第108話 正しさの代償
その村は、地図から消えていた。
「……ここ、のはずです」
若い技師が、手元の結晶板を見ながら言う。
ミレナは、周囲を見渡す。
建物はある。
畑もある。
井戸もある。
だが——
人がいない。
気配が、ない。
「避難……したわけじゃないな」
リーファが静かに言う。
荒らされた様子はない。
戦闘の跡もない。
ただ、
使われなくなったまま、
時間だけが過ぎている。
「……どこに行った」
若い冒険者が呟く。
答えは、
すぐに見つかった。
村の外れ。
古い杭の近くに、
荷車の跡が残っている。
「移住、か」
「いつ?」
「数日前でしょう」
技師が言う。
「記録上、この地域は——」
言葉が止まる。
「境界発生、ゼロです」
沈黙。
ゼロ。
それは、安全を意味するはずだった。
だが——
「……来なくなったんだな」
アレンが言う。
「何がです?」
「全部だ」
境界が来ない。
だから、管理も来ない。
冒険者も来ない。
商人も来ない。
人の流れが止まる。
理由がなくなる。
そして——
残る理由もなくなる。
ミレナが、ゆっくり歩く。
家の中。
生活の跡が、そのまま残っている。
急いで出たわけではない。
計画的に、
静かに、
離れていった。
「……安全なのに」
ぽつりと呟く。
「安全だから、だ」
アレンが答える。
全員が見る。
「境界が来ない場所は」
「何も起きない場所になる」
「何も起きなければ」
「人は来ない」
「人が来なければ」
「残る理由が消える」
単純な連鎖。
だが、
止められない。
若い冒険者が、拳を握る。
「でもよ……」
「危険がないなら、それでいいじゃねえか」
「いい」
アレンは否定しない。
「だから、こうなった」
その言葉に、
誰も返せない。
村は、壊れていない。
襲われてもいない。
ただ——
消えた。
正しい選択の積み重ねで。
ミレナが、杭に触れる。
「……ここ、昔は境界が通ってた」
誰もいない場所で、
小さな声が響く。
「危なかった」
「でも」
「人はいた」
今は——
安全だ。
そして、無人だ。
遠くで、
管理網の光が見える。
あそこは、守られている。
人もいる。
物も流れる。
こちらは、ない。
ただそれだけの違い。
「……これが」
ミレナが、ゆっくり言う。
「収束、ですか」
アレンは、少しだけ考える。
「一つの形だ」
収束。
ばらつきを減らす。
選択肢を減らす。
無駄を削る。
その結果——
残るものと、
消えるものが分かれる。
若い技師が、震える声で言う。
「でも、これ……」
「誰も悪くないですよね」
その通りだった。
管理も正しい。
住民も正しい。
判断も正しい。
だからこそ——
止められない。
ミレナが、静かに言う。
「正しいのに」
「減っていく」
その言葉が、
この場所のすべてだった。
風が吹く。
誰もいない村を、
ただ通り過ぎる。
境界は、もう来ない。
危険もない。
だが——
何も生まれない。
正しさは、
世界を守る。
同時に、
世界を削る。
それが、
ここに残された現実だった。
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