第25話 歪み
王都の夜は、静かだ。灯りは多く、人通りも絶えない。だが、その明るさの裏返しのように、路地の闇はどこよりも深く沈んでいる。
「……くそっ」
カイル・ローデンは、魔術学院の一室で、拳を机に叩きつけた。木の天板が、鈍く鳴る。
昇格の無期限延期。任務評価の失墜。廊下ですれ違うたびに突き刺さる、周囲の視線。すべてが、あの男のせいだった。
――アレン。
かつて見下し、笑って切り捨てた存在。無能。足手まとい。不要な男。そう決めつけていたはずの相手が、今や王都の“切り札”として扱われている。
「……ありえない」
否定したかった。自分の判断が根本から間違っていたなど、認められるはずがない。認めた瞬間、これまでの自分が、まるごと崩れてしまう。
その時、扉が、控えめに叩かれた。
「……誰だ」
「私ですわ」
入ってきたのは、セシリアだった。だが、いつもの余裕は、どこにもない。灯りの下でも分かるほど、顔色が悪かった。
「……家から、連絡がありました」
彼女は唇を噛む。
「推薦枠の、再審査。父も……穏やかでは、ありません」
カイルは舌打ちした。
「……全部、あいつのせいだな」
セシリアは否定しなかった。ただ、俯いたまま、指先で袖口を強く握りしめている。
「アレンは……自分が何をしたか、分かっているのでしょうか」
「分かってるわけがない」
カイルは、吐き捨てる。
「あいつは、運が良かっただけだ。辺境で偶然、力に目覚めただけの、まぐれ当たりだ」
――そうでなければ困る。そう言い切らなければ、自分が立っていられない。
セシリアが、ふと、低い声で言った。
「……なら、その“運”を、奪えばいいのでは?」
カイルが、顔を上げる。
「……何?」
「彼が評価されている理由。それを、壊せばいいのです」
声は静かで、だが妙に据わっていた。追い詰められた者だけが持つ、冷たさだった。
「魔術局は、彼を信用しきっている。なら、その判断が間違いだったと示せば――」
「……待て」
カイルは、背筋を這う嫌な予感に、思わず言葉を挟んだ。
「それは、危険だ。もし失敗すれば……」
「失敗しなければ、いいのですわ」
セシリアは、すっと視線を逸らす。
「このままでは、私たちは落ちる一方です。……何もせずに、ただ落ちるのですか」
沈黙が部屋を満たした。窓の外で夜風が枝を鳴らす。
やがて、カイルは、ゆっくりと笑った。目の奥には、もう光がなかった。
「……そうだな。俺たちは、間違っていない。それを、証明するだけだ」
その夜のうちに、王都の裏側で、小さな囁きが流れ始めた。
「北部街道の異変は、アレン・フェルドが魔力を乱したせいらしい」
「辺境の魔術師は、そもそも制御が甘いんだ」
誰が最初に口にしたのかは、分からない。だが、噂は噂を呼び、尾ひれをつけて膨らんでいく。歪みは、水が低きへ流れるように、静かに、確実に広がっていった。
――一方その頃。
宿に戻った俺は、窓辺に肘をつき、夜空を眺めていた。
「……来ますね」
リーファが隣で静かに言う。
「ああ」
否定はしなかった。
「人ってのは、負けを認められないと、必ず何かをやる。おとなしく退場は、してくれないものだ」
俺は、星の散った空を見上げる。やるなら正面から来い――そう思う。だが、そう思った端から、それが叶わない願いだと分かっていた。あの二人には、もう正面から立つだけの足場が、残っていない。
だとすれば、次に来るのは、真正面からの一撃ではない。もっと見えにくい、搦め手だ。窓の外、王都の灯りの奥で、その最初の火種が、すでに小さく爆ぜ始めている気がした。俺は、油断なく夜の街へ目を凝らした。
搦め手は、噂の形でやってきます。その火種が、次話、アレン自身へ向けられます。
追い詰められた二人が搦め手へ傾いていく場面にぞくりとした方は、一押しをいただけると力になります。




