第46話 踏み越えた痕跡
最初に異変を報告してきたのは、採集帰りの冒険者だった。
「……森の奥でな、変な痕が、あった」
ロイドが、地図を広げながら言う。
「魔物の足跡じゃない。でも、人為的だ」
嫌な予感がした。
「場所は?」
「境界線寄りだ。だが……自然に薄くなった感じじゃない」
俺は頷いた。
「……触ったな」
現地は、静かだった。鳥の声はある。風も、普通に吹いている。だが、違和感が“痕”として残っていた。空気の一部だけが、擦り切れたようにざらついている。
「……地面が、削れてます」
リーファが言う。
「でも、掘った感じじゃない……」
「ああ。踏み越えた跡だ」
境界を、“壊さずに越えた”痕跡。それは、無意識にできることじゃない。
「……誰かが」
リーファが、声を落とす。
「意図的に……?」
「可能性は高い」
俺は周囲を見渡した。境界は閉じている。暴走も、拡大もしていない。だが、“利用された”形跡がある。
「……何のために」
「分からない」
だが、“見える者”が増え始めている以上、いずれこうなるとは思っていた。予感が形を変えて、目の前に現れただけだ。
その時。
「――触り方が、甘いな」
背後から、あの声。旅装の男だ。
「……お前か」
「違う」
即答だった。
「俺なら、こんな痕は、残さない」
嫌な確信が、背筋を這い上がった。この男でないなら、境界に手を出せる別の誰かが、確かにいる。
「つまり」
リーファが言う。
「第三者が……」
「そうだ」
男は、境界の痕を見下ろした。
「見えてるが、分かってない。踏み越えれば、どうなるかを、理解していない」
俺は静かに言った。
「……危険だな」
「危険だ」
男が、珍しく表情を曇らせる。
「境界は、知識じゃなく、姿勢の問題だ。使おうとした瞬間、必ず、歪む」
周囲を調べると、小さな道具の破片が見つかった。簡易的な測定具。だが、王都式でもギルド式でもない。
「……独学か」
「あるいは」
男が言う。
「“教えた者”がいる」
その言葉が、重く落ちた。誰かが、境界を“使えるもの”として認識し始めている。俺が一番、避けたかった方向へ。
「……止めるべきか?」
リーファが、俺を見る。俺は少し考え、答えた。
「まだ、だ。痕跡だけで、人を追うのは、線を越える」
男が、満足そうに頷く。
「いい判断だ。だが」
彼は続ける。
「このまま放置すれば、必ず事故が起きる」
「……分かってる」
だからこそ、力で止めない。管理もしない。だが、見失わない。
森を出る前、俺は一度だけ振り返った。踏み越えられた境界は、もう完全には戻らない。ほんの小さな歪みだ。だが、そこから、人は道を作る。獣道が、いつか街道になるように。
同行した若い斥候が、俺の足の置き方を真似ていた。どこを踏むかを選んでいる、と気づいたらしい。教えた覚えはない。
俺以外の誰かが、境界に手を伸ばし始めた。その手が誰のものなのか、まだ何も分からない。分からないまま放っておくには、この痕は、あまりに真新しかった。
大人が痕跡を数えている横で、子供は別の問いを抱えています。次話、ユイの番です。
真新しい痕を分からないまま放っておけないと思った方は、ブックマークをいただけると励みになります。




