第43話 見える者
その依頼は、掲示板の一番下に貼られていた。紙は古く、文字も薄い。だが、なぜか目に留まる。
件名:子供の話を、聞いてほしい
依頼主:東街区・雑貨屋
備考:危険はないと思うが、放っておけない
「……これ」
リーファが、小さく言う。
「討伐でも、調査でもないですね」
「ああ」
だが、“人が取り残されている”。対応基準の一つ目に、合致する。
「行こう」
雑貨屋は、小さな店だった。依頼主は初老の女性で、困ったような、不安なような顔で頭を下げる。
「すみませんね。冒険者さんに、こんなこと……」
「話を、聞くだけでいい」
奥から、子供が出てきた。十歳前後の少年。怯えた様子はない。ただ――落ち着きすぎている。
「……君が?」
少年は俺を見るなり、首を傾げた。
「お兄ちゃん。さっき、いなかったよね」
その一言で、空気が変わった。
「……どういう意味だ?」
「今」
少年は、指で空をなぞる。
「ここ、二重になってる」
リーファが、息を呑む。
「……見えてる?」
「うん」
少年は、あっさり頷いた。
「みんな、気づかないけど。道が、ずれてる」
俺は静かに周囲を見た。魔力は正常。地脈も安定。だが、確かに薄い。境界が、店の中だけわずかに揺れている。
「……いつからだ」
「ずっと」
少年は平然と言う。
「小さい頃から。世界、たまにズレる」
息が、一瞬止まった。俺だけじゃなかったのか、と、指先が冷たくなる。俺はしゃがみ、目線を合わせた。
「怖くないか?」
「うん。でも、分からない人が困る」
その言葉が、妙に重い。
「だから」
少年は続ける。
「お兄ちゃんが来るの、分かった」
「……なぜ?」
「線を、踏まないから」
リーファが、息を詰める。
「線……」
「踏む人は」
少年は言う。
「世界、壊す」
俺はゆっくり立ち上がった。これは、偶然じゃない。
「……名前は?」
「ユイ」
短い名前だ。
「ユイ」
俺は静かに言う。
「ここは、少し危ない」
「分かってる。でも、逃げると、もっとズレる」
その感覚は、正しい。
「……しばらく、俺たちが、見る」
母親代わりの女性が、慌てて言う。
「そんな……この子、普通の子で……」
「普通です」
俺は即答した。
「ただ、見えるだけだ」
それが一番厄介で、一番、救われない違いだった。
店を出る時、ユイがぽつりと言った。
「お兄ちゃん。境界、広がってるよ」
「知ってる」
「でも」
少年は少しだけ笑う。
「まだ、戻れる」
その言葉に、理由のない確信が宿った。
ギルドへ戻る途中、リーファが静かに言った。
「……アレンさん。今まで、“特別”だったのは」
「俺だけじゃ、なかった」
「ああ」
それが分かっただけでも、今日の依頼には価値があった。ずっと一人だと思っていた感覚に、初めて他人の輪郭が重なる。
隣を歩くリーファが、その言葉に何か返しかけて、やめた。代わりに、俺の右側から左側へ、風上になるほうへ回り込む。それだけだった。
だが同時に、俺は嫌なことにも気づいていた。世界は、こういう“見える者”を、これまでずっと見えないふりで通り過ぎてきたはずだ。ユイの前にも、独りで“ズレる世界”に立っていた誰かが、きっといた。その名前を、俺は無性に知りたくなっていた。
珍しい、と誰かが言うとき、たいていは前例が読まれていないだけです。
ユイの「見える」を頭ごなしに否定しなかった大人がいたことに救われた方は、★をひとつ、置いていってください。




