1-32:感謝
――夢を見た。
「……ここは?」
柔らかな光が満ちる空間。
どこまでも白く、どこまでも静かな世界。
あれ……? ここ、前にも来たような気がする……。
リアは辺りを見回す。
すると、少し離れた場所に、一人の少女が立っていた。
長い髪。
華奢な身体。
どこか寂しそうな背中。
「えっと……誰?」
リアは声を掛ける。
しかし少女は答えない。
ただ静かにこちらを見つめているだけだった。
「聞こえてる?」
近付こうとして、リアは足を止めた。
「……あれ?」
よく見る。
よく見て――気付いた。
その少女は。
「私……?」
そう。
そこにいたのはリア自身だった。
けれど何かが違う。
鏡に映った姿とも違う。
もっと儚くて。
もっと遠い存在のように見えた。
少女がゆっくりと口を開く。
「……あり……がと……」
かすれた声。
ほとんど聞こえないほど小さな声。
「え?」
聞き返そうとした瞬間、少女の姿が光に溶けていく。
「待って!」
手を伸ばす。
だが届かない。
そして――。
世界が白く弾けた。
◇◇◇
「……さま」
誰かが私を呼んでいる。
「――お嬢様」
聞き慣れた優しい声が聞こえる。
「お目覚めになられましたか!」
「……ん……」
ゆっくり目を開く。
視界に飛び込んできたのは黒髪の美人メイドだった。
「ミゾレ……?」
「はい!」
その声はどこか嬉しそうだった。
リアはぼんやりと天井を見る。
「ここは……?」
「お嬢様のお部屋でございます」
「部屋……?」
そこで少しずつ記憶が戻る。
「あ」
「思い出されましたか?」
「私、倒れたんだっけ……」
ミゾレが頷く。
「はい」
ミゾレは微笑んだ。
だが、その笑みはどこか弱々しい。
「正直申し上げますと、今、とてもほっとしています」
「そうなの?」
「はい……もし、またお嬢様が目を覚ましてくださらなかったらどうしようと、ずっと考えておりました」
「ミゾレ……」
「七日間、お眠りになられた時のことを思い出してしまいまして……」
ミゾレはそっとリアの手を握る。
「ですから……今こうしてお話しできるだけで、本当に安心しております」
その声は震えるほどではない。
けれど、どれほど心配していたのかは十分に伝わるものだった。
そしてミゾレは表情を改めて、私に尋ねてきた。
「お嬢様、お目覚めになられて直ぐで大変申し訳ないのですが……」
「ん?」
「あの魔法……あの不思議な現象について、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「不思議な現象?」
「はい――お嬢様が皆様の前で歌われた、あの舞台での事でございます」
ミゾレの瞳が真剣になる。
「どのようにして皆を回復し、そして魔人、魔獣達の呪いを解いたのですか?」
「うーん……」
リアは困ったように首を傾げた。
「正直、私にもよく分からないんだよね」
「分からない……ですか?」
「うん」
リアは苦笑する。
「ただね」
胸に手を当てた。
「みんなを助けたいって思ったの。そして――」
ゆっくりとミゾレの顔を見る。
「ミゾレを助けたいって強く願ったの」
その時のことを思い出す。
「そしたら、いつの間にか大きな会場でライブ……歌を歌ってたの」
「……」
「だから本当に分からないんだ」
ミゾレは静かに頷いた。
「そうですか……」
納得したように返事をしたが、その時ミゾレの内心は激しく揺れていた。
(あれほど大規模な結界魔法……)
常識外れだった。
(空間そのものを書き換えたような世界……)
聞いたこともない。
(あの異常なまでの回復魔法……)
瀕死だった者達が全快した。
(さらに魔王の呪いすら解呪した……)
神聖魔法の域を超えている。
もはや。
(神の領域……)
そんな力を、なぜリアが。
(お嬢様は一体――)
「ミ……ミゾレ?」
「っ!」
ハッと顔を上げる。
「大丈夫?」
心配そうな顔をしたリアが覗き込んだ。
「難しい顔してるよ?」
「も、申し訳ございません」
ミゾレは慌てて頭を下げた。
「少し考え事をしておりました」
「そっか」
リアは安心したように笑う。
その笑顔を見て、ミゾレは改めて姿勢を正した。
「お嬢様」
「ん?」
「改めてお礼を申し上げます」
深々と頭を下げる。
「この度は助けていただき、本当にありがとうございました」
リアは目を丸くした。
「え?」
「私だけではありません」
ミゾレの声が震える。
「王国の皆も……全員、お嬢様によって救われました」
それを聞いたリアは首を横に振った。
「ううん、違うよ」
「お嬢様?」
「お礼を言うのは私の方」
柔らかく微笑む。
「王国のため、そして私のために一生懸命戦ってくれて、本当にありがとう」
そして、とびっきりの笑顔で言った。
「ミゾレ、大好きだよっ!!」
その言葉を聞いた瞬間、ミゾレの瞳が潤んだ。
「お嬢様……」
次の瞬間。
ぎゅうっ。
「わわっ!?」
リアへ抱き付く。
「ミゾレ!?」
「昔も……そして今回も……」
震える声。
「お嬢様は私を助けてくださいました」
涙を浮かべながら笑う。
「本当に……お嬢様は私にとって天使のようなお方です」
「て、天使!?」
リアは顔を真っ赤にした。
てか近い近い近い近いっ!!
なんかめっちゃ顔近くない!?
頭の中が大混乱になる。
すると――
ミゾレが目を閉じて、私の頬に手を置き、ゆっくり顔を近づけてきた。
ん……?
え……え……これ……ひょっとして私、今、キスされようとしてない?
え……ええええええええええええええええっ!?
ちょっ……ちょっと待って!?
私、生まれてから今日までキスなんてした事ないんですけどっ!?
それに初めてのキスが、こんな絶世の美女と!?
いやいやいや、そうじゃないだろ、私!!
と、一人で勝手に慌てている間にも、ミゾレの顔は少しずつ近付いてくる。
しかし、その瞳には、まだ消えきらない涙の名残があった。
それを見た瞬間、私はようやく理解する。
――この人は、本当にリアのことが好きなんだ。
心の底から心配して。
誰よりも大切に想っている。
その想いが痛いほど伝わってきて、胸の奥がじんわりと熱くなる。
気付けば私は、ミゾレという人をとても愛おしく思っていた。
こんなにも真っ直ぐで、優しくて、一途なこの人となら、キスしてもいいかもしれない。
……いや。
むしろ、したいと思っている。
そう思い、私も目を閉じてミゾレの口唇に自分の口唇を重ねようとした。
その瞬間ーー
バァンッ!!
部屋の扉が勢いよく開いた。
「おい! 入るぞ!」
「ひゃあっ!?」
リアが飛び上がる。
そこに立っていたのは、ガロウだった。
「ガ……ガロウさん!?」
そして。
「チッ」
ミゾレが小さく舌打ちした。
(ミ……ミゾレさんっ!? 今、舌打ちした!?)
私は心の中で全力ツッコミを入れた。
しかし、ミゾレは怖いくらい笑顔だった。
だが目が笑っていない。
「何かご用でしょうか、ガロウ様」
妙に低い声だった。
ガロウは吹き出す。
「あれ、お邪魔しちまったか?」
ミゾレの機嫌がさらに悪くなってるのがわかった。
「え、えっと……ガロウさん、でいいんだっけ?」
リアが恐る恐る声を掛ける。
するとガロウは真面目な顔になった。
そしてリアの前まで歩き、その場で跪いた。
「改めて礼を言わせてくれ」
ガロウはゆっくりと頭を下げた。
かつて敵として世界を震わせた男とは思えないほど、真摯な態度だった。
「アンタのおかげで俺達は救われた」
低く響く声に嘘はない。
その言葉には、仲間達を失い続けてきた男だからこその重みがあった。
「本当にありがとう」
「そ、そんな大げさな……」
リアは慌てて両手を振る。
自分はただ歌っただけだ。
そんな大層なことをしたつもりはない。
「大げさじゃねぇ」
ガロウは小さく笑った。
だが、その笑みはどこか寂しげだった。
「俺達はずっと諦めてたんだ」
失った故郷も。
死んでいった仲間達も。
奪われた未来も。
二度と取り戻せないものだと思っていたのだろう。
「だからよ」
ガロウは真っ直ぐリアを見つめる。
「もう一度生きる希望をくれたアンタには、どれだけ感謝しても足りねぇんだ」
リアは少しだけ目を伏せた。
私の歌が、誰かの希望になれた。
その事実が胸の奥へじんわりと染み込んでいく。
歌ってよかった。
心からそう思えた。
「今日、この王宮に来たのは、こうやって直接アンタにお礼を言いたかったのと、国王陛下との会談があったからなんだ」
「そうなんだ」
「ああ。さっきまで国王陛下と今後の話をしていたんだ」
「今後?」
「そうだ」
ガロウは頷く。
「帝国軍は正式にルミナリア王国の傘下に入ることになった。そして、国境警備、魔物討伐、復興支援などの王国の依頼要請があれば、全部引き受けるようになったんだ」
「へぇ……」
「それが俺達の償いだからな」
リアは嬉しそうに微笑んだ。
するとガロウが続ける。
「それともう一つ」
「?」
「俺は今日からアンタの護衛隊長になった」
「えぇぇぇぇぇっ!?」
リアが飛び上がる。
そして、何故かミゾレはムスッとしていた。
「なんで!?」
「国王陛下の命令だ」
ガロウは肩を竦める。
「今後もこの国を狙って襲撃してくる輩が現れるかもしれない。その時に、この国の宝である我が娘、リアを守る存在が必要だって国王陛下が言ってたのさ」
「でもガロウさんみたいな凄く強い人なら、お父さんの護衛の方が良くない?」
すると、ガロウは少し照れたように頭を掻いた。
「それはな」
リアの手を取る。
「俺が志願したんだ」
「へ?」
「俺はアンタのファンになった」
真っ直ぐな視線。
「だから俺にアンタを……いや、貴方を守らせてほしい」
リアの顔が一気に赤くなる。
な……急にイケメンにそんなこと言われたら照れるんだけど!?
や……ヤバい、心臓の鼓動がかなり早い。
これ、少女漫画とかでよく見るシーンじゃん!?
こんなのトキめかない方がおかしいって!!
そんな感じで一人、頭の中で大騒ぎしていると……
ドンッ。
ミゾレが私とガロウさんの間に割り込んだ。
「安心して下さい。お嬢様には私がおります」
ミゾレは相変わらず怖いぐらい笑顔だった。
だが圧が凄い。
「だから貴方は必要ありませんので、庭の草でもむしっていてください」
「おいおい、そりゃ酷いぜ。メイドさんよぉ」
ガロウが苦笑する。
「これからは俺もお嬢を守るんだ」
「お嬢?」
リアが首を傾げる。
「ああ」
ガロウは笑った。
「アンタは俺達のボスみたいな存在だ。だから、これからは『お嬢』と呼ばせてもらうぜ」
お嬢って……。
その呼び方だと私、何かヤクザのボスみたいだなっ!
心の中で全力でツッコんだ。
「もう用は済んだでしょう」
ミゾレが扉を指差す。
「それでは、早くお帰りください」
「おいおい、追い出す気満々だな……」
ガロウは呆れながら立ち上がった。
「仕方ねぇ」
そう呟き、渋々と扉へ向かう。
「今日はここで退散するぜ」
そして振り返り、いつもの豪快な笑みを浮かべた。
「じゃあまたな、お嬢」
豪快な笑みを浮かべたまま、ガロウはひらりと片手を振る。
そして踵を返し、そのまま部屋を後にした。
重厚な扉がゆっくりと閉じていく。
ガチャリ――。
小さな音が響き、扉が完全に閉ざされた。
途端に部屋を包む静寂。
つい先ほどまで響いていた豪快な笑い声も、荒々しい口調ももう聞こえない。
残されたのは、どこか不思議な余韻だけだった。
リアは閉じられた扉をしばらく見つめる。
「……行っちゃった」
ぽつりと呟く。
つい先日まで敵として刃を交えていた相手。
国を脅かした侵略者。
それなのに――。
今はもう、その背中を見送ることに寂しさすら覚えていた。
リアは胸の奥に残る不思議な感情を抱えながら、静かに息を吐いた。




