1-28:覚醒
リアは走っていた。
ただひたすらに。
涙を流しながら。
呼吸も乱れ。
足がもつれそうになっても。
転びそうになっても。
止まれなかった。
「ミゾレ……!」
助けなきゃ。
今すぐ。
早く。
早く。
早く――
その想いだけがリアを突き動かしていた。
周囲の景色など見えていない。
どこを走っているのかも分からない。
ただ無我夢中で駆け続ける。
その時だった。
『――汝……欲スルカ……』
「……え?」
突然、頭の中へ直接響くような声が聞こえた。
低く、重く、どこか人間離れした声。
『汝……欲スルカ……』
「だ、誰……?」
リアの足が止まる。
そこでようやく我に返った。
荒い呼吸を整えながら周囲を見る。
そして。
「ここ……は……?」
リアは目を見開いた。
目の前に巨大な扉があった。
王宮の地下深くに存在する、誰も近付くことを許されない禁域。
封印区画。
その最奥に存在する巨大な封印扉の前にいたのだった。
「どうして……私……」
ここにいるの?
避難所からここまで来るには長い距離がある。
なのに、どうやって来たのか思い出せない。
『汝……欲スルカ……』
再び声が響く。
今度ははっきりと分かった。
声は扉の向こうから聞こえている。
リアは震える手で扉を見つめた。
『汝……欲スルカ……』
まるで誘うように。
まるで呼びかけるように。
声は何度も繰り返される。
リアは無意識に手を伸ばした。
そして――
扉へ触れる。
その瞬間。
ゴォォォォォォォォォ!!
巨大な扉が眩い光を放った。
「きゃっ!?」
目を開けていられないぐらいの凄まじい光。
そして次の瞬間。
光がリアの身体を包み込む。
「え……!?」
身体が浮いた。
吸い込まれる。
扉の向こうへ。
まるで光に飲み込まれるように。
そして、リアの姿は消えたのだった。
◇◇◇
「こ……ここは?」
気付くと、そこは真っ白な世界だった。
「……」
何もない。
床も。
壁も。
天井も。
全てが白い。
果ての見えない空間。
ただそれだけが広がっていた。
「ここ……どこ……?」
返事はない。
しかし。
『――汝』
声が響く。
今度ははっきりと。
世界そのものが喋っているかのように。
『汝……チカラヲ欲スルカ』
リアは顔を上げた。
誰もいない。
だが確かに声は存在していた。
「欲しい……」
涙が零れる。
「欲しいよ……!」
拳を握る。
「ミゾレを助けたい……!」
声が震える。
「ミゾレを守れる力が欲しい!」
『ソレハ……』
声が問う。
『敵ヲ倒スチカラガ欲シイ……トイウ事カ』
「それは――」
リアの瞳が揺れる。
脳裏に浮かぶ。
血塗れで倒れているミゾレ。
高らかに笑うガロウ。
怒りが込み上げる。
胸が焼ける。
「そう……!」
声が震える。
「ミゾレをあんな姿にした、アイツを倒す力が――」
周囲が暗く染まり始める。
白い世界が黒へ変わる。
闇。
底の見えない闇。
怒りに呼応するように。
憎しみに呼応するように。
黒い影がリアの身体へ絡み付いていく。
「アイツを殺――」
あいつを殺す力が欲しい、と言いかけた、その瞬間。
ふと、脳裏に一人の女性が浮かぶ。
綺麗な黒髪。
優しい笑顔。
いつも傍にいてくれた人。
ミゾレ。
『お嬢様』
優しく微笑む顔。
その姿を思い浮かんだ瞬間。
リアは思い出した。
「……あ」
自分は願った。
殺さないでほしい、と。
魔人も魔獣も。
誰であろうと救えるのなら救ってあげたい、と。
その願いを聞いたミゾレは、笑うことも、否定することもなく、ただ静かに受け入れてくれた。
だから彼女は戦っていたのだ。
命を懸けて。
限界を超えて。
それでも最後まで誰も殺さずに。
――私の願いを守るためだけに。
胸の奥が熱くなる。
苦しいほどに締め付けられる。
気付けば、リアの頬を涙が伝っていた。
「違う……」
黒い闇が止まる。
「違う……!」
リアは首を横に振った。
強く、何度も。
『汝……』
再び声が問う。
『チカラヲ欲スルカ』
リアは涙を拭う。
そして真っ直ぐ前を向いた。
「力は欲しい」
迷いのない声。
「でも、それは敵を倒すための力じゃない」
胸に手を当てる。
「皆を救う力が欲しい」
涙を流しながら。
それでも笑った。
「皆を笑顔にする力が欲しい」
「ミゾレも」
「王国のみんなも」
「魔人も」
「魔獣も」
「誰一人諦めない」
力強く言い切る。
「私はそんな未来が欲しい!!」
その瞬間だった。
リアを取り囲んでいた闇が停止する。
そして。
パキッ――
音を立てて砕けた。
闇は光へ変わる。
そして一つ。
また一つ。
無数の光が生まれる。
白い世界を埋め尽くすほどの光。
まるで祝福するかのように。
まるで歓迎するかのように。
『――面白イ』
声が笑った。
初めて感情を宿したように。
『トテモ……面白イ……』
光が渦を巻く。
『汝ノ思イ描ク未来ヲ……』
世界が震える。
『見セテ……ミロ』
次の瞬間――
ドォォォォォォォォォォォォォォン!!
凄まじい黄金の光が爆発した。
「――っ!?」
リアの身体が光に包まれる。
暖かい。
優しい。
それでいて圧倒的な力。
無限にも思える光が身体の奥へ流れ込んでくる。
金色の輝きが天へ昇る。
まるで新たな太陽が誕生したかのように。
そして――
少女は覚醒する。
世界の運命を大きく変える力と共に。
◇◇◇
戦場には静寂が広がっていた。
先程まで激しくぶつかり合っていた衝撃音も、魔法の轟音も、今はもうない。
あるのは瓦礫の崩れる音と、吹き抜ける風だけだった。
その中心で、ミゾレは倒れていた。
全身は傷だらけで服は血に染まり、呼吸もかすかだった。
「……」
そんなミゾレを見下ろしながら、ガロウはゆっくりと歩み寄る。
一歩。
また一歩。
巨大な獣の足音が戦場に響いた。
やがてミゾレの目の前で立ち止まる。
「……なぁ」
ガロウが口を開いた。
その声には先程までの狂気はなかった。
不思議なほど静かだった。
「お前は本当に強かった」
ミゾレは反応しない。
意識があるのかすら分からない。
それでもガロウは続けた。
「正直、驚いたぜ」
獣の顔が少しだけ緩む。
「魔王に呪いをかけられてから初めてだ」
黄金の拳を握る。
「楽しいと思えたのはな」
戦いの最中。
何度も興奮した。
何度も心が震えた。
何度も笑った。
それは殺戮の快楽ではない。
純粋に強者とぶつかり合う喜びだった。
「本当ならよ」
ガロウは苦笑する。
「これからも俺は、お前と戦いてぇ」
心からの本音だった。
「出来ることなら殺したくねぇ」
もう一度、いつか。
万全の状態で戦いたかった。
何度でも拳を交えたかった。
それほどまでにミゾレは魅力的な相手だった。
だが――
ガロウの表情が歪む。
「……クソが」
腕が震えていた。
自分の意思ではない。
身体の奥底から何かが命令してくる。
殺せ。
殺せ。
殺せ。
殺せ。
頭の中へ響く呪いの声。
「やめろ……」
ガロウが低く唸る。
身体が軋む。
筋肉が震える。
しかし止まらない。
腕が持ち上がる。
勝手に。
まるで操り人形のように。
「……っ!」
ガロウの顔に苦悶が浮かぶ。
「やめろっつってんだろ……!」
拒絶する。
だが止まらない。
指先が、腕が、身体そのものがミゾレへ向かっていく。
まるで意思など最初から存在しないかのように。
「チッ……」
ガロウは舌打ちした。
そして諦めたように目を閉じる。
「すまねぇな」
その声だけは本物だった。
偽りのない謝罪だった。
ゆっくりと目を開く。
赤い瞳がミゾレを見下ろす。
「ありがとな」
戦えて良かった。
そう思った。
「そして――」
巨大な爪が振り上げられる。
「さよならだ」
そう別れの言葉を告げ、腕を振り下ろそうとした。
その瞬間――
ゴォォォォォォォォォォォォン!!!
天地を揺るがす轟音が響いた。
「――!?」
ガロウが反射的に轟音が鳴り響いた方向、王宮の方を振り返る。
次の瞬間。
ドォォォォォォォォォォォォォォン!!!
眩い黄金の光が天へ向かって噴き上がる。
まるで巨大な光の柱。
それは空を貫き、雲を吹き飛ばし、世界そのものを照らしていた。
「な……」
ガロウの目が見開かれる。
「何だと……?」
戦場にいる者達が空を見上げる。
王国軍も。
帝国軍も。
誰もが言葉を失っていた。
あり得ない。
あれほどの魔力。
あれほどの存在感。
まるで、世界そのものが目覚めたかのような力。
そして――
天を貫く黄金の光柱の中心から、一つの影が現れた。
最初は小さな人影にしか見えなかった。
だが、その姿がゆっくりと上昇するにつれ、誰もが息を呑む。
眩い光を背負いながら、一人の少女が天空へ舞い上がっていた。
風が吹く。
長く伸びた金色の髪が光の粒子を纏いながら幻想的に揺れる。
一本一本が陽光そのものを編み込んだかのように輝き、その周囲には無数の黄金の粒子が星屑のように舞っていた。
純白のドレスは神聖な光を帯びている。
裾は風もない空中でゆるやかに広がり、まるで天使の羽衣のようだった。
胸元や袖口には淡い金色の紋様が浮かび上がり、脈打つように明滅している。
少女の身体を包む黄金の魔力はあまりにも濃密だった。
その神々しい姿を見た瞬間。
誰もが言葉を失った。
王国兵も。
帝国兵も。
魔導士達も。
ただ呆然と空を見上げることしかできない。
そこにいたのは、一人の少女であるはずなのに。
その存在感はあまりにも巨大だった。
まるで神話の時代より舞い降りた聖なる存在。
まるで世界そのものに祝福された王。
そう錯覚してしまうほどの圧倒的な神秘と威光が、その小さな身体から放たれていた。
そして少女は静かに瞳を開く。
黄金に輝くその瞳が戦場を見下ろした瞬間――
世界から音が消えた。
そして。
この光景を見たガロウの瞳が大きく見開かれた。
「なん……だ……」
まるで信じられないものを見るように。
「何なんだ……お前は……」
空の頂で、少女はゆっくりと瞳を開いた。
その頬には涙の跡が残っている。
大切な人が傷ついた悲しみも。
失うかもしれない恐怖も。
決して消えたわけではない。
それでも――
もう迷いはなかった。
黄金の瞳が真っ直ぐ前を見据える。
その視線の先には、血塗れで倒れたミゾレがいた。
「待ってて」
誰にも聞こえないほど小さな声。
けれど、その言葉には確かな意志が宿っていた。
「今、助けるから」
その瞬間、少女の身体から溢れ出した黄金の光が戦場全体を包み込む。
まるで夜明けが訪れたかのように。
絶望に染まっていた世界を優しく照らし出していく。
王国兵達も。
帝国兵達も。
誰もが思わず空を見上げた。
その光景から目を離せない。
離せるはずがなかった。
天空に浮かぶその姿は、あまりにも神々しかったのだから。
そして少女は一歩踏み出す。
空を歩くように。
光の粒子を散らしながら。
ゆっくりと戦場へ降りていく。
その小さな背中には、不思議と世界の希望そのものが重なって見えた。
――リア・ルミナリア。
絶望の戦場へ舞い降りる、希望の光そのものだった。




