第48話 冒険者である理由
夕方のギルドは、少しだけ静かだった。依頼の数は多い。だが、以前のような張り詰めた慌ただしさはなく、冒険者たちはそれぞれの仕事へ戻っている。
「……落ち着きましたね」
リーファが、掲示板を眺めながら言う。
「ああ。一段落だ」
境界そのものが消えたわけではない。ただ、無闇に触れようとする者が減った。“踏み越えない”という選択が、噂と実例を伝って、少しずつ街に染み込み始めている。
カウンターを拭いていたロイドが、手を止めて声をかけてきた。
「なあ。一つ、聞いていいか」
「なんだ」
「……お前は、結局、何になりたいんだ?」
その問いに、ギルド内の雑談がふと途切れた。誰もが、答えを知っている気がしている。だが、当人の口から聞かずにはいられない――そんな空気だった。
俺は、雑巾の動きを眺めながら、少し考えてから答えた。
「冒険者だ」
即答だった。
「王都の管理者でもない。境界の番人でもない。見える者を導く教師でもない」
リーファが、静かに頷く。
「……全部、できるのに」
「できるから、やらない」
そう言うと、ロイドが苦笑して、雑巾をカウンターに放った。
「厄介な男だな」
「自覚はある」
だが、それが俺の線だ。冒険者というのは、世界の歪みを全部正す存在じゃない。困っている人がいて、自分が行くと決めて、その結果を引き受ける。ただ、それだけの仕事だ。
夜。丘へ上がると、旅装の男は先に来ていて、街の灯を見下ろしていた。
「ここで、区切るか」
「……ああ」
「次は」男は続ける。「もう少し、厄介になる。境界を“踏まない”だけじゃ、足りなくなるぞ」
俺は、同じように街の灯を見下ろした。ひとつひとつが、誰かの夜だ。
「それでも、選ぶだけだ」
男は、満足そうに頷いた。
「それができるから、お前は冒険者なんだ」
言い終えると、男はもう背を向けていて、こちらの返事を待つ様子もなかった。
翌朝。ギルドの掲示板に、一枚の新しい紙が貼られていた。
件名:未分類案件
発行元:非公開
備考:境界に関する正式な相談
ロイドが、俺を見る。
「……来たな」
「ああ」
依頼書に指をかけたとき、王都で割れかけた水晶球のことを、ふいに思い出した。あの日、俺の中で相殺し合っていたものは、今も同じ場所で釣り合っている。誰にも測らせないまま。
まだ、中身は分からない。差出人も名乗っていない。それでも、この一枚が昨夜の「もう少し厄介になる」の入口だということは、指先の先まで伝わってきた。逃げる理由は、どこにもない。俺は依頼書を剥がして、折り畳んだ。
依頼の形をしていない依頼が、いちばん厄介です。次話、そういう一枚がカウンターの奥から回ってきます。




