1-30:和解
――暗い。
どこまでも。
果てしなく。
光一つ存在しない闇が広がっていた。
何も見えない。
何も聞こえない。
自分が立っているのか、浮いているのか、それすら分からない。
身体の感覚は曖昧で。
思考だけが、闇の中をゆっくりと漂っていた。
(私は……)
ぼんやりと意識を巡らせる。
ひどく遠く。
ひどく霞んだ感覚。
(負けた……のでしょうか……)
最後の記憶が蘇る。
圧倒的だった。
抗うことすら許されないほどに。
ガロウの猛攻。
砕かれていく身体。
引き裂かれる意識。
そして――闇。
(ああ……)
理解する。
自分は敗れたのだと。
その事実に恐怖はなかった。
死を受け入れたわけでもない。
ただ。
(お嬢様……)
胸の奥が締め付けられた。
その顔を思い浮かべた瞬間、言いようのない痛みが走る。
守れなかった。
お側にいると誓ったのに。
この身の全てを懸けてお守りすると決めたのに。
最後まで立ち続けると誓ったのに。
結局、自分は届かなかった。
力が足りなかった。
(申し訳……ありません……)
唇を動かしたつもりだった。
だが、声は出ない。
謝罪の言葉だけが、静かに闇へ溶けていく。
(私は……)
ゆっくりと沈んでいく。
深く。
深く。
底の見えない闇の底へ。
意識が薄れていく。
存在そのものが消えていくような感覚。
――このまま終わるのだろう。
そう思った、その時だった。
不意に。
遠くから、微かに何かが聞こえた。
――♪
そして、誰かの歌声が聞こえた。
「……?」
微かだった。
だが確かに聞こえる。
優しく、暖かく、どこか懐かしい歌声。
「この歌声は……」
胸が高鳴る。
知っている。
忘れるはずがない。
「リア……お嬢様……?」
その瞬間だった。
パァァァァァァァッ――!!
暗闇の中へ一筋の光が差し込んだ。
まるで夜明けだった。
閉ざされていた世界が開いていく。
暖かな光が全身を包み込む。
冷たかった身体が熱を取り戻していく。
心が満たされていく。
歌声が近付いてくる。
光が広がる。
「ここは……」
そしてミゾレはゆっくりと目を開いた。
「――っ!?」
ミゾレは思わず絶句する。
目の前に広がっていたのは戦場ではなかった。
巨大なステージ。
無数の照明。
色鮮やかな光。
空間を埋め尽くす音楽。
そして。
「お嬢様!?」
スポットライトの中心で、リアが笑顔で歌いながら踊っていた。
純白のアイドル衣装を見に纏い、背中には光の翼を生やしているリアの姿は、まるで天使だった。
「な、何をなさっているのですか!?」
思わず叫ぶ。
だが、全力で歌っているリアには届かない。
「いえ、それよりも……」
そこでミゾレは気付く。
自分の身体の異変に。
「……え?」
腕を動かす。
痛みがない。
脚を動かす。
問題なく動く。
胸元に触れる。
あれほど深かった傷が消えている。
「治っている……?」
信じられなかった。
自分は瀕死だったはずだ。
まともに立てる状態ではなかった。
それなのに、今は何事もなかったかのように身体が動く。
「そんな……」
周囲を見渡し、そして再び絶句した。
「なっ……」
王国軍の兵士達。
傷付いていた騎士達。
倒れていた者達。
全員が立ち上がっていた。
しかも傷一つない。
「私だけではない……?」
理解が追いつかない。
一体何が起きているのか。
唖然としていた、その時だった。
「目覚めたか」
低い男の声が隣から聞こえた。
「――!」
ミゾレは反射的に振り向く。
そこにいたのは。
「ガロウ!!」
瞬時に戦闘態勢へ移行し、殺気を放つ。
「待て待て」
ガロウは両手を上げた。
「俺達はもう戦うつもりはねぇ」
「信用できません」
ミゾレの警戒は解けない。
当然だった。
先ほどまで命の奪い合いをしていた相手なのだから。
するとガロウは苦笑しながら顎をしゃくった。
「なら、アレを見てみな」
「?」
ミゾレは視線を向ける。
そして。
「――っ!?」
ミゾレは目を見開いた。
視界に飛び込んできた光景が信じられなかった。
そこには獣人達がいた。
エルフ達がいた。
そう――かつて魔人へと堕とされた者達がいたのだ。
さらには魔獣だったと思われる動物達の姿まである。
種族も境遇も関係ない。
そこにいる全員が――笑っていた。
楽しそうに。
幸せそうに。
心の底から。
手拍子が響く。
歓声が上がる。
人々は音楽に身を委ねるように身体を揺らし、その表情には生気が満ちていた。
まるで本物のライブ会場だった。
「これは……一体……」
ミゾレは呆然と呟く。
あまりにも現実離れした光景だった。
その隣で、ガロウが困ったように笑う。
「さぁな。正直なところ、俺にも分からねぇ」
ぽりぽりと頭を掻く。
「気が付いた時には、こうなってたんだ」
そう言って空を見上げる。
黄金の光の中で歌い続ける少女へ視線を向けた。
「あの歌を聴いていたらよ――」
ガロウは静かに続ける。
「俺達は本来の姿を取り戻していた」
その声には、かつての荒々しさはない。
どこか穏やかな響きがあった。
「そして、失っちまってた感情を……」
ガロウは小さく笑う。
懐かしいものを思い出すように。
一度は失い、二度と戻らないと思っていた感情を噛み締めるように。
「心の底から楽しいと思える心を、あいつは取り戻してくれたんだ」
その言葉を聞きながら、ミゾレは改めて周囲を見渡す。
そこにいる誰もが笑っていた。
ただ歌を聴き、同じ時間を共有できることを喜ぶように。
その光景はまるで――奇跡そのものだった。
「お嬢様の歌声で……そんなことが……」
ミゾレは目を見開く。
驚愕。
動揺。
誇らしさ。
様々な感情が入り混じる。
するとガロウが言った。
「あの少女がお前の主人か」
ガロウはステージの上で楽しそうに歌っている少女へ視線を向ける。
その眼差しに敵意はなかった。
あるのは純粋な興味と、わずかな敬意。
「なるほどな……」
小さく息を吐く。
「お前が命を懸けてまで守ろうとする理由が分かったぜ」
心から納得したように。
そして感心したように。
「あの少女は本当にすげぇ奴だ。まるで天使……いや、女神のような女だ。お前がそこまで惚れ込むのも無理はねぇ」
ガロウはそう呟いた。
その言葉に、ミゾレはわずかに胸を張る。
「もちろんでございます」
即答だった。
その声音には一片の迷いもない。
まるで自分のことを褒められるよりも嬉しいと言わんばかりに。
「お嬢様は世界で一番可愛い――ではなく」
一瞬言い間違えた。
「世界で一番素晴らしく、凄いお方なのです」
一拍。
沈黙。
そして。
「ぶはははははははっ!!」
ガロウが盛大に吹き出した。
「やっぱりおもしれぇよ、お前!」
腹を抱えて笑う。
ミゾレは不満そうに眉をひそめた。
「何がおかしいのでしょうか」
「いや、別に悪い意味じゃねぇ」
ガロウは笑いながら首を振る。
「しかし、本当に何もかも意味不明だな、こりゃ」
周囲を見渡す。
「急に戦場が変な場所になって、呪いが解けて、そして死にかけてた奴らが全員元気になってる」
肩を竦める。
「訳の分からねぇ事だらけだ」
そして、楽しそうに歌う少女へ視線を向けた。
「だが、一つだけ確かな事がある」
ガロウは静かに言う。
「俺達は、この少女に助けられた」
その言葉に、ミゾレは自然と笑顔になった。
「そうですね」
自然と口元が緩む。
誇らしかった。
胸を張って言える。
自分の主人は誰よりも優しく、誰よりも眩しい人だと。
その人に仕え、その背中を追い続けられることが、心の底から誇らしかった。
その時だった。
ステージの上でリアが元気よく叫ぶ。
「みんなー!!」
観客席から歓声が上がる。
「次の曲が最後の曲だよーーー!!」
おおおおおおおおおっ!!
会場が大歓声に包まれる。
ガロウは豪快に笑った。
「じゃあ俺達も最後まで楽しむかぁ!」
ミゾレも笑顔で頷く。
「ええ!」
そして。
リアがマイクを握る。
スポットライトが集まる。
歓声が響く。
手拍子が鳴る。
王国兵も。
帝国兵も。
獣人も。
エルフも。
動物達でさえも。
全員が一つになっていた。
戦争は終わっていた。
今この瞬間だけは、ただ一人の少女の歌を楽しむ観客として、皆が笑顔になっていた。
「それじゃあ最後の曲、いっくよーーー!!」
歓声が爆発する。
そしてリアは、最高の笑顔で最後の曲を歌い始めた。




