第7話 証拠公開
「殿下、幼い頃を覚えていらっしゃいますか。庭園で、わたくしに契約魔法をお使いになった、あの日を」
会場中がしんと静まり返る。誰もがその言葉の意味を測りかねていた。
「な……」
殿下の声が僅かに掠れた。
「証拠なら、ございますわ」
わたくしは懐から小さな水晶を取り出した。長年肌身離さず持ち続けていたその石には淡い光が宿っている。
「これは、記録魔道具ですわ」
初めて口にするその名前。会場にどよめきが走る。宮廷魔導士の一人が驚いたように前へ出てきた。
「記録魔道具……まさか、王家秘匿の……」
「……幼い頃、母からこの魔道具と共に、記録の魔法を授かりましたの。大切なものは、目に見える形で残しておきなさいと」
わたくしは水晶を掲げ静かに魔力を流し込む。空中に淡い光の膜が広がりやがてそこに映像が浮かび上がった。
薔薇の咲く庭園。幼い二人の姿。
『君に、悪役になってほしいんだ』
幼い日の殿下の声が会場中に響き渡る。今よりずっと高く幼い声だがその軽さは今と変わらない。
『これに、名前を書いてくれる? 僕らの約束を、ちゃんと形にしておきたいんだ』
紙に名を記す幼いわたくしの手。淡く光る紋章。誰もが息を呑んでその光景を見つめていた。
「そ、それは……偽物だ! そんなもの、いくらでも作れる!」
殿下が声を荒らげる。今までの余裕は完全に消え失せていた。
「まだ、続きがございますわ」
映像は切り替わる。次々と流れる、これまでの日々の記録。
『明日の午前、庭園の花壇を踏み荒らして』
『使用人を理由もなく叱ってほしいんだよね』
『令嬢たちの前で、僕に向かって暴言を吐いて』
『明日の放課後、西棟の階段でフィーネさんを突き落として』
十年以上にわたる命令の数々が本人の声そのままに会場へ再生されていく。花を踏む幼い自分の姿。令嬢を泣かせる場面。そして先日の階段での出来事まで。
すべてが動かぬ証拠として晒されていった。
「嘘……」
フィーネが両手で口元を覆う。
数秒の沈黙の後、彼女は震える足でつかつかと殿下の前まで歩み寄った。
パァン!!!
乾いた音が会場に響く。
フィーネの平手が殿下の頬を打っていた。
「わたし……ずっと利用されてたんですね。あなたを庇うために、彼女にひどいことまで言ったのに」
その瞳には涙が滲んでいたが声は怒りで震えていた。
「あなたみたいな人を、信じてしまった自分が情けない」
殿下は頬を押さえたまま何も言い返せなかった。
「殿下、いつも大変そうにしてますよ」――かつてフィーネがわたくしに向けたその言葉が今度は殿下自身へ跳ね返っていくようだった。
会場の空気が完全に一変していた。先ほどまで殿下に同調していた令息令嬢たちが一斉に視線を逸らす。
「わたくしたち、すっかり騙されていたのね……」
「あんなに酷い噂を、鵜呑みにしてしまうなんて」
誰もが顔を強張らせ気まずげに目を伏せていた。数分前まで殿下を称え、わたくしを罵っていたその同じ口が今度は言葉を失っている。
「みんな、知ってるでしょ? 彼女が前にも、根も葉もない話で僕を陥れようとしたことを」――先ほど余裕綽々に放ったその一言が、今や誰の記憶にも都合よく蘇ってはいなかった。ただ静寂だけがその場を支配していた。
「陛下、これは……」
国王陛下が客席の最前列で立ち上がる。その顔からは血の気が引いていた。怒りよりも深い、我が子への幻滅がその表情ににじんでいた。
「記録魔道具は」
宮廷魔導士が震える声で告げる。
「王家が管理する魔道具の中でも、最も改ざんの効かぬものです。この者が偽造することは、まず不可能かと」
「そんな……」
殿下の顔からすべての色が抜け落ちていく。今まで積み上げてきた完璧な仮面が音を立てて崩れ落ちる瞬間だった。
「父上……違うんです、僕はただ、正しい王になりたくて……」
縋るような声で国王を見上げる。けれど国王はゆっくりと首を横に振った。
「正しい王になりたい者が、罪のない娘を十年以上苦しめるものか」
国王の声には有無を言わさぬ重みがあった。
「衛兵。第一王子の身柄を拘束せよ。契約魔法の悪用、婚約者への虐待、そして事実を偽り婚約者を貶め続けた背信行為の疑いで、追って正式に取り調べる」
控えていた衛兵たちが静かに進み出て殿下の両脇を固める。
「待ってくれ、僕は……僕は……」
殿下の声はもはや誰の同情も引かなかった。あれほど巧みだった演技も、今となってはただの往生際の悪い呟きにしか聞こえない。
「連れて行け」
国王の一言で殿下の姿は会場の奥へと消えていった。最後まで、こちらを一度も見ることはなかった。
会場に残ったのは重い沈黙と、先ほどまで殿下に同調していた者たちの気まずい沈黙だけだった。誰も、わたくしと目を合わせようとはしなかった。
けれどそれでよかった。今更向けられる同情も謝罪も、この十年の重みを軽くすることはできないのだから。
わたくしは水晶をそっと下ろし静かにその場を見渡した。長年抱えていた重荷がすとんと胸から抜け落ちていくのを感じる。
「これで、すべて終わりましたわ」
その声は自分でも驚くほど穏やかだった。




