第97話 同行者として
帰路は、静かだった。
空白地帯を抜けて管理網の内側へ戻ると、遠くの丘の上で装置が光っているのが見えた。規則的な明滅。一定の間隔。干渉可能な波長。ここでは、管理が正常に機能している。
「……安心しますね」
若い技師が、その光を目で追いながらぽつりと呟いた。
「戻ってきたな」
ミレナが小さく息を吐く。だが、その横顔はどこか落ち着かない。空白地帯で過ごした数日が、まだ身体のどこかに張りついたまま抜けていかないのだろう。
「報告は、どうする」
リーファが、荷を背負い直しながらアレンに聞く。
「そのままだ」アレンは短く答えた。「装置無効、干渉不能型、杭による傾向記録。それだけでいい」
「……感情は?」
「書かない」
リーファが、少し笑った。
「書けませんしね」
空白地帯で覚えた恐怖も、幾度もよぎった迷いも、置いてきたはずの後悔も――制度の報告書には、どうやっても収まりきらない。書式のない欄に、それらは残る。
やがて街の門が見えてきた。そこで、若い冒険者がふと足を止める。
「……俺」
視線は、アレンに向かない。地面のあたりをさまよっている。
「戻ったら、どうなりますかね」
「どうなると思う」
「分からない」
正直な答えだった。アレンは少しだけ考えて、口を開く。
「変わらない」
「え?」
「世界は、急には変わらない。空白地帯も、この管理世界も。……少しずつだ」
若い冒険者は、詰めていた息を吐いた。
「じゃあ、俺たちのやったことに、意味は」
「ある」
即答だった。若者が顔を上げる。
「意味は、その場では決まらない。後から、繋がる」
空白地帯で下した判断。払った代償。打ち込んできた杭の記録。それらはすぐに形にはならない。だが、消えもしない。
門をくぐる。頭上を、装置の光が一定のリズムで撫でていった。安心と、それに混じるわずかな違和感。
ミレナが、隣を歩くアレンを見た。
「……ありがとうございました」
「何がだ」
「決めなかったこと」
アレンは、少し目を細める。
「決めなかったんじゃない。横にいただけだ」
同行者。裁定者ではないし、指導者でもない。相手の間違いを止めはしない。ただ、一人にはさせない。それだけの場所に、自分を置いている。
「次は」ミレナが、前を向いたまま言う。「もう少し、自分で迷います」
「それでいい」
街の喧騒が、耳に戻ってきた。物売りの声。荷車の軋み。子どもの笑い声。空白地帯は背後にある。だが、切り離されたわけではない。門の内と外は、同じ一続きの地面で繋がっている。
英雄でもなく、管理者でもなく。アレンは、そのどちらでもない立ち位置を、今ようやく自分の重心にした。
技師が、思い出したように口を開く。
「そういえば、ロイドさんが……戻り次第、会議室へ来いと」
荷を担ぎ直すとき、紐の締め方が変わっているのに気づいた。肩に食い込まない結び方だ。誰の手かは分かる。分かるが、礼を言う機会は、今日も来なかった。
アレンは軽く頷いた。持ち帰るべきものは、まだ荷の中で重い。
持ち帰った杭の記録は、数値にならない“傾向”です。次話、それを制度がどう扱うのかが問われます。
荷の中で重いままの記録がどう扱われるのか気になった方は、一押しを、どうぞ。




