第6話 婚約破棄パーティ
卒業パーティの会場は煌びやかなシャンデリアの光に満ちていた。着飾った令息令嬢たちの談笑が絶えず響き渡る中わたくしはただ静かにその場に立っていた。
視線が痛い。誰もが遠巻きにこちらを窺いながら小声で何かを囁き合っている。
中央のステージへ殿下が上がった瞬間会場の空気が一変した。
「皆、聞いてほしい」
殿下の凛とした声が響く。普段の軽やかな口調とは違う、意図して作られた威厳のある響きだった。
「僕は今日この場で、婚約者であるリーゼロッテ・フォン・エーレンベルクとの婚約を破棄する」
どよめきが広がる。けれど驚きよりも納得の色が濃い。ここ数年の噂を知る者にとってそれは予想通りの展開でしかなかった。
「彼女の所業は、目に余るものだった」
殿下は淡々と、けれど確実に会場全体へ届く声で続けた。
「使用人への理不尽な叱責。罪のない令嬢たちへの嫌がらせ。そして先日は、フィーネさんを階段から突き落とすという、決して許されない行為に及んだ」
罪状が一つずつ読み上げられるたびに会場から低いざわめきが上がる。
「なんてこと……」
「公爵令嬢ともあろう方が」
わたくしは俯くこともせずただ真っ直ぐに前を見ていた。反論の言葉は出てこない。契約のせいではない。ただ、否定する気力そのものが今のわたくしにはなかった。
「最低だ」
「よくもあんな酷いことを」
会場中から浴びせられる非難の声。誰一人としてわたくしを庇う者はいない。父である公爵でさえ会場の隅で静かに膝を折り深く項垂れていた。
「……申し訳、ございません」
絞り出すように呟いた一言。それは謝罪であり同時に長い演技の終わりを告げる言葉でもあった。
「認めるんだね」
殿下の声に僅かな安堵が滲んでいた。すべてが計画通りに進んでいる、そう確信しているような響き。
その瞬間わたくしの中で何かがふっと軽くなった。
――ああ、もう終わるのだ。
不思議と口元が緩んでいくのが自分でも分かった。長く張り詰めていた糸がようやく切れたような、そんな感覚。
「ええ」
声に力が戻ってくる。
「認めますわ」
会場が一瞬静まり返った。誰もがわたくしのその表情に違和感を覚えたのだろう。断罪される者が浮かべるにはあまりに穏やかな笑みだったから。
「全部、わたくしがいたしましたわ」
一歩前に出る。誰の目も避けず堂々と。
「――命令通りに、ですけれど」
その一言に殿下の表情が微かに強張った。今まで見たことのない種類の変化。
けれどそれも一瞬のことだった。殿下はすぐに余裕を取り戻したように口の端を上げる。
「……何を言っているのかな? リーゼ」
その声には隠しきれない安堵の色が滲んでいた。
「まあ、いいけどね。君がまた僕を悪者にするような作り話を始めても」
殿下は会場を見渡しながら小さく笑ってみせた。
「みんな知ってるでしょ? 彼女が前にも、根も葉もない話で僕を陥れようとしたことを」
その言葉に会場の何人かが小さく頷く。「ああ、あの時の」という囁きが漏れた。殿下はそれを見て確信を強めたようだった。今度もまた同じように誰も彼女の言葉など信じない、と。
その慢心こそが、殿下の唯一の誤算だった。
「契約は、もう終わりましたもの」
わたくしは自分の右手をゆっくりと持ち上げてみせた。手の甲に浮かんでいた紋章は既に跡形もなく消えている。婚約破棄によって契約そのものが失効したのだ。今この瞬間からわたくしは初めて自由に言葉を紡ぐことができる。
「……契約、ねえ。またそんなデタラメを言い出すつもりかい?」
殿下は鼻で笑い、哀れむような視線をわたくしに向けた。
「仮にそれが本当だとして……証拠は? 」
「そんなもの、あるわけないよね。君の作り話なんだから」
殿下は笑おうとしたようだったがその口角は不自然に引きつっていた。
「ございますわ」
わたくしは静かに、けれどはっきりとそう告げた。会場の視線が一斉にこちらへ集中する。
「殿下、幼い頃を覚えていらっしゃいますか。庭園で、わたくしに契約魔法をお使いになった、あの日を」
殿下はわたくしの言葉から何かを感じ、顔から初めて余裕という色が抜け落ちていくようだった。




