギーは手元の便箋を見る。

 屋敷では、誰もそんなふうに言わなかった。ロズリーが可哀想だとか、マギーが譲るべきだとか、父が困ったとか、ウィリアムが怒ったとか。そういう話ばかりだった。

 けれどここでは、誰が、いつ、何をしたのかを聞かれる。

 ……そして、誰も途中でマギーを責めない。


「私は」


 マギーは口を開いた。


「私は、何をすれば?」

「思い出せ、そして覚えていることを書いておけ」


 サミュエルが言った。


「順番は後で直せばいい。思い出した順で構わない」

「順番が違っても?」

「違ってもいい。むしろ無理に揃えてしまわない方がいい。お前が覚えている違和感は、お前にしか出せない」

「違和感……」

「ああ。小箱が開けられていたこと。ロズリー嬢の言葉。お義母様の動き。父上やウィリアムが何と言ったか。小さいことでもいい」

「小さいことでも」

「小さいことの方が正直なことがあります」


 ルーカスが続けた。


「大きな話は言い訳で飾れます。でも、誰がどの鍵を持っていたか、どの布がいつ移動したか、誰が駅へ使いに出たか。そういうことは、後から()()が出る」


 ヘインズ夫人が、マギーの前に新しい便箋を置いた。


「書けるところからでいいのよ。無理に上手く書こうとしないで」


 マギーはペンを取った。

 最初に書いたのは、ロズリーが来た日の雨のことだった。玄関広間の濡れた靴跡。父の外套。お義母様がすぐに部屋を用意しましょうと言ったこと。

 それから、ロズリーの袖口が少し合っていなかったこと。

 細かすぎるかと思った。

 けれどルーカスは、その行の横へ小さく印をつけた。


「喪服が急ごしらえだったかもしれませんね」

「そんなことまで?」

「服は嘘をつくのが下手です」


 ヘインズ夫人が言った。


「急いで用意した服は、どこか合いません。誰の手で用意したかも、仕立屋を辿ればわかることがあります」

「仕立屋なら、母上の方が早いな」


 ルーカスが言う。


「王都の喪服なら、店は限られるもの」


 ヘインズ夫人はすぐに立ち上がり、小さな書き物机から帳面を持ってきた。中には、布屋や仕立屋の名が細かく書かれている。


「子爵家のある町なら、この二軒かしら。急ぎで喪服を仕立てるなら、こちら。袖を詰める時間がなかったなら、既製のものを直した可能性もあるわ」

「母上、さすがに早すぎる」

「早い方がいいでしょう」


 そう言って、夫人は帳面の一部を写し始める。

 マギーはペンを持ったまま、その手元を見ていた。

 自分が何となく覚えていた袖口が、誰かの手で書き留められていく。

 雨。外套。袖口。どれも、屋敷ではすぐ消えてしまうようなことだった。


 *


 昼前、サミュエルは父へ送る手紙を書いた。


 ――マギーは王都におります。

 ――現在、私の友人ヘインズ家にて保護されています。

 ――怪我はありません。

 ――ただし、本人の状態を鑑み、すぐに帰宅させることはいたしません。

 ――事情を確認した上で、改めてご連絡いたします。


 マギーはその文面を読ませてもらった。


「これでは、お父様は怒ると思います」

「怒るだろうな」


 サミュエルは封をしながら答えた。


「ウィリアムも怒るさ」

「怒るでしょうか」

「怒る。あいつは昔から、自分が心配している時に、相手が自分の思った通りに動かないと怒るんだ」


 その言い方に、マギーは少し驚いた。


「兄様は、ウィリアム兄様のことをそう思っていたのですか」

「ああ、ずっとな」


 サミュエルは封蝋を垂らした。


「むしろ、お前は気づいていなかったのか?」

「……頼れる兄だと思っていました」

「頼れるところもある。だが、自分の正しさを疑うのは下手だ」


 ルーカスが横で、なるほど、と言った。


「長男らしいですね」

「お前は今、全ての長男を敵に回したぞ」

「私は次男なので」

「私も次男だ」

「では安全です」


 サミュエルは呆れたようにルーカスを見た。

 マギーは、また少しだけ笑った。

 笑ってから、便箋に視線を戻す。

 王都へ来てから、まだ一日も経っていない。それなのに、家にいた頃より息がしやすい。

 マギーはペン先を置いた。

 居間の椅子。青い布。母のブローチ。鍵。

 それから、ロズリーが指を離さなかった時のこと。

 書いている間、ヘインズ夫人のペンもまた、隣の机でずっと動いていた。


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