第44話 放置された者たち
記録は、埃をかぶっていた。ギルドの奥、普段は使われない資料棚。
「……こんな場所に、まだ残ってたんですね」
リーファが、小さく息を吐く。
「残ってただけだ。読まれなかった」
それが、正確な表現だった。
発端は、ユイのことだった。“境界が見える子供”。珍しい。だが――前例が、ないはずがない。
「これだ」
一冊の古い報告書を取り出す。年号は、今から二十年以上前。
件名:感覚異常を訴える少年について
所属:辺境第三教区
判定:魔力反応なし
結論:精神的要因の可能性が高い
「……精神的要因」
リーファが、眉をひそめる。俺は、指先で埃を払いながらページをめくった。
補足:
少年は「音が消える」「道が重なる」と証言。
再現性なし。
周囲との意思疎通に問題が生じている。
さらにめくる。最後の記述は、短かった。
経過:
周囲の理解を得られず、家族と衝突。
十六歳で家を出奔。
以降、消息不明。
そこには、名前だけが残っていた。会ったこともない少年の名が、乾いた紙の上から、俺を見上げている気がした。
「……これ」
リーファが、声を落とす。
「ユイと、同じ……」
「ああ」
違うのは、時代だけだ。理解されなかった。説明できなかった。そして――放置された。
「他にも、あります」
リーファが、別の冊子を取り出す。共通点は、同じだった。魔力反応なし。再現性なし。危険性不明。経過観察のすえ、打ち切り。
「……誰も、悪くない」
俺はそう呟いた。当時の人間に、境界という概念はなかった。理解できないものを、扱えるはずもない。
「でも」
リーファが言う。
「誰も、救われてない」
「そうだ」
それが、事実だった。資料を閉じる。乾いた紙の音が、やけに大きく響いた。
「……ユイは」
俺は言う。
「同じ道を、辿らせない」
即答だった。だからといって、特別扱いもしない。守りすぎれば、彼は“世界”から切り離される。それもまた、別の形の放置だ。
帰り道。夕暮れの街で、ユイが店番をしていた。
「あ」
少年が、俺に気づく。
「お兄ちゃん」
「……元気か」
「うん」
迷いのない返事。それが、何より救いだった。
「ね」
ユイが、ぽつりと言う。
「昔も、見えた人いた?」
「いた」
俺は、正直に答える。
「でも、誰も、気づかなかった」
ユイは少し考え、それから、軽く肩をすくめた。
「じゃあ、ぼくは、運がいいね」
その言葉に、胸の奥が、わずかに痛んだ。運がいい――それは、たまたま誰かが、彼の前で“線を踏まなかった”というだけの、細い偶然だ。
「……そうだな」
俺は、それだけ返した。
二十年前の少年は、独りで消えた。ユイは、店の灯の下で笑っている。その違いは、才能でも運命でもない。ただ、気づく者がいたかどうか、それだけだった。
店の主が、勘定を受け取らなかった。あんたが街にいる日は、うちの子を暗くなっても外へ出せる――それだけ言って、奥へ引っ込んでしまう。
だから俺は決める。踏み越えない。だが、目を逸らさない。見えないふりをする側には、二度と回らない。
見えてしまう者の話をしました。次は、見ないでいることを選んだ道の話を。




