1-29:1st LIVE
ガロウの全身に戦慄が走った。
「な……」
喉が震える。
呼吸が乱れる。
理由は分からない。
だが本能が叫んでいた。
逃げろ、と。
あれに逆らうな、と。
生物としての本能が、魂そのものが警鐘を鳴らしていた。
空から降りてくる少女を見上げながら、ガロウは無意識に後退る。
「何なんだ……その力は……」
額から汗が流れ落ちる。
これまで数え切れないほどの強敵と戦ってきた。
魔王とも戦った。
怪物とも戦った。
だが――
こんな感覚は初めてだった。
まるで世界そのものを相手にしているような。
そんな圧倒的な威圧感。
そして、少女が静かに口を開いた。
「――《神域創造》」
その瞬間、一瞬にして世界から光が消えた。
「――!?」
昼だったはずの空が闇に包まれる。
太陽が消えた。
空が消えた。
戦場が消えた。
王宮も。
瓦礫も。
全てが闇へ沈んでいく。
「な、何が起こった!?」
ガロウが叫ぶ。
周囲を見回す。
だが何も見えない。
闇。
ただ闇だけが広がっていた。
「幻覚魔法か!? いや……違う」
ガロウの顔が引き攣る。
「空間そのものが書き換わってやがる……!」
その時だった。
――ジャーンッ!!
突然、聞いたこともない音楽が鳴り響いた。
「なっ……何だ!?」
ガロウが固まる。
次の瞬間。
パァァァァァァァッ!!
無数のライトが灯った。
闇を切り裂くように。
赤。
青。
白。
金。
色とりどりの光が空間を照らし出す。
そして戦場だったはずの場所には、いつの間にか巨大な舞台が出現していた。
黄金と純白で彩られた超巨大ステージ。
頭上には無数の照明装置。
空中には光のスクリーン。
観客席のように階段状に並ぶ巨大な座席。
天井には星空を思わせる無数の光球が浮かび、流星のように光の粒子が舞っている。
まるで神々が観客となるために造り上げた夢の劇場。
現実離れした幻想空間だった。
「…………」
ガロウは言葉を失った。
王国兵も。
帝国兵も。
全員が固まっている。
理解が追い付かない。
すると、スポットライトが一点へ集まった。
その中心で、一人の少女が笑顔で手を振っていた。
「みんなー!!」
空間に、元気いっぱいの声が響いた。
「今日は私の1st LIVEに来てくれてありがとーーー!!」
戦場が静まり返る。
「…………」
「…………」
「…………」
誰も反応できない。
当然だった。
ついさっきまで殺し合いをしていたのだから。
だがリアは気にしない。
満面の笑みを浮かべる。
そして、その姿は先程までの神聖な姿とは少し違っていた。
純白を基調としたアイドル衣装を身に纏っていた。
胸元には黄金のリボン。
スカートは何層にも重なるフリルで彩られ、その裾には光の粒子が星屑のように散っている。
肩には小さな天使の羽を模した装飾。
腰には金色の宝石を埋め込んだベルト。
膝上まで伸びる純白のブーツにも金の紋様が刻まれていた。
そして背中では、光で出来た巨大な羽がゆっくりと広がっている。
神々しさと可愛らしさ。
その両方を兼ね備えた奇跡のような衣装だった。
リアは深呼吸する。
胸に手を当てる。
そしてマイクを握った。
「それでは早速聴いてください!」
不安はある。
本当に上手くいくのか分からない。
けれど、リアは考えた。
どうすれば皆が幸せになれるのか。
どうすれば皆が笑顔になれるのか。
どうすれば争いを止められるのか。
そして思い出した。
前世の事を。
私は前世でアイドルだった。
歌って。
踊って。
笑って。
たくさんの人を元気にしていた。
もちろん、この方法で本当に皆んなを救えるかなんて分からない。
戦争を止められる保証もない。
だけど――
アイドルは奇跡を起こす存在だ。
誰かを笑顔に出来る存在だ。
辛い時に背中を押せる存在だ。
だから、今だけは信じたい。
私の歌を。
私の夢を。
私の願いを。
そして何より――
皆の笑顔を。
リアは大きく息を吸う。
黄金の瞳が真っ直ぐ観客達を見つめる。
王国兵も。
帝国兵も。
ガロウも。
ミゾレも。
全員へ向けて。
「――《Shiny Ray》!!」
音楽が高らかに鳴り響く。
リアは全力で歌い始めた。
皆を笑顔にするために。
皆を幸せにするために。
そして、誰一人諦めない未来を掴むために――。
◇◇◇
「なんだ……これは……」
ガロウは呆然と立ち尽くしていた。
理解が追いつかない。
気づけば、いつの間にか戦場がライブ会場になっていて、敵も味方も歌を聴いている。
そして、先ほどまで神々しいオーラを放っていた少女が笑顔で歌っている。
意味が分からない。
分かるはずがなかった。
「ふざけるな……!」
ガロウが牙を剥く。
殺意が蘇る。
理解できないなら壊せばいい。
いつだってそうしてきた。
「全てぶっ壊してやる!!」
大地を踏み砕こうとする。
リアへ飛び掛かろうとする。
しかし。
「……は?」
動かない。
足が。
腕が。
身体が。
まるで力が入らない。
「な、何故だ……?」
膝が震える。
全身から力が抜けていく。
暴れようとするほど身体が重くなる。
「何故、身体が動かないっ……!」
ガロウは荒々しく拳を握る。
拳を握った、その瞬間。
「――なっ」
思考が停止した。
握り締めた拳に、あるべき異形の爪がない。
それだけではない。
黄金の毛並みも。
膨張した筋肉も。
圧倒的な力を宿した獣の腕も。
全て消えていた。
代わりにそこにあったのは――
見慣れた、自分本来の腕だった。
「馬鹿な……」
震える声が漏れる。
「《魔核解放》が……解除されてる……?」
あり得ない。
強制解除など不可能なはずだ。
あの術は自分で解除する、もしくはそのまま死ぬか。
それ以外に終わる方法など存在しない。
「なんだよ……これ……」
ガロウの顔から血の気が引く。
そして周囲を見渡した、その瞬間。
さらなる光景が目に飛び込んできた。
「――っ!!」
魔人達の身体が光っていた。
黒く変色していた皮膚。
歪んだ角。
異形化した肉体。
それらが少しずつ消えていく。
まるで何かを浄化するように。
優しい光が全身を包み込んでいる。
「お、おい……」
誰かが震える声を漏らす。
「俺の身体が……」
帝国兵達も目を見開く。
そして、凶暴な牙を剥いていた魔獣達の姿も変化していた。
濁った瞳が澄み始める。
黒く染まった毛並みが本来の色を取り戻していく。
その光景はまるで――
呪いそのものが剥がれ落ちていくようだった。
「あり得ねぇ……」
ガロウは震える声で呟いた。
目の前で起きている光景が信じられない。
「そんな馬鹿な……」
リアの歌声が空間を満たす。
優しく。
暖かく。
まるで世界そのものが慈しみに満ちていくかのような旋律。
「絶対に解けないはずなんだ……」
ガロウの顔から血の気が引いていく。
「魔王がかけた呪いだぞ……! 今まで、誰一人として破れなかった呪いなんだぞ……!」
ガロウは知っている。
この呪いがどれほど恐ろしいものか。
「それを……歌で解いてるだと……?」
にわかに信じられなかった。
だが、現実は残酷なほど明白だった。
そして光が弾ける。
パァァァァァァッ――!!
次々と魔人達の身体が元へ戻っていく。
異形の姿が消える。
歪みが消える。
呪いが消える。
そして一人、また一人。
本来の姿を取り戻していった。
「……嘘だろ」
ガロウは呟く。
目の前で起きている光景を受け入れられなかった。
何年も続いた絶望。
誰も覆せなかった呪い。
それが、たった一人の少女の歌によって崩れている。
有り得ない……絶対に有り得ない。
そう思った、その時だった。
「――っ!」
今度はガロウ自身の身体が光り始めた。
胸の奥が熱い。
苦しい。
だが嫌な感覚ではない。
まるで、長い間身体に食い込んでいた棘が抜けていくような、魂に絡み付いていた鎖が解けていくような、そんな感覚だった。
「これは……」
胸に手を当てる。
すると、リアの歌声がまっすぐ心へ届くのを感じた。
暗闇しかなかった場所へ。
冷たく凍り付いていた心へ。
一筋の光が差し込む。
暖かい、本当に暖かかった。
そして、ずっと昔に失くしてしまったと思っていた感情が、胸の奥で静かに息を吹き返す。
「……あ」
不意に、脳裏へ懐かしい光景が浮かんだ。
今は無き故郷。
気の置けない仲間達。
馬鹿みたいな話で盛り上がった夜。
一緒に囲んだ食卓。
くだらない喧嘩。
そして、その後に皆で笑い転げた日々。
魔王に侵略される前。
呪いに蝕まれる前。
まだ何も失っていなかった頃の記憶。
「そう……だったな……」
ガロウは呆然と呟く。
思い出した。
自分は昔からこんな怪物ではなかった。
仲間と笑い合うのが好きだった。
強くなることも、戦うことも好きだった。
だが、それ以上に。
皆と過ごす何気ない毎日が好きだった。
それなのに。
いつからだろう。
怒りだけが残った。
憎しみだけが心を支配した。
戦うことしか分からなくなった。
奪われたものを数え続けることしかできなくなった。
気づけば、自分が何を失ったのかさえ忘れていた。
けれど――。
少女の歌声を聴いていると、凍てついていた心が少しずつ溶けていく。
胸の奥から、温かな何かが込み上げてくる。
「これが……」
視界が滲んだ。
頬を伝う雫が、ぽたりと地面へ落ちる。
「これが、本当の……」
涙だった。
何年ぶりかも分からない。
いや、もしかすると呪われてから初めて流した涙かもしれない。
ガロウはゆっくりと空を見上げる。
眩い光の中心。
世界を照らすように歌い続ける少女の姿があった。
その姿を見つめながら、ガロウは震える声で呟く。
「……楽しい」
まるで、初めてその言葉を知った子供のように。
「これが本当の……『楽しい』って感情だったな……」
そう呟き、ガロウは静かに涙を流した。




