第17話 邂逅
街へ戻る途中、俺は足を止めた。
「……出てこい」
リーファが、はっとして周囲を見回す。
「アレン? 誰か、いるんですか?」
「ああ。さっきから、隠す気もないやつが一人」
言い終わるより早く、風が逆流した。木々のざわめきが、一拍だけ内側へ吸い込まれる。
次の瞬間、俺たちの前に人影が立っていた。フードを目深に被った、細身の男。背は高く、地に足がついているのに、影の薄さだけが妙に際立つ。立ち姿に、無駄がない。
肌の色。魔力の質。どちらも、人族のそれとは明確に違っていた。魔族だ。
「安心しろ。今日は、戦いに来たわけじゃない」
低く、落ち着いた声だった。リーファが、小さく息を呑む。
「……魔族」
「そう警戒するな。こちらも、無駄な消耗は好まない」
フードの奥から、こちらを“見る”気配がある。敵意はない。だが、それが余計に読めなかった。手のうちを、一枚も見せていない。
「用件は」
俺は一歩も動かず、短く問う。男は、口元だけをわずかに緩めた。
「率直だな。嫌いじゃない」
彼は胸に手を当てる。
「名乗ろう。私は――ゼル=クァル」
聞いたことのない名だ。だが、まとう魔力の密度が、そこらの魔物とは桁が違った。相当な上位。肌がひりつくのでわかる。
「お前が、使い魔を消したな」
「そうだ」
否定する理由はない。
「……見事だった。正直に言う、想定以上だ」
ゼル=クァルは、世辞ではなく淡々とそう言った。リーファが、たまらず口を開く。
「……なぜ、魔物を操るんですか」
魔族はしばし沈黙し、やがて静かに答えた。
「操っている、わけではない。“流れ”を、与えているだけだ」
「流れ?」
「世界が、歪み始めている。放置すれば、人族も魔族も関係なく死ぬ」
俺は、目を細めた。
「……だから、試したのか。俺を」
「そうだ」
即答だった。
「この異変に対抗できる存在がいるか。それを、探していた」
フードの奥の視線が、まっすぐ俺に向く。
「――そして、見つけた」
周囲の空気が、ぴんと張り詰めた。リーファの指先が、俺の袖をかすかに握る。
「俺を、仲間にでもするつもりか」
「誘いではない。確認だ」
彼は、一歩だけ距離を詰めた。リーファが身構える。俺は、腕でそれを制した。
「続けろ」
ゼル=クァルは、低く告げる。
「お前は、境界に立っている。人でもなく、魔族でもなく――“鍵”だ」
その言葉に、みぞおちの奥が、ことりと鈍く軋んだ。心当たりなど、ないはずなのに。
「近いうちに、本当の異変が表に出る。その時、お前は――どちら側に立つ?」
問い。だが、強制の響きはなかった。
俺は、少し考えてから答えた。
「……俺は、俺の守りたいものの側に立つ」
ゼル=クァルは僅かに目を細め――そして、笑った。
「いい答えだ」
風が、強く吹き抜ける。
「今日のところは、ここまでだ。次に会う時は――もっと、面倒な状況だろうな」
言い終える頃には、彼の輪郭は陽炎のように揺らいでいた。瞬きひとつのあいだに、ゼル=クァルの姿は掻き消える。
あとには、いつもの森の静けさだけが戻ってきた。
リーファが、ゆっくりと息を吐く。
「……敵、なんですよね?」
「分からない」
それが、正直な答えだった。
「少なくとも、単純な悪じゃない。あんな言い方をする悪党は、そういない」
空を見上げる。雲が、ゆっくり流れていく。
辺境の小さな異変、で片付けられる話ではなくなった。“境界”。“鍵”。耳に貼りついたその言葉を、俺はまだ持て余していた。
だが、いま考えても答えは出ない。俺はリーファを促し、街の灯りの見える方へ歩き出した。ゼル=クァルの言う「近いうち」が、思ったより早く来る予感だけが、背中に残っていた。
“境界”。“鍵”。持て余したままの言葉を抱えて街へ戻った彼を、今度は別の“呼び出し”が待っています。




