第95話 問いは消えない
境界は、その日、三度現れた。どれも小規模で、どれも干渉できず、どれも放っておくうちに収束した。
被害はない。だが、安心も、どこにもない。
「……何も、できないですね」
若い技師が、苦く笑う。
「違う」
ミレナが、首を振った。
「何もしない、と決めたんです」
言葉は似ている。だが、意味はまるで違った。
アレンは、並んだ杭をじっと見つめている。杭は、古い知恵。管理は、新しい知恵。そのどちらも、万能ではなかった。
「問いは、残るな」
彼は、誰にともなく呟いた。
「管理は、どこまで通じるのか。現場は、どこまで任せるのか。境界は、何に向かって変わっているのか」
答えは、ない。だが、問いは消えない。
リーファが、小さく笑った。
「あの頃も、問いは残したはずなのに」
「ああ」
アレンは、乾いた声で返す。
「減るどころか、増えたな」
問いは、片づかない。形を変えて、次から次へと増えていく。
ふと、ユイの顔が脳裏をよぎった。教えなかった。答えも、渡さなかった。だからこそ、あの子は今も、自分の頭で考え続けているはずだ。
「……怖くなく、なりたい」
若い冒険者が、ぽつりと言った。
「怖くない世界に、戻りたいです」
「戻れない」
アレンは、即答する。
「管理があっても、境界は消えない。怖さは、形を変えるだけだ」
沈黙が落ちる。だが、その言葉に、反発はなかった。空白地帯で過ごした数日で、全員が知ってしまっていた。安全は、保証ではない。判断は、いつまでも消えない。
「……じゃあ」
ミレナが、ゆっくりと言った。
「問い続けるしか、ないですね」
「ああ」
アレンは頷く。
「問いを持ち続ける限り、世界は止まらない」
境界が、また微かに揺れた。誰も、慌てない。観測し、移動し、確認する。恐怖はある。だが、それに麻痺してはいなかった。恐れながら、それでも目を開けている。それが、この数日で全員が身につけたことだった。
揺れが収まると、若い技師が覚え書きを開き、今日の三度の境界を書き加えた。
「答えは書けませんけど」
彼は、ページの端を指で押さえる。
「問いなら、残せます」
覚え書きの表紙には、書き手の名前が三つ並んでいた。アレンの名は、そのどれよりも小さく、最後に添えられている。書いた本人たちが、そう決めたのだという。
アレンは、わずかに口の端を上げた。名前の並びの最後に自分が置かれていることを、彼はまだ誰にも言っていない。
ここでの一つの選択は、どこか遠くの誰かへ繋がっていく。次話、空白地帯で過ごす、最後の夜です。




