第76話 踏まなかった街
その街は、地図の端にあった。交易路から外れ、豊かな資源もなく、人口も多くはない。だからこそ、境界管理の“優先順位”は低く据え置かれていた。
「装置は、一基だけです」
街の代表が、淡々と説明する。「全域はとても覆えません。技師の常駐も、ありません」
「……不安は」
アレンが聞くと、代表は少し考えてから首を振った。「不安は、あります。でも、任せきりには、できません」
この街は、境界管理を拒んだわけではない。ただ、“全面導入”を選ばなかった。装置は使う。だが、判断だけは手放さない。
境界が出た時、街は生き物のように動いた。鐘が鳴り、人が走り、子供が駆ける。
誰かが叫ぶ。「西側は使うな!」「南門へ回れ!」
完璧ではない。混乱もある。避難は、決して速くない。境界は拡大し、倉庫が一つ、鈍い音を立てて崩れた。負傷者が出た。軽傷だが、ゼロではない。
「……管理していれば」
同行していた技師補佐が、思わず口にする。
街の代表は、それを否定しなかった。「そうでしょうね。被害は、もっと減ったはずです」彼は、消えかけた境界を見つめて続けた。「でも――これは、私たちの判断です」
やがて境界は消えた。街は、傷を負ったままだ。それでも人々は集まり、無言で片付けを始める。誰も責任の所在を探さない。誰かを責めもしない。
「……後悔は」
アレンが、代表に聞いた。
「あります」彼は、はっきり答えた。「でも、次は、もう少し早く動けます」
失敗を、次の判断へ変える。それが、この街のやり方だった。
丘の上で、風に当たっていると、旅装の男が静かに言った。「不器用だな」
「……ああ」
「被害も出た。効率も悪い」
「それでも」男は続ける。「ここは、折れない」
アレンは、頷いた。この街は、管理を選ばなかったのではない。管理に、委ねきらなかった。ただそれだけで、人は考えることをやめずにいられる。便利ではない。安全でもない。それでも、選択という余地が、ここにはまだ残っていた。
輪の外にいるアレンへ、若い一人が水を差し出しにきた。助けてもらったからではなく、加わらないでいてくれたから、と言う。礼の理由としては、初めて聞く形だった。
崩れた倉庫の前で、代表が若い者たちに何かを指し示している。次はどう動くか、もう話し合いが始まっていた。アレンは、その輪には加わらなかった。加われば、また判断がアレンへ集まってしまう。代わりに、彼らの声が届く距離で、しばらく立っていた。この街の名を、覚えておこう。来年も同じ形で立っていられるかは、分からない。
装置は使う。判断は手放さない。――その線引きは、いったい誰が引き継ぐのか。




